『永谷園 たらこ茶漬け』が近所のスーパーで売っていない(仕入れられなくなった)謎。

どうでもいい話題なのだが、かれこれ10年近く(もしくはそれ以上?)、近所のスーパーやコンビニから永谷園のお茶漬けシリーズの中の『たらこ茶漬け』が完全に姿を消してしまい、買いたくても買えない状況が続いていた。

『のり茶漬け』と『さけ茶漬け』ばかりが山積みされているのに、恐らく一番人気があるだろうと思われる『たらこ茶漬け』だけが仕入れされなかったため、勝手に明太子の原価高騰などの製造コストの問題か何かのために販売を中止していたのかと思い込んでいた。

一度、店員か店長にでもたらこ茶漬けを仕入れて貰えないか(なぜ急に店頭から姿を消してずっと入荷されないのか)聞いてみようとも思っていたのだが、『今日も無いな~。もう製造中止にでもなったのだろうか』と思っているうちに、何年かの歳月が経って殆ど存在を忘れかけていたのだが、先ほどふと思い出して検索してみた。

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内閣総理大臣と『憲法解釈権』が結びつくと、『立憲主義・三権分立の歯止め』がなくなる。

内閣総理大臣に『憲法解釈権』があるとするならば、内閣総理大臣は旧帝国憲法下における主権者の天皇以上の権限を持つことになるわけだが(昭和天皇でさえ立憲君主であることを自認され天皇機関説を支持されていたわけで)、『憲法解釈を司ることができる個人の代表者』というのは英国のマグナカルタ以前の専制君主、市民の第一人者(民意の集積者)として月桂冠を被った古代ローマ皇帝のようなもので『近代化された国制・法制の否定』の願望のようなものである。

ブルボン朝のルイ14世は『朕は国家なり(朕を制約する上位法はない)』とのたまったとされるが、君主制への逆行は冗談にしても選挙で選ばれた政権党の代表者(首相)が、憲法解釈を自分の思想信条で左右して立法措置(政策遂行)までできるというのはいずれ時代錯誤な話ではある。選挙で勝っただけの政権与党が、イコール憲法原則の中身であるはずもない。

解釈改憲で安倍首相擁護=渡辺みんな代表

安倍首相は立憲主義の本質を理解していないという批判をされているが、首相は国会答弁において『国家権力を制約するという意味の立憲主義は、絶対王政時代のものであって民主主義の現代にはそぐわない・選挙による審判や大多数の国民の民意があれば、国家権力を立憲主義で制限する必要がない』という持論を語った。

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浅田真央と金妍兒(キムヨナ):伝わるフィギュアスケートの緊張感と近代オリンピックの精神性

浅田真央選手がFPで自己最高の142.71点をマークする素晴らしい演技を見せて、SPの不運を払拭するような満面の笑顔を浮かべた。順位も16位から10位まで大幅に上昇させた。キムヨナ選手はSPとFP共に安定感のある演技を見せて銀メダルを獲得、競技種目の総合成績ではライバルとして並べられることの多い浅田真央を上回ったが、二人の選手の演技はメダルの有無・点数の高低だけでは測れない素晴らしいものでもあった。

フィギュアスケートという競技種目は、横に並んだ相手と直接競い合うスピードスケートやスノボークロスなどと違って、『観衆に見られる自分の意識との戦い』がダイレクトに結果に結びつく種目、横にいる相手に負けまい(抜かせまい)とする剥き出しの闘争心ではなく、『高度な自己制御・自己管理』が常に求められる緊張度の高い種目だと感じる。

五輪フィギュア:浅田6位 3回転半成功 涙の自己最高

そもそもフィギュアスケートは、スノボークロスのように自分の横で同時に競い合っている他の選手がいない、自分の順番が回ってきた時にどの選手も自分一人で滑って観客が注視する中で最高の演技をしなければならない(スノボーハーフパイプなど同じような種目は他にもあるが)。

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慶応大生による自殺教唆事件:『言葉の暴力』で限界まで追い詰められてしまう人・精神状態

