「歴史」カテゴリーアーカイブ

行かず嫌いも多いスターバックスとフレンドリー接客、スタバとコミュ障時代、日本の万葉集と言霊思想など

○「スターバックスほど行かず嫌いされるチェーンはない」や「スタバほどその体験・解釈が大勢の人に語られるチェーンはない」というフレーズはなるほどと思うが、スタバはコアなファンが大勢いる一方で、「イメージで嫌う・注文などのハードルが高く感じる」で一回も行ったことがない人もかなり多いとされている。

ウェブの検索キーワードでは「スタバ 初めて」や「スタバ 注文 怖い」が上位キーワードにあり「コミュ障でも大丈夫なスタバの注文の仕方」のようなシュールなコンテンツまであって「事前にこの注文のフレーズさえ覚えていけば大丈夫」とあったりするが、実際はスタバは「もっとも注文・質問のハードルが低いお店」だろう。

スタバに初めて行こうとしているコミュ障な人の不安は、「注文方法・商品名などを知らないと店員や他の客から馬鹿にされるのではないか・もたもたして恥をかくのではないか」というある種の被害妄想に過ぎないが、実際はスタバは何も知らなくても店員が提案や説明でリードして注文を終えられるシステムである。

スタバの魅力の一つは店員とのやり取りにもあるので、本当は「何も知らない初心者でもたついている人」ほど、多くの店員は最大限のサービス精神を発揮してメニューからサイズから色々と教えてくれるはずである。ただ対人恐怖症レベルのコミュ障の人で券売機が好きなどだと、嫌なシステムのお店になる可能性はあるかもだが。

スタバといえばフレンドリー接客みたいな思い込みもあるが、実際はよほど何回も通うか自分の愛想も良いかでないと、「業務外の挨拶・雑談」までしてくる店員さんはそんなにいなくて、基本は「どんな質問にでも優しく丁寧に説明してスムーズに対応してくれるお店」としての強みで成長したチェーンであるように思う。

スタバの営業方針は慣れていない人がもたもたしていたら馬鹿にされるとか、スピード重視の接客をしているとかの対極にあり、実際どんなに並んでいても「目の前の戸惑っているお客」に集中する仕組みである。黙って放置などもなく会話形式で好みにあった注文ができる。用語など適当で「コーヒーの小さい奴」でもOKだ。

スタバのフレンドリー接客とか感動体験とかいうのも、検索すれば一般の人の体験談が沢山出てくるが、それらは「丁寧で親身な接客」という意味では、初めてちょっと行ってもある程度体験できるが、感じの良い店員さんがいたら少し通ってみると「他のカフェにない印象に残る体験」がある。人嫌い・話嫌いでなければはあるが。

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「錦の御旗」と「徳川御三家」について、丸山穂高議員の戦争による北方領土奪還論の問題、ビットコインは確率的宝くじか?など

○中世以後の天皇軍を示す「錦の御旗」の記述は、「太平記」の南北朝時代の護良親王くらいしかないが、「太平記」は現代人で小説的な作品(吉川英治など)はまだしも原文で通読した人はほぼいないだろう。江戸時代にはそれなりの知識人・武家公家の古典好きなら読んでいて当然の書物で、徳川慶喜も読んでいたと推測される。

「徳川御三家」は、徳川家康が徳川家永続のために打った布石とされるが、水戸光圀以降、勤王主義者が多い水戸徳川家は一説に「内乱で将軍家の大義名分が奪われた時の保険」とも言われた。故に水戸徳川家出身の人物が征夷大将軍になったことは、15代慶喜まで一度もなく、朱子学的な尊皇の大義名分論を家風としていた。

徳川慶喜は個人としては歴代将軍の中でも智謀に優れた類ともされるが、戊辰戦争で徳川家が敗れたのは慶喜の軍略・胆力が西郷隆盛らの維新派の豪傑に及ばなかった面も大きい。鳥羽・伏見の戦いの初戦で敗れた時点で、幕府軍は兵力で約3倍、近代化でもわずかに薩長に遅れた程度で、慶喜が前に出れば勝敗は分からなかった。

