大人になると時間の流れる速さが速いことについての長い考察、 桶川ストーカー殺人事件とストーカーリスクなど

○年齢と共にルーティンワークや読み書きをしていると、主観的時間が流れる速度が速くなった。脳内の情報処理速度の遅鈍もありますが、アウトドアや登山で外を歩いていると時間の流れがスローになるのはなぜなのか?

大人が「時が過ぎるのはあっという間だねー」と感じる科学的な理由がやや切ない(04月01日)

仕事やネットで文書を書いていると、一時間などほんのわずかな刹那に感じるほどですが、無心でウォーキングしたり登山したりしていると、相当な時間が経過した充実感があっても、朝の7時から8時になったくらいしか時間が経っていない。屋内やパソコン作業は時間経過速度が速いので、外で過ごす方が一日が長く充実感がある。

主観的な時間感覚についてマイミクの色々な意見が寄せられていて興味深かった。大人になって「時間が経たなくてつらい経験」をほぼしたことがないが、よく考えると「(時計を見て終わりを待つような)受動的な時間の使い方」をここ20年、余りしたことがないのが原因か。学生時代の作業系バイト等は時間が経たなかった。

「時間が経たなくてつらい・早く時間が過ぎてくれ・暇や退屈で何していいか分からない」と思ったことがなく、基本的スタンスは「時間が早く経ちすぎてつらい・もっとゆっくり時間よ流れてくれ・あれもしたいこれもしたい・これが終わったら次はあれをする(時間が足りないので諦めようも多いが)」になってしまっている…

個人的には、主観的に時間の流れが遅くなる条件は、「ほとんど興味関心のないことを義務的にしなければならない・興味の薄いことをしながら何時までは絶対にその場所にいなければならない(興味ない+管理・拘束)」なので、自分にとっては刑務所・拘置所などはとても耐えられない環境で犯罪を回避する十分な理由になるなw

マイミクさんが「長期服役囚は隔離され完璧に管理された中で労働をするので…彼らは時間が過ぎるのが長く感じてないのではと思っています」と書いてくれていたが、僕の主観的時間感覚では、興味のない刑務作業・共同生活の人付き合いをして厳密に時間を決められた生活は「なかなか時間が経たなくてつらい場所」になりそうだ。

しかし、「なかなか時間が経たない感覚」にも、先に書いたように登山・外遊びなどで「ゆったりしたリラックス感・満足感・充実感があってお得な感じがするスローな時間の流れ」があるので、必ずしも「時間がゆっくり過ぎること=苦痛・不快・我慢」ではないというのはある。

その意味では、僕の主観的な時間感覚では「楽しい時間はあっという間に過ぎる」というわけでもなく、どちらかというと「ある程度の興味・意欲もあって情報処理・読み書き・PC作業をしながらする仕事の時間+興味のあるSNS・コンテンツなどネットやスマホの時間=あっという間に過ぎる時間」になっている感じである。

特に、インターネットやSNS・スマホというのは、誰にとっても時間泥棒な側面はあるのだろうが、色々なコンテンツやSNSの記事をちょっと読んで、自分もつぶやき・記事を書いて、何人かに返事もしてとやっていると1時間などは一瞬で過ぎる。「読み書き・ネット・思考=時間の高速経過」は概ね当てはまると思う。

ネットやSNS、スマホ関連も、自分が興味があって楽しいからすぐに時間が過ぎるとも言えるのだが、活字でもネットでも文字を読んだり書いたりする行為そのものも(読書・メール処理も含めて)、外でのんびり歩いている時よりも格段に時間の流れが速い。情報処理で積極的に頭を使うと時間の流れが加速度的に速くなる。

アウトドアや登山、散策(トレッキング)、屋外での活動の方が、オフィス(室内)に閉じこもってPCで作業したり書類・メールなどを読んで処理したりするよりも、一日の主観的時間がずっと長く有意義に感じられるのは、逆説的に「良い意味で頭を使わず脳を休ませている=脳や心が焦って前のめりで動いてないから」かも。

仕事・ネット・スマホも屋外での活動全般も、どちらも興味があって自発的にやっている活動という点では共通しているが、「脳内の情報処理活動の慌ただしさ・スロットル感」が違うので、前者は心理的にやはりどうしてもせっかちになって脳・心が焦りがちなのだろう。

そういった話を知人としていたら、「あなたはいつも室内でも、座らずにうろうろ歩いて色々な話題や出来事について考えすぎ(分析しすぎ)だから時間がない。普通の人は決まった仕事・家事育児などはするが、それが終わったらのんびりしてる。座れ、読むな、見るな、考えるな」ということで話が終わったw

