映画『スティーブ・ジョブズ』の感想

総合評価 73点/100点

世界最高のクリエイターやプレゼンテイターとして評価されるアップル創設者のスティーブ・ジョブズの人生を映画化した作品。特に、共同設立者スティーブ・ウォズニアックをはじめとする身近な仲間たちと一緒に、アップル社を小さなガレージで起業して軌道に乗せ、次第に大企業として成長していくまでのプロセス、その時々におけるジョブズの生々しい人間性や人間関係の対立を詳細に描いている。

アップル社が大きくなっていくに従って『スティーブ・ジョブズと旧友だった初期メンバーとの意識の差』が開いていくが、ジョブズは『現在のアップルに必要のない人材』だと見れば即座に首を切る冷淡さも併せ持つ。旧知の友人でスタートアップのメンバーであっても、技術者・管理者としての能力が低ければストックオプションの報酬を与えないまま退職にまで追い込み、旧友から怨みを買ったりもする。

スティーブ・ジョブズの成功の起点は、商売っ気のない趣味で基盤いじりを楽しむコンピューターオタクだったスティーブ・ウォズニアックの自作のコンピューターのマザーボードに、『個人用のパーソナルコンピューター(パソコン)の時代の到来』を予感したことだった。

こんなものを個人で買いたがる奴なんていないと自嘲するウォズニアックに、ジョブズは絶対にこれは売れるようになると断言し、暇をしている仲間を集めて『ガレージでの人力の量産体制』を何とか作り上げて納期に間に合わせた。2012年に世界最高の時価総額の企業となったアップルの第一歩は、こんな個人事業に毛が生えたような所から始まった。アメリカ企業史でも卓越した成功事例だとされる。

ジョブズは猛烈な行動力と営業力、説得力のあるプレゼンテーションと負けず嫌いの交渉によって、何の知名度も実績もなかったアップル社のパソコンを売り込んで融資を取り付ける事にも成功する。当時のコンピューター産業の巨人であったIBMがまだ独占していない『パソコンのニッチ市場』に深く食い込み、マッキントッシュでは目に見える形で直感的操作がしやすい革新的なGUIを開発した。

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映画『人類資金』の感想

総合評価 73点/100点

特定の民族や国家のためではなく、人類全体の公共的な利益と人々の公正な処遇・教育(能力開発)のために使われるべき旧日本軍が残した『M資金(Mankind Fand)』、このテーマは壮大であり興味を惹かれる。だが惜しいのは、世界観・人物相関の醸成とマネー経済(マネーゲーム)の掘り下げが不十分であるため、『M資金の運用・効果を通した可能性のリアリティ』が伝わってきにくいところである。

現在の資産価値に換算して約10兆円という金額も、『世界の理不尽な現状を変えるためのパワー』としてはインパクトが弱く、10兆円だとちょっとした多国籍企業の時価総額と変わらずAppleやGoogle、トヨタよりも総合的な資金力が弱い(アメリカの覇権主義に抵抗するというストーリーだが10兆円では米国の軍産複合体には全く歯が立たず世界を動かせそうにない)というイメージになってしまう。

旧日本軍が『本土決戦』に備えて日銀の地下倉庫に蓄えていた金塊を運び出した笹倉雅彦大尉は、『旧日本の体制の復活(対米のゲリラ活動など)』のためにこの金塊を使うことを拒絶して、目的外の金塊使用で祖国を裏切るつもりかと難詰する部下を刺殺する。一国家のメンツよりも大きな視点に立ち、人類全体の福利を増進させるための『M資金』の原資として旧軍部の金塊を盗み取った笹倉大尉だが、それ以降、その巨額資金は笹倉一族や米国のファンドにマネーゲームの道具として運用されることになってしまった。

子の笹倉暢彦(のぶひこ,仲代達矢)の代には、笹倉大尉の本来の理想は忘れられることとなり、日本の戦後復興や朝鮮戦争(米国の軍事)、高度経済成長、政財界の裏金、日米の経済関係などにM資金は流用されるようになった。しかし、孫の笹倉暢人(のぶと,香取慎吾)は、祖父の笹倉大尉の『M資金設立の原点(人類を間違った歴史の道から救い世界の人々を支援する)』に立ち返ることを目指し、米国のファンドが主導権を握って運用している時価総額10兆円の『M資金』を奪い取る計画を立てる。

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映画『R100』とその他の映画(『スター・トレック』『許されざる者』『エリジウム』など)の感想

総合評価 50点/100点

松本人志監督の『R100』は、昏睡状態に陥った妻(YOU)を看護しながら家具店で働いている真面目な片山貴文(大森南朋)が、秘密倶楽部の『ボンテージ』に入会してマゾヒズムの快楽に目覚めていくというナンセンスなストーリー展開になっている。

未体験リアルファンタジーエンタテインメントと銘打っているが、映像の色調の暗さや大森南朋の『快感を得ている顔の修正』に非現実感が微かに感じられる程度で、ファンタジーのジャンルに括れるかは微妙だし、SMがテーマだといってもエロティックな描写に重点があるわけでもない。

ただ冨永愛や佐藤江梨子、寺島しのぶ、大地真央などの出演陣がボンテージファッションを着せられているだけの映画とも言えるが、ガタイのいい白人のボンテージCEOが出て来て暴れる後半の戦闘シーンは一体前半のストーリーとどういった接続をしているのだろうか…。

『ストーリーの連続性』と『SMのテーマの必然性・奥行き』がない映画のため、ただ映像を眺めているだけであっけなく終わるという印象だが、実生活の中に突然暴力的にSの女王が闖入してきて嗜虐的な行為をするという『ボンテージ』のシステムの新しさを強引にリアルファンタジーとして解釈するしかない。

そもそも、100歳になるような高齢の監督が自分の世界観だけで突っ走って制作している『劇中劇』として『R100』は設定されており、映画の中の制作会議でも『R100のストーリーには前後のつながりとテーマの意味がないという舞台裏の話』が繰り返されているわけで、そのタイトルのまま、『100歳未満の鑑賞禁止のブラックナンセンス映画』である。

映画の感想は暫く書く時間がありませんでしたが、『R100』より前に見た映画の評価と寸評は以下になります。

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