徳川慶喜が戊辰戦争の早い時点で戦意を失った理由については諸説あるが、水戸徳川家が「尊皇主義の家(本家・将軍家のバックアップ)」であった事がやはり大きかったように思う。天皇・朝廷の臣下であることを自覚させる朱子学的な教育・名分が、水戸徳川家では特に効いていたため、錦の御旗への抵抗を躊躇した。

徳川慶喜が前線に出て親幕勢力を糾合すれば、錦の御旗を奪還できる可能性はあり、天皇・公家は所詮は強い者になびくので、幕府優勢となれば討幕の勅許撤回で、逆に薩長に脅されたとして討伐を命じた。

だが兵力に優っていたのに初戦大敗した事で「対薩長の武力の自信」を失い「朝敵として死ぬ」を強く恐れた可能性が高い。

○先進国では武力による領土争奪戦はWW2で実質的に終わった。北方領土を自分が死んでも取り戻す自己と国家を一体化させたアイデンティティー形成は、洗脳的な国民教育と社会風土がないと無理である。

維新・丸山氏、北方領「戦争で奪還」に言及=執行部は撤回指示 (時事通信社 – 05月13日 19:01) http://mixi.at/a8hlsGg

戦争によって領土や外交の問題を解決するには、個人の権利が国家・政治の為に強く制限されなければならない。個人の幸福を基準にする先進国では、自分が死んでも領土奪還したい人は極めて稀になる。自発的に戦争に参加・協力させる滅私奉公システムが先進国では作りにくく、自分は死なない権力者の指示的立場も批判される。

○かつて天皇は現人神の最高司令官とされ、天皇陛下のために本気で死んでも良いと思える国民が、政策的・教育的に生み出されていた。戦争を実行するには「社会共同体の大半が武力戦争に賛成する空気・戦争反対を言えば非国民とされ村八分される規範」が必要で昔も本音では嫌な人もいたが、集団心理で逃げる事は不可能だった。

孝明天皇が天然痘で崩御してから、明治天皇が皇位について、薩長は徳川慶喜を外す小御所会議のすぐ後から、「錦の御旗」を立て始めた。だが錦の御旗のデザインは、長期にわたって天皇が軍隊を指揮する事がなかったため、幕末時には決まった意匠は無かった。最後の記録は「護良親王」が吉野山の山城に翻した日月旗だという。

後醍醐天皇の子の護良親王は、南朝の正統性の証として、金銀の糸で縫い付けた「日月旗」をはためかせたが、当時は相手も天皇を抱える南北朝時代であるため、錦の御旗の効力はなかった。だが幕末は知識人・攘夷派を中心として「尊皇攘夷・天皇軍の旗印」があれば、その軍に弓を引きづらい心理効果をもたらした。

ただ南北朝時代の「金銀の日月旗」は、「太平記」を知っている公家や知識層にしか知られていなかったため、岩倉具視のブレーン玉松操が「16花弁の菊紋」という天皇家の分かりやすい家紋を金糸で豪華に縫い上げる案を出したという。この天皇軍のシンボル化の影響は大きく、三つ葉葵の徳川家は「逆賊視」の不利を負った。

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幕末史の孝明天皇と徳川慶喜の雑感、天皇制と元号の本質とは何か?、「美人」の人生は本当に得ばかりするのか?

○天皇は王政復古(大政奉還)で近代化を後押ししたが、日本の明治維新がスムーズに展開した理由の一つは、孝明天皇の天然痘による急逝だった。

当時の公家は穢れ思想で、動物の血液由来の種痘を接種せず、孝明帝は天然痘感染で短期間で死んだとされるが、佐幕派・親会津の孝明帝が存命なら薩長に倒幕の勅命はまず出なかった。

孝明天皇は36歳で崩御したが当時の平均寿命からしても圧倒的に若い。本来は後数十年は慶応の時代が続き、そうであれば薩長は錦の御旗を掲げられず、徳川幕府の早期瓦解もなかった。孝明帝は超保守派・佐幕派で外国人を穢れとして嫌い、開国にも強く反対していたため、下手すれば1900年近くまで日本近代化は停滞した。

