“夫婦(カップル)はどうして顔が似ているのか?”と“顔が似ているか否かの判断基準”

男女のカップリングは社会経済的要因を過度に重要視しない人であれば、社会的バランス理論によって『外見的・性格的な魅力のバランスが取れた相手』を選びやすいとされるため、一般的に何となく『お似合い(似たような雰囲気)のカップル』に落ち着きやすい。

男女相互の魅力のバランスの基準には、『外見・性格・価値観において自分との類似性が高い相手』も含まれているが、厳密にどのくらいの割合のカップルが有意に顔(外見)が酷似しているのかまでを調べた研究はない。

社会的バランス理論でも『総合的な魅力のバランスや類似性』のほうが強く働くので、『顔だけの酷似』がどれくらいの頻度で発生するかははっきりしないし、『カップルを見る側の主観的な判断・印象』にも相当に大きく左右される。

「夫婦は顔が似てくる」は間違い!そっくりカップルが生まれる意外な真相

本当に『夫婦は顔が似ている(自分や親に顔が似ている相手を無意識で選ぶ人が多い)』のかは統計的な根拠が確実にあるとまでは言えず、大きな財産や権力、地位が関与しないカップリングのケースでは、『自分の外見の一般的な評価水準』は『相手の外見の一般的な評価水準』と概ね同じ程度であることが多いということまでしか言えないだろう。

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ドン・ヘラルドやマリリン・マンローの名言(アフォリズム)と雑感

If I had my life to live over, I would try to make more mistakes. I would relax. I would be siller than I have on this trip.

Don Herold

私がもう一度人生を生きられるとしたら、今よりももっとミスをしようとする。リラックスして、今回の人生の旅よりもっと構えずにバカになりたいね。

ドン・ヘラルド
(ロバート・ハリス『アフォリズム』より引用)

『もう一度人生をやり直せたらどうしたいか?』という問いには、『もっとしっかり勉強しておけば良かった・もっと進学や就職を真剣に考えるべきだった・あの時にミスやバカをしないようにすべきだった』というような“今よりもストイックな生き方”を求める答えや後悔が多かったりする。

アメリカの作家のドン・ヘラルドは、64歳の時に書いたエッセイ『もっとたくさんのデイジーを摘もう』で、『想像上のリスク・トラブル・失敗に怯えた人生の損失』を大きく見積もって、『もう一度生きられたら今度はもっとバカになって考え過ぎずにやりたいことをどんどん迷わずにやる』というもっと楽しみたかったの心情(それなりに自由奔放に生きた人物だったにも関わらず)を吐露しているのが面白い。

準備したり用意したり積み上げたりといったプロセスは、一般に備えあれば憂いなしにつながる有効なプロセスではあるが、『想像上のリスクや妄想的な不安感の回避(完全な防御)』のためだけの“遊び心・自由度・チャレンジの欠落し過ぎた人生”にならないようにすることもまた『自分の人生』を生きる上で大切である。

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映画『SPEC ~結(クローズ)~爻(コウ)ノ篇』の感想

総合評価 80点/100点

ファティマ第三の予言に基づく“シンプルプラン”は、御前会議の支配階級が主導する特殊能力を持つスペックホルダーの全滅作戦という建前だが、その真の計画は『先人類による新人類の絶滅作戦』にあった。

地球を私物化して環境汚染と精神破壊を続け、同類で憎み合い殺し合う劣等な新人類の歴史を終焉させるため、先人類であるセカイ(向井理)、青池潤の外観を持つ女(大島優子)、ユダ(遠藤憲一)が、冥界の門を開いて現在の地球と人類を一瞬で壊滅させる『ソロモンの鍵』を手に入れようとする。

ストーリーそのものは『ガイア思想・エコロジー思想・原罪の性悪説・最後の審判(一神教の裁き)の変奏』であり、こういった終末論的な物語では定番化したスタイルではある。地球を一つの生命体と見なすガイアの立場から、人類を『過ちの歴史から学習できない有害無益な劣等生物種』と見なす先人類は、今までも何度も人類が支配する地上を崩壊させてリセットを繰り返してきたという設定である。

太古の地球において、圧倒的なスペックを持つ先人類は、疑うことや支配することを知らない精神の純潔さゆえに、狡知と計略、数の力に秀でたスペックを持たない新人類に一度絶滅させられたという屈辱の遺恨を持っている。

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