○結婚制度を利用した上で職業キャリア・自己規定にこだわる女性(婿養子の男性)にとって「選択的夫婦別姓」は悲願だと思うが、「日本のイエ制度・江戸期以降の直系男子重視」との慣習との争いが根底にある。 — 夫婦別姓棄却にも青野社長「国民の中で結論出つつある」 (毎日新聞 – 03月25日 20:25)

一方、喫緊の国民的議論が盛り上がるかどうかという観点では、未婚化・晩婚化など結婚制度によるメリット・デメリットを日常的な問題として意識化していない(どちらでもいい)層も増えているので、いまいち瞬発力としての盛り上がりに欠ける面があり、話し合ってどちらかの姓にすればいいという現状維持の意見の人も多そう。

中国・韓国のような男女それぞれの家系の血統の流れを交えない夫婦別姓が伝統の国もあるが、日本の場合、戸籍制度と夫婦同姓の制度的親和性やイエに所属する個人という自己アイデンティティーの「明治時代からの歴史的な流れ」が結構、意識に定着しているので選択可能でも夫婦別姓に反対の人は少なからずいる。

日本の飛鳥時代以前にまで遡る戸籍制度は、人民管理の効率的手法であると同時に、間接的な氏姓の身分制度(イエに帰属して先祖に遡れる個人の自己規定)でもあったが、出自・家柄とも関わる戸籍制度の存廃の議論というのはそこまで盛り上がらないけれど、昭和初期以前の差別問題・部落問題との絡みでもあったりはした。

○スマホの利用法上位に、若い世代、子育て世代、旅好きな高齢者だと「写真や動画の撮影・インスタ」があるため、大画面が売れやすい。5Gでは高画質動画のリアルタイム送受信を売りにしてくる。ネットも5インチ以上に慣れるとSEは可読領域が狭い。 — 「iPhone SE2」登場か ネット上でうわさ広がる

○桶川ストーカー殺人は、風俗店経営のチンピラのボスみたいな人物が加害者で、手下として動かせる男・兄がいた特殊な事件で、短期の身柄拘束があっても防げなかった。

「生きていたら41歳。きっと孫も…」桶川ストーカー殺人事件から20年 被害者の父が語る思い (AERA dot. – 03月25日 11:30)

桶川ストーカー殺人は、被害者を殺して自分もすぐ自殺しているがこのタイプは厳罰化や逮捕・起訴ができても、カウンセリングや交渉術を含む心理学的手法で段階的に執着心を緩和させないと、最悪の結果は回避しにくい。無視で連絡をシャットアウトすれば余計に被害妄想で殺意に行くので、完全に姿を消すまでしないと危ない。

あまりに執着や被害妄想の強い相手(いったんは親しくなった元交際相手など)にストーカーをされて、自分も死ぬ覚悟で追い詰められたら、死刑が前提でも防げないだろう。ストーカーに限らないが、相手を殺したらすぐ自殺しても構わないという自滅型の凶悪犯は、事後的刑罰では抑止できず、心理的変容がないと防げない。

自分も死ぬ前提で、とにかく自分を苦しめていると妄想的に思い込んでいる相手をターゲットにして、行動力を発揮されたら、ガチガチにボディーガードで周囲を常に固めない限りどこかで不意討ちされたら防ぎようがない。屈強なプロレスラーでも、絶対殺すつもりの相手が入念に行動を調べて刃物で後ろから刺されればやられる。

上手い離れ方でストーカー化させないか、執着を緩和して別の人や物事に段階的に興味の対象をすり替えていくかが、安全な対応策ではある。だが、とにかく一切関わりたくないから、一言も話したくないし心理的に操作するつもりもないなら、(現住地を捨て)絶対に相手が分からない場所に、逃げて二度と会わないしかないだろう。

とはいえ、桶川ストーカー殺人レベルの煮ても焼いても食えないパラノイアみたいなストーカーに目をつけられる確率は一般に高くはなく、ある程度しつこいくらいなら、少しずつ離れていく方が多い。初めから、あまりに執着や支配欲、独占欲、孤独恐怖が強そうな相手に深入りせず、その人の精神的自立度を見極める事である。

海外でもインドやパキスタンなど新興国・途上国を中心に、自分の求婚求愛を断った女性を殺害したりアシドアタックをしたりのストーカー型殺人は多い。一族で怒って女性の家族を襲うなど極端な事件も。現代的理性的でない動物的な男性脳は、女性に拒絶されたり逃げられたりすると怒りや攻撃性を感じやすい傾向があるようだ。

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