孝明帝は徳川家と会津藩を忠義第一と最も信頼して、幕府を倒せというどころか、大政奉還せよとの勅命も出すつもりもなかった。公武合体派で幕府中心の保守的な政体を支持し、急進的な新政権などには反対であった。禁門の変で会津藩・松平容保を追放しようとした長州藩をひどく嫌い、朝敵として長州征伐にも賛成していた。

禁門の変で長州を追い出して京都政局を掌握したのは、いわゆる一会桑政権(一橋慶喜・会津藩・桑名藩)でそれをバックアップしたのが薩摩藩であり、1867年頃まで長州藩は尊皇攘夷の倒幕の主要勢力どころか、逆に朝敵として征伐されかけていた。ぎりぎりの時点まで、人材不足を除けば幕府の方が装備も兵力も上だった。

孝明帝が存命であれば、孝明帝と松平容保は非常に親しい関係にあり、徳川幕府と会津藩を朝敵と名指しして、薩長に征伐を指示する勅命は出なかった。

あるいは、第二次長州征伐時に徳川家茂が若死にしなければ、幕府軍は長州藩を処分できた可能性もある。だが孝明帝と徳川家茂の想定外の早逝が全て薩長に運気を傾けた。

孝明帝の後を継いだのが後の明治天皇(祐宮)であり、孝明帝には祐宮以外の男子はいなかった。そして、祐宮の母親は長州藩縁故の中山家出身の側室で、幕府よりも長州に深く肩入れし同情していた。長州嫌いの孝明帝から、長州贔屓の明治帝への歴史の急展開が、結果として錦の御旗を薩長にもたらしたのである。

15代将軍徳川慶喜は、討幕の勅命を警戒して自発的に大政奉還して、幕府・将軍の名目と体制を維持しようといたが、薩摩藩主体の雄藩がクーデターで朝廷を掌握して、岩倉具視らが王政復古の大号令を発令した。徳川将軍家を取り潰す辞官納地を命じたが、幕府側は猛反発して鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争に引き込まれた。

○正当な皇位継承者の璽(しるし)である「三種の神器」を継承する「剣璽等承継の儀」は、歴史を遡れば南北朝時代には真剣にその所有権を巡り争ったが、古代の中国王朝にも「国璽・玉璽」と呼ばれる石造りの印鑑が正当な王・皇帝の証としてあった。現代では完全にフィクションで、三種の神器そのものもレプリカ・複製品だが。

天皇家に代々伝えられてきた「三種の神器」とは、八咫鏡 (やたのかがみ) 、草薙剣 (くさなぎのつるぎ) 、八坂瓊曲玉 (やさかにのまがたま) だが、記紀の伝説上は天照大神が所有して孫のニニギノミコトに授けたとされる。草薙剣の中世以前のオリジナルは、源平合戦の壇ノ浦の戦いで関門海峡に水没したとされる。

ただ壇ノ浦の戦いで海に沈んだ剣も、古代からの歴史ではレプリカであって、大元の神話時代からの草薙剣の現物を見た人はいないのである。

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経済の起源とマルセル・モースの「贈与論」の雑感、高額紙幣廃止とキャッシュレス化、接客業の教育とクレームなど

○経済活動の起源は、人間の生存に必要な物質的な条件を確保することにあったが、それだけではなくマリノフスキーの「クラ交換」やマルセル・モースの「贈与論」が示唆する相互的な社会構築を促す「交換のための交換+無償贈与の心理的負債」にあったことは面白い。贈られると贈り返さなければならない負債感に本質があった。

マリノフスキーは利益や必需品獲得を目的としない「トロブリアンド諸島の未開部族のクラ交換」について、「ギブアンドテイクそのものへの愛好」と解釈した。

これは物々交換を支える信頼関係の確認行為であると同時に、「贈与されたからには贈り返さなければいけないという負い目」による個人と集団の結び付きであった。

マルセル・モースのポトラッチを参照した贈与論は「贈与」と「対抗贈与(義務的返礼)」の概念で、経済以前の相互的な関係性を生成する「原交換」を提示した。

これは利益や必要とは関係のないものだが、およそ人類全般に共有される「関係構築・富の示威の原理的な欲求」として解釈できる。中国王朝の朝貢貿易も相関がある。

○「ポトラッチ」はパプアニューギニアやオセアニア各島、アフリカ各地で行われた大規模で競争的な贈与である。贈与される財物には霊的なマナ、物神のハウが宿るとされ、贈与されたからには返礼しなければならない意識が自然に生成するとされた。

