静岡県沼津市の小学生男児の交通死亡事故:理不尽な事件・事故のゼロ化への欲望の向かうところ。

29歳の中学校教師が運転する軽自動車が、10日午前6時55分ごろ、静岡県沼津市松長の県道交差点で中央線を越えて小学校4年と5年の男子児童2人をはねて、小学校5年生の男児が死亡したという自動車事故。

2児はねられ小5死亡 運転の中学教諭、過失致死傷容疑

子供が犠牲になる自動車事故はより一層の悲しみや理不尽を感じやすく、当事者以外にも共感・同情されやすい。また、死亡事故を起こした加害者への怒り・不満・処罰感情が集中しやすく、インターネットでは交通死亡事故や無謀運転の結果の事故を引き起こした加害者には痛烈な道徳的非難や人格否定のコメントが叩きつけられることになる。

一方で、意識や認知、能力、健康状態が不完全な人間が運転する車は、どれだけ注意していても死亡事故の刑罰を引き上げても、確率論的に交通事故を起こすという側面を否定できず、重大事故や死亡事故を起こした加害者にしても事故を起こしたくて起こしたという人はほとんどいない。事故後にどれだけ激しく罵倒されたり誹謗中傷されても、それによって現状以上に交通事故件数や交通事故死者数が大きく減る可能性は低いだろう。

高度経済成長期に毎年約1万5千人以上の交通事故死者を出した『交通戦争』と呼ばれた1960~1970年代の時代から比較すれば、交通マナーの向上や飲酒運転・危険運転の厳罰化が為され、人命を奪い人生を狂わせる自動車事故の恐ろしさの啓蒙が進んだ現代は、かつてよりも交通事故で死ににくい時代(認知症者なども含む高齢者がひかれる事故件数は増加しているが)になってはいる。

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松本清張の『啾々吟(しゅうしゅうぎん)』の感想:人に容れられなかった石内嘉門の不条理な運命

肥前佐賀藩(鍋島藩)において、幕末の弘化三年丙午八月十四日に生まれた三人の男。

肥前守・鍋島直正の嫡男である鍋島淳一郎(なべしまじゅんいちろう)

鍋島藩家老の子である松枝慶一郎(まつえだけいいちろう)

二百俵三人扶持御徒衆・石内勘右衛門の子である石内嘉門(いしうちかもん)

同年同月同日に生まれた鍋島藩の三人は、『大名の子・家老の子・軽輩(身分の低い藩士)の子』とそれぞれに境遇が異なるが、封建時代の身分の格差・遺風は三人が成長して明治維新を迎えてからも、どこか宿命的な影を落として消えることがない。

全く同じ日に産まれたという主従関係の因縁によって、松枝慶一郎と石内嘉門は君主となる鍋島淳一郎の近習(お側付きの学友)となり、その中で最も学識の才能を示した頭脳明晰な若者は石内嘉門であった。

三人の先生である藩儒・草場佩川(くさばはいせん)は、学問に熱心で聡明・利発な石内嘉門を初めは評価して、特別に高度な内容の個人授業を施していたのだが、後に『頭脳(あたま)はたしかによいほうです。だが、どことなく、可愛気のない子ですな』と嘉門の人物を気に入らない様子を見せる。そして、この『上の人から好かれない・能力を他人(世の中)に受け容れられない』ということが石内嘉門に時代を超えた呪縛・怨念のようにまとわりついて離れず、次第に嘉門の人間性を腐らせていく。

石内嘉門の人物と才知を最も高く評価していたのは幼馴染の松枝慶一郎であり、松枝は何とかして有能な嘉門を取り立ててやろう推挙してやろうと腐心するのだが、『松枝だけが認める嘉門の人物・能力・才覚』はどうしても他の上の人間には受け入れられず認めてもらえない。同じ日に生まれて長らく側に仕えていたはずの主君・鍋島淳一郎(鍋島直大)からも次第に冷遇されて遠ざけられていく有様である。

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松本清張の『梟示抄(きょうじしょう)』の感想:元参議兼司法卿の江藤新平の無残な最期

松本清張が幕末から明治初期の時代を題材に取った最初期の短編集『西郷札』は、歴史小説の読み応えのある秀逸な短編が多く収載されている。ミステリー作家ではない松本清張の歴史的な人物の選定眼や独自の歴史解釈の妙味を味わうことができる一冊だ。

『梟示抄(きょうじしょう)』とは聞き慣れない言葉だが、端的には明治初期の刑法にあった梟首刑(きょうしゅけい)を受けた人物の抄訳という意味である。梟首とは犯罪者が斬首(打ち首)にされた後に、三日間にわたって晒し首にされる見世物(見せしめ)の要素のある公開処刑のことであり、日本でも1879年(明治12年)の太政官布告で非近代的(野蛮)な残虐刑として廃止されるまで存続していた。

江戸時代には、下手人の首を市中で晒し者にする『獄門』と呼ばれる刑罰が梟首に当たるが、死体の埋葬や葬礼を許さない名誉剥奪の刑罰という側面も濃厚に持っている。

明治維新の後、『征韓論』を主張して政争に敗れた西郷隆盛を押しのけ、最高権力の座に上った参議・大久保利通は、この梟首刑を『佐賀の乱(1874年)』を主導した江藤新平に対して容赦なく執行するのだが、元司法卿(元閣僚)の法理を修めたエリートであり維新十傑に数えられる肥前出身の江藤新平を『ただの賊(反政府勢力)』として名誉を奪い晒し首にしたことで、大久保利通は薩長藩閥が要職を悉く牛耳る政府(官軍)の正当性を天下に知らしめることとなった。

