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国語のリテラシー(読み書き能力)の格差拡大、 しょこたんの愛猫マミタスが急死、偏差値32はまず有り得ないなど

国語のリテラシーの学力調査についての記事があった。新聞や教科書などを読み取る基礎的な読解力を身に付けられないまま中学を卒業する生徒が25%にのぼるとあった。確かに大人でもテキストである程度の分量と難易度のコミュニケーションをすると、大卒でも意味や内容を捉え損ねる人は多い。論理的・修辞的なアウトプットができる人も限られる。

特に『1000文字前後』の文字数でも、文章が長すぎて理解できないという人、『語彙の範囲』が狭く限られ漢字や基本的な熟語・故事成語を元々知らないという人も少なからずいるわけで、『話し言葉の短い日常のやり取り』だけでは分からない文章読解力や文章記述力の差違が学力・スキル習得の壁になっている可能性がある。

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インスタグラマーの店舗内での撮影はどこまで許されるか?:商品買わずに撮影はOKか否か

店舗の種類や撮影の頻度、商品の扱い方、他の客への影響によるが、市場縮小のレコード店の業種では『商売への影響』は限定的で『店主・店員の印象や考え方』次第だろう。

若い女性たち「インスタ映えする」、商品買わないのに撮影…退店命じることは可能?

『商品を買わずに撮影している人』であっても、数十秒で1~2枚だけさっと撮影して立ち去る人と数分間以上も同じ場所に居座ってポーズや配置を変えて10枚以上も撮影する人では全く印象・影響は異なる。撮影禁止ルールを掲げてる店ではすべきでないが、店員が『撮影はご遠慮ください』と一声かければ大半は帰るだろう。

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「亀田興毅に勝ったら1000万円」のボクシング企画の感想、 親不知の抜歯の痛みは個人差が大きい

「亀田興毅に勝ったら1000万円」のボクシング企画、ざっと見たが個性的な挑戦者が多く面白かった。現役前半はアウトローキャラで騒動が多かったがこの企画では爽やかな紳士的対応だった。

http://vippers.jp/archives/8865400.html

「亀田興毅に勝ったら1000万円」企画、ゴングと同時に(サーバ)ダウンの展開に

『元』で走り込みもしてない1年以上のブランクがあるとはいえ、ボクシングの世界チャンピオンが素人と試合をする企画は前代未聞。だがエンタメ性がないと、先進国では軽量級のボクシングの人気や視聴率は低迷する一方でもある。さすがに亀田興毅は顔は積極的に打たずボディ中心で手加減している感じだった。

常識的に考えればブランクがあっての4連戦でも、ボクシングの元世界王者が素人(半素人)にヘッドギアをつけていてKO負けを喫する可能性はないが、1RでKOされた一戦目のホストの人以外は、技術力はともかく倒れまいとする気力・根性はあった。

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『働かざる者、食うべからず』と『四十歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たなければならない』は誰の言葉なのか?

『働かざる者、食うべからず』を資本主義の労働道徳と勘違いしている人は多いが、元はプロレタリア独裁(全労働者国家)を理想とする共産主義の道徳律だった。資本主義は資本と経営・投資・土地所有の不労所得を容認する経済制度だが、ロシア革命の指導者レーニンは聖書に由来する『働かざる者、食うべからず』で不労所得を戒めたとされる。

『働かざる者、食うべからず』は、新約聖書の『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節にある『働きたくないものは食べてはならない』という一節が語源とされている。

『働かざる者、食うべからず』と同じく、世間に流布する格言で発言者が余り知られてないものに『四十歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たなければならない』がある。これは米国の16代大統領エイブラハム・リンカーンの言葉で、閣僚の一人を選ぶ際『ダメだ、顔が気に入らない』で却下しその理由を述べた故事にちなむ。

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生命(個体)の継続を否定する『反出生主義』にどう反論できるか?、出産・人類の継続を理性・理屈で論理的に肯定できるか?

現代の先進国の少子化原因(選択的な出産回避)、自己否定的な悲観主義の一つとして、『虚無主義・優生思想』とも関係したデイヴィッド・ベネターらの『反出生主義(antinatalism)』が挙げられることがある。

http://0dt.org/vhem/argue.html

http://chaos2ch.com/archives/4750759.html

反出生主義とは『人生は快より苦が多く生まれてこなければ良かった・生まれなければ何も思い煩う主体がそもそもない』という通俗的な悲観主義・虚無的な厭世感を、『帰結主義・功利主義・確率的な不遇や絶望』から理論化した思想だが、この人間存在(生の意味)の否定の思想を『感情・常識』ではなく『理性・ロジック』で否定することができるかを少し考えてみたい。

反出生主義は『最後はみんな病気・老化・事件事故・自殺などで死んで連続的な意識・記憶は何も残らないという帰結主義』や『人生には確かに快(良いこと)もあるが初めから苦痛(悪いこと)や悪意・死を感じる主体が生み出されないことのほうが全体の不幸が減るという功利主義』から、自分以後の誕生・生命を否定的に見る思想である。

デイヴィッド・ベネターは人の人生に『快・喜びが存在すること』には確かにプラスの価値があるが、人間の存在・意識が初めからなければ『快・喜びが存在しなくても(不幸・無意味にならないために必死になり、快・喜び・意味を感じるための努力や解釈がなくても)別に構わない』だろうと語る。それはそうだ、人間が誰もいない世界では快・喜びを感じる主体、そのために努力や競争をする主体がいないのだからという当たり前の話ではある。

そして、人間の存在・意識がある以上は誰かの『苦痛・悪意・絶望などが存在すること』は絶対に避けられないとして、そういったマイナスの境遇や認識・価値観が一定ラインを超えると(せっかく生み出すことに意味があると信じて生み出されたのに)『生まれてこなければ良かった(初めから自我・知覚がなければ何も感じず何もない状態が続いた)』という反出生主義に転換して苦しんだり死んでしまうこと(誰かを傷つけてしまうこと)さえあるのだという。

さまざまな条件を背負った人間が次々に生まれる以上は、確率的に誰かが不幸・貧苦になったり差別・迫害・侮辱を受けたり、重い病気になったり自殺したり犯罪者(テロリスト)になったり冷酷な独裁者になったりする。初めから誰も生み出されなければそれらの人間の存在・意識にまつわる問題や不平不満のすべてが解決されるというのが反出生主義だが、それはそうだろうとしか言いようがないといえば言いようがない思想である。

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『うたプリ』ファンの“年齢拒否”ツイートから、現代のエイジハラスメント(若さ至上主義)やビジュアル重視(見た目の文化)について考える

『エイジハラスメント・ビジュアル主義・仮想現実・ピーターパン症候群(永遠の少年少女)』は現代の現実・心理・サブカルを貫く感受性だがアニメファンの世界で年齢差別しなくてもいいような……。

「30歳以上は痛い・40歳以上は気持ち悪い」とある『うたプリ』ファンの“年齢拒否”ツイートに騒然

現代社会は約20年でネットの普及や標準的なライフデザイン(何歳なら?すべきの適齢期)・同調圧力の崩れで様変わりした。その現れの一つが『年齢相応の趣味・態度・生き方の拡散と多様化』で、『一部のオタク・マニア・子供っぽさ』で切り捨てられないほど、アニメ・芸能・漫画で実年齢を問わないのめり込みが増えた。

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