ポトラッチのような原交換は「真の所有者」を、現在の人間や部族ではなく、「神・自然・先祖」に求めた。

贈与と返礼の相応は、端的には人間心理に生じる「貸し借りの感覚」であり、古代人から現代人に至るまで何かをもらうことは、究極的には無償ではないという感覚がある。

クラ交換やポトラッチは「個人と集団(集団と集団)の結合と拡大の原理」とされるが、それは共同体の外部で個人が生きられない近代以前は鉄の掟に近かった。

貨幣経済が資本蓄積と結び付いた資本主義の歴史的な特殊性は、「匿名的なマネー」によって、「貸し借りの感覚・共同体に拘束された個人」を無効化しやすくしたことである。

お金があれば基本的に、貸し借りなしでどんな商品やサービスでも匿名的に等価交換できる世界は近代初期までなかった。等価交換自体も困難だった。

近代初期まで「地縁血縁・共同体・祖先崇拝・身分制度などに基づく貸し借りの感覚」の外部に、マネーの力で抜け出られた個人は存在しなかった。

お金の力は相当に限定的で現在とは異なった。究極的には「贈与と返礼(祖先や共同体に返せない恩義)」によって、人は常に共同体(ムラや国家)に忠孝原理で属していたと言える。

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新元号「令和」の雑感、杉並区の保育士殺人事件とストーカー心理、昭和時代の敬語のレベルなど

○新元号の菅官房長官の発表会見が予定よりだいぶ遅れていたが、新元号は「令和(れいわ)」に決定したようだ。規律と平和という意味か…「令」の漢字は確かにほとんど予想に出ていなかったですね。昭和と重なる「和」をもう一度使うのも想定外でした。

令和の出典の説明をざっとしていたが、日本の季節や花の美しさを平和のイメージで詠んだ「万葉集」の歌にあるようで、日本の古典・和歌集が元号の出典になるのは初めてのことである。令和の話し言葉としての語感・響きは、平成と比べると固さ・整然性を感じるかも。元号のイニシャルはRになるのかな。

令和の「令」は「命令する・言いつける・決まり」などの字義だが、出典になった万葉集の歌の令月では「よい・素晴らしい・立派な」の字義で解釈される。意味も響きも硬質・厳格な感じが強い。

新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初 (朝日新聞デジタル – 04月01日 11:58)

「令」は同じ音で、「玲(清らかで美しい)」や「怜(賢い・いつくしむ心がある)」などのより良い字義の漢字もあるが、これらは令の漢字から派生した漢字で歴史が浅い。恐らく日本の古典にも中国の四書五経にも、「玲和・怜和」の出典がなくて勝手な漢字利用になるので使えない。また画数が多くなることも敬遠される。

○閉鎖的環境で一人の異性だけに愛憎を募らせて悶々とするタイプの人はストーカー化しやすいが、この手のストーカー殺人犯は「自分だけ何年も苦しめられて相手だけ楽しんでいる被害妄想」で異常な行動に出やすい。

杉並保育士殺害 逮捕の同僚、一方的に恋愛感情か (毎日新聞 – 04月01日 06:01)
実際に被害者女性にアプローチして振られたとの情報も出ていないが、勝手に6年間も片想いして、相手が自分になびかず他の男に行ったからと逆恨みしたのなら迷惑極まりない話ではある。普通に考えれば、男女が同じ環境に何年も一緒にいて何も男女の仲への発展可能性がないなら、女性にとっての好みから外れているだけである。