江藤新平が司法卿の地位を辞任して故郷に下野した理由の一つは、『征韓論が容れられなかったこと』であるが、その前段階として『裁判所増設・司法権の独立のための司法改革』を長州閥の井上馨と山県有朋に妨害されており、江藤新平の内心では『薩長中心の藩閥政府に対する不満』が兼ねてより鬱積していた。

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STAP細胞問題:“研究不正・STAP細胞の有無”を巡る理研と小保方晴子氏との対立

理化学研究所の調査委員会は、STAP細胞研究の調査結果について『実験データ及び実験画像の改竄・捏造が行われた研究不正に当たる』と認め、これらの一連の研究不正は小保方晴子ユニットリーダーが単独で行ったものだと指弾し、組織全体の責任は間接的なものに留まるとの見方を示した。

小保方氏本人の論文の書き方の間違いや研究者としての倫理観の甘さなどの問題はあったが、理研は小保方氏個人を切り捨てることで組織防衛の姿勢を明確にするような会見を行ったことになる。関係者の処分は後日に発表されるようだが、懲戒処分は解雇を含んだかなり厳しい処置になると思われる。

STAP細胞:理研「研究不正は小保方氏単独で」

小保方氏本人が『STAP細胞の作製に成功したという事実に不正はない』と主張していることから、泥沼の法廷闘争に持ち込まれる恐れもあるが、『研究・実験の結果の正しさ』があっても『正しさを立証するための手順・方法・証拠』に大きな落ち度があれば、科学者としての信用・名誉は保たれづらいものにはなる。

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高校生の8割以上がスマホを所有する現代のウェブ社会。『リアルとウェブの融合度』『コミュニケーション可能範囲(情報収集範囲)の拡大』にどう適応するか。

現代のネット社会においてスマホは必需品とまでは言えないが、モバイルでネットにアクセスしたり、ゲームや各種アプリを活用しやすい情報端末としては優れている。スマホの代わりにノートパソコンやタブレットでも良いという意見もあるが、ノートパソコンはどちらかといえばOfficeやメールなどを活用するビジネス用途に向いており、出先で気軽にウェブにアクセスする端末としては不向きである。

高校生の8割超がスマホ所有 1年間で30ポイント増

タブレットはスマホのように単体で通信する機能を備えていない事が多く、WiFiルーターやテザリングを介してネットに接続しなければならないので、意外に手間がかかるのが難点だ。

スマホの欠点は毎月のパケット定額制の通信費が嵩むことであるが、別のWiFiルーターなどが不要で、スマホ単体で即座にネットにアクセスしたりアプリのプッシュ型配信を使えるというのは便利だろう。スマホでしか使いにくいアプリやゲームというのも多くある。

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オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が、日本の調査捕鯨に中止命令。

国際司法裁判所は一審制であるため、異なる争点から対抗的な訴訟を提起しない限りは、上訴はできずにその判決に従うしかない。日本の捕鯨は、政府の助成金を抜きにした利益はでていないため、『商業利益を得るための捕鯨』というよりは『科学的調査を兼ねた食の伝統文化を保存するための捕鯨』に近い。

国際捕鯨委員会は1986年に商業捕鯨を禁止したが、禁止の理由は『鯨の頭数減少・絶滅危機と種の保存』であった。日本は鯨が絶滅危機にまで至っておらず、一部の鯨の種の頭数が増加傾向にあることを、統計的・合理的な推測から立証するために、『科学的研究を目的とする調査捕鯨』を法律の抜け穴として1987年に開始したが、当初は調査捕鯨で捕られた鯨が廃棄されずに販売されるのは(無意味な殺処分や海洋資源の無駄遣いを回避する意味でも)暗黙の了解でもあった。

南極海の調査捕鯨、中止命令 捕獲数「多すぎる」

ここまで国際社会で反捕鯨の価値観や政治行動が強まっている状況では、年間に1000頭以上を捕獲することを了承させる『調査捕鯨』の持続は現実的に困難であるが、日本国内における鯨肉消費量の低下を考えれば『数百頭の捕獲頭数の制限枠』でも鯨肉が好きな人の需要はそれなりに満たせるのではないかと思う。

いずれにしても、『完全な商業捕鯨の承認』の可能性は有り得ないのだから、捕鯨が容認されるとしても『捕獲頭数の制限つきの捕鯨』になるわけで、日本は反捕鯨国との間で『科学的根拠に基づく捕獲頭数の制限枠(1000頭を超える現状の維持は困難であり調査目的にしては数が多いという批判にも一定の妥当性はある)』についてすり合わせて交渉するしかないだろう。

日本の調査捕鯨は『国際法の条文』からすれば違法であるが、日本が捕鯨を持続するために取れる国際法変更の措置は、『調査捕鯨によって得られたデータから鯨の一部の種が絶滅危機にはないと科学的に推測されるのであれば、商業捕鯨の再開をしても良いのか』という科学的根拠(エビデンス)に基づく反論をオーストラリアを筆頭とする反捕鯨国にぶつけてみることである。

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