映画『華麗なるギャツビー』の感想

総合評価 89点/100点

F・スコット・フィッツジェラルドの“The Great Gatsby”を映画化した作品。ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)の波乱万丈の純愛に生きた短い人生を、唯一の友人としてギャツビーと最後まで付き合うニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)の視線を通して描く。

ニックの自宅の隣に建っている宮殿のような豪邸では、毎日のように政財界の大物やハリウッドの名優、金持ちのドラ息子らが集まって、湯水のようにお金を使うド派手なパーティーが開催されている。豪壮な館の主人の名はジェイ・ギャツビーと呼ばれる青年大富豪だが、その過去の出自や実際の職業(お金の出所)は謎に包まれており、表向きはドラッグストアチェーンの事業の成功によって莫大な富を築き上げた人物とされ、政財界・警察の長官にまで通じるその幅広い人脈は『法の支配』さえ寄せ付けないような絶頂期にある。

1920年代のアメリカの株式市場の狂乱、禁酒法の反動による享楽主義の広がりの中、ジェイ・ギャツビーは人々の欲望を燃料にして有り余るほどの財産と地位を築き、5年前の目的を果たそうとする。ギャツビーが法律の網を潜ってリスクを顧みずに金持ちになった目的は、軍の青年将校時代には『身分・経済の格差』から近づけなかった初恋の相手デイジー・ブキャナン(キャリー・マリガン)と結婚するためだったが、既にデイジーはトム・ブキャナンという成功した実業家・ポロの選手と結婚していた。

英国紳士としての完全な教養と優雅な所作を身に付け、トム・ブキャナンなど及びもつかない破格の経済的成功を遂げたジェイ・ギャツビーには、デイジーをトムから奪い取る自信と計略があり、そのためにデイジーの又従兄弟である冴えない証券マンのニック・キャラウェイに近づいたのだった。

デイジーが本当は自分のことが好きだったのに仕方なくトムと結婚しただけなのだという確信によって、不遇な自分の心境を支え続けてきたギャツビーの最終的な目標は、デイジーにトムに対して直接『あなたのことなど、一度も好きだったことはない』と宣言させて別れさせること(過去を無かったものにする決定的な宣言と共にデイジーに自分を選ばせることでそれまでの嫉妬感情を清算すること)だった。

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“他人とのコミュニケーション”の面白さ・煩わしさ:共通点がなさそうな相手との雑談の苦手意識

職場で上司や同僚、取引先と『直接の業務以外の雑談(おしゃべり)』をする若者が減っているというが、関係性に合わせてやり取りをする『儀礼的なコミュニケーション機会』が社会から減ってきていることも関係しているだろう。

現代社会は『親密なコミュニケーションを取る範囲』を地域社会の顔見知りからご近所の隣人、近しい血縁者、同居の家族、親しい友人知人、付き合っている恋人などへと縮小するゲゼルシャフト化(利害共同体化)の傾向を示してきた。

話し方マニュアル本大ヒットの陰に「しゃべらぬ若者」の存在

それは『煩わしいムラ社会・儀礼的な人付き合い・噂話が生み出す世間体』から逃れたいという欲望と経済・技術の進歩がシンクロした必然の結果でもある。

ウェブ社会の発達やソーシャルメディアの浸透は、『自分の好きな人とだけコミュニケーションしたい(自分の好みや相性で選んだ相手とだけつながっていたい)』という個人の欲望を技術的に充足させやすくした。『好きでも嫌いでもない相手とのコミュニケーション機会』は限定的となり、『不快で嫌いな相手』はアクセスそのものが禁止(表示そのものがブロック)されたりもする。

お互いの状況や考え、気持ちについて頻繁に会話をする『プライベートな人間関係の範囲』はかなり狭くなり、携帯電話の普及によって『話したい相手』と『話したくない相手』との主観的(好き嫌い)な選別もより技術的に簡単になった。

自分にとって感情的なメリットや関係維持の必要性がないと思える他人と、なぜ話さなければならないのか(なぜ話題をあれこれ考えてあげなければならないのか)、自分がまったく興味のない話題や同意できない旧世代の考え方などをなぜ聞かされなければならないのかという価値観を持つ人もおそらく増えていると思う。

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