ストーカーにも「いったん付き合ってから(結婚してから)別れてストーカーになる人」と「何の関係もないのに片想いでストーカーになる人」がいる。後者は少なく、殺人までするのは前者の元交際相手の方が多いのだが、男女関係に関しては「どうして自分の所に来ないのか?」を本気で考えたら病的な犯罪者思考になりやすい。

恋愛や結婚に関しては深くあれこれ悩んでいる時に良い結果はでないし、悩んだり苦しんだりしても、基本的に相手には何の影響もなく逆に嫌われやすい。「なぜ自分の所に来ないのか?」で何年も思い詰めるのも馬鹿げた話で、少しでも女性に好意があれば何らかの接近や遊ぶ機会がある。ない理由は「好みじゃない」だけが多い。

男女関係は不思議なもので、強く執着して思いこがれるような人からは大抵好かれず、上手くいく人とはそんなに丁寧に接さなくても、短期間でトントン拍子で深い仲になることが多い。無論、極端に印象・感じが良くて一目惚れしたような相手というのは、他の男にとっても魅力的なことが多く、表面的な親しさからの発展が難しい。

被害者女性は、誰に対しても優しくて人当たりの良い女性だったようで、加害者のような職場以外で女性と交流することのなさそうなタイプの男性を、閉鎖環境で勘違いさせやすかったのかも。「同僚としての感じの良さ」は「異性としての欲望」を向けると、途端にそっけなく変わることがあり、愛憎を煽る要因になることがある。

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海音寺潮五郎の人を斬らない「剣客論」、「ビットコインゾンビ論」、「若さ・美しさ」の呪縛にはまる現代人 など

○海音寺潮五郎が「剣客論」で、宮本武蔵が高弟の青木又右衛門が他流試合を受けようとした時、格下の相手でも勝負を受けてはならず、世評で相手を自発的に屈せさせることを上策としたエピソードを紹介していた。江戸から幕末にかけて一流の剣客として名前を残せた者の多くは勝てる勝負だけをして、多くは名声で屈伏させたという。

孫子の敵を知り、己を知れば、百戦危うからずではないが、江戸初期や幕末期に実力で一流の剣客なのに無名で終わった者は、「常に強い相手との真剣勝負をして死んだ者」「奥義を極めようとして心身を限界まで鍛練して自滅した者」であった。また実際に剣術が優れていて名前がある剣客の多くは、人を斬った経験がなかった。

関ヶ原の前後、自流を大きくした兵法者は、実力もあったが、プロパガンダの宣伝家や自己顕示のテクニックに優れた人物でもあった。一定以上の大勢力となり、流派の奥義や過去の果たし合いの超人的エピソードを世の中に広めることで、並みの剣客や兵法家は自発的に屈伏することが多かったのである。

元禄時代に日本一の剣客とされたのは、堀部安兵衛の師の堀内源太左衛門であるが、この人も実際に人を斬ったことはなく、果たし合いもない。幕末の三大剣客の斎藤弥九郎、千葉周作、桃井春蔵も斬った経験はなく、真剣も使わなかった。西郷隆盛は言わずもがな、大久保利通や木戸孝允、高杉晋作らも一度も斬っていない。

○男女交際・結婚で経済的に一円も損したくない、貯金や資産を毎月一円でも増やして積み上げる人生設計をしたいなら、お金を貸してという男とは別れるしかない。

「お金貸して」という彼氏、どう思う?だらしがないと思いつつ「それでも結婚する」女性は●割! (Suits-woman.jp – 04月05日 08:00)

その経済・金銭・職業の価値観は絶対ではないが、安定を望む過半の女性にとって優先度の高い価値観になりやすい。学生を除けば、勤勉にサラリーマンで働き続けて無駄遣いしない人なら、貯金はあってもお金を借りなければどうしようもない状況に陥ることはまずないは言える。無論、将来どうなるかは分からない要素も多いが。

少額のすぐ返せる金額で、実際に滞りなく返すなら問題はないが、キャッシュレス化で「現金の持ち合わせがないから貸して欲しい」という状況もなくなっている。まあ、異性や話し相手・遊び相手として好きで、自分が稼げるか十分なお金があって、それほど無理な金額を貸してといわないなら、許容範囲という人もいるだろう。

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