自殺教唆というのは非常に発生率(逮捕件数)の少ない犯罪であるが、それは通常、『自殺しろ(自殺したほうが良い)』などと人に言われても、素直にその言葉に従って自殺する人が極めて少なく、また他人に自殺を意図的に教唆しようとする人も少ないからである。

自殺教唆容疑で慶大生逮捕=メールで繰り返し「死ね」―交際女性飛び降りる・警視庁

この事件では、別れ話を持ち出した女性のほうが、振られた男性(別れを告げられた側の男性)から自殺を教唆されて飛び降り自殺を決行していて不思議な感じもするが、元々、この容疑者男性と恋愛をしている最中から、『自殺をしてもおかしくない弱った抑うつ的・自己否定的な精神状態』にあったか、何度かの自殺未遂(あるいは自殺企図にまでは至らない自傷行為・希死念慮の打ち明け)などを起こしていた可能性が想定される。

別れの原因が何だったのかは不明であるが、容疑者との恋愛関係におけるDV・モラルハラスメントの可能性も含め、『付き合っていること(相手の言動・態度)による精神的な不安定さ・混乱・自己否定』があって、別れ話を切り出す時点で相当に精神的に不安定だった(それ以上の精神的攻撃やストレスを受けると持ちこたえにくい精神状態だった)のではないかと思う。

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映画『ラッシュ プライドと友情』の感想

総合評価 91点/100点

1970年代半ばのF1には、イケメンで女好きなジェームズ・ハント(クリス・ヘムズワース)と職人気質で生真面目なニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)という対照的な二人の天才ドライバーがいた。当時のF1マシーンでさえ270キロ超の時速を出して走ることができ、約20%の確率でF1ドライバーはレースで事故死する運命に常に晒されているという。

正常な神経とリスク判断では、0.01秒単位のわずかな操作ミスやメカニカルエラーであの世にいく異常なスピードで難易度の高いコースを走り抜くことはできない。冒頭で語られるように、F1の第一線で生死を賭けてトップを競り合うようなドライバーは多かれ少なかれまともな精神状態や人間性ではいられない。

狂気的なリスクテイカーか自分は特別な天才だと思い込める自信家、一般社会に適応できない変わり者、突き抜けた刺激と成功を追い求める野心家、それらの性格と合わせて何らかの手段でレースやマシンに必要な大金(スポンサー)を集められる者が、F1の上位層にまで上り詰めてくる。

容姿端麗で体格にも秀でたイギリス人のジェームズ・ハントは、裕福な生活をして好みの女を抱き、わいわい仲間と騒いで美味いモノを食べる、自分の持てる能力を出し切り人生を最大限に謳歌するために、F1の頂点を天性の才能と決死のリスクテイクで目指す。

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『アラブの春』を寒風に変えたシリア内戦の泥沼2:アメリカ主導の中東民主化の機能不全と大国の中東政策の自己矛盾

シリアは前近代的な家産的官僚制に支えられた王政(アサド一族の王権)であるから、王政を転覆しようとする反体制運動を暴力で鎮圧することに躊躇がないし、アサド政権に味方する軍・治安部隊も『国民の保護者・奉仕者としての意識』をそもそも持っておらず、『アサド家の軍隊としての意識(前近代的な専制君主やその体制に忠誠を誓った軍隊のような意識)』のほうが強いだろう。

『アラブの春』を寒風に変えたシリア内戦の泥沼1:アラブの春の総体的な挫折とシリアの国民アイデンティティの分断・拡散

国民を守るための軍隊なのではなく、アサド家の王政的な体制を守ための軍隊としてしか機能していないことからも明らかであるが、アサド大統領の独裁体制が長らく国際的にも承認されてきた理由の一つは、『シリア・ムスリム同胞団の防波堤(イスラム原理主義勢力の抑圧体制)』としてアサド体制が機能していたからであった。

中東の国々が民主化して世俗主義(ある意味では親米・国際協調路線)の独裁者を追放すれば、大衆が素朴に信仰しているイスラームの影響はどうしても強くなり、正当な選挙を行えば『ムスリム同胞団の宗教政党』が勝って、次第に政教一致体制・反資本主義(反グローバル化)の宗教国家の趣きが強まっていく。

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