恋愛結婚を罪悪視して“石打ち刑”を科す事件。パキスタンやアフガニスタンなどイスラーム圏の一部における女性に対する過度の抑圧

先進国でさえ男女平等、女性の権利・自由の歴史は短く不完全だが、パキスタンやアフガン等の一部地域の『名誉殺人』は女性を家・男の所有物と見なす慣習や男権社会の抑圧、原理主義の狂信が関係か。

恋愛結婚許さず、父親らが石投げ女性を殺す パキスタン

イスラームだけでなくキリスト教やユダヤ教も『男権主義・父性原理の宗教』であり、リベラルな男女平等思想や女性の性的な意思決定とは相性が悪いところがあるが、イスラームはキリスト教のように世俗化してないので、『政教一致・生活規範の拘束力(敬虔さ・保守性)』が『不服従な女性への暴力』に転換する危険性は高い。

女性を『家・男の所有物(財物)のように見なす』というと、現代では女性個人の思想信条・行動の自由を認めない奴隷制度を彷彿させるような暗鬱な観念だが、見方を変えれば『所有する代わりの保護・庇護』が強い家父長制の家族システムの事である。前近代には自由な個人の意識そのものが希薄ではあった。

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集団的自衛権の行使可能性の議論と日本国民の生命・財産の保護のあり方

安倍政権は『日本国民の生命・財産』を守るために集団的自衛権の行使容認が必要だというが、日本領土が攻撃された場合以外のグレーゾーンの内容を聞くと、『日米安保条約の双務性(日本が血と汗の負担をしていないからアメリカから見捨てられるのではないかの不安)・アメリカの艦船や領土の共同防衛措置』に重点があるようである。

集団的自衛権:首相が必要性改めて強調 集中審議

中国との積極的な対話姿勢や妥協点(中国の政情変化を待つ棚上げ)の提案を見せずに、外交戦略の有効性が完全に失われた『周辺有事』の勃発可能性ばかりを盛んに強調しているのは不可思議だが、安倍政権は集団的自衛権を『国民の生命・財産の保護』のためというよりは、『対中国の封じ込め戦略・軍拡競争』ないし『国連軍(多国籍軍)の軍事制裁やPKOの駆けつけ警護への自衛隊参加』のために行使できるように憲法解釈を変更したいのだろう。

しかし、残念ながらアメリカのオバマ政権は、日本と共同で対中国の封じ込め戦略をするつもりは毛頭ないし、オバマ大統領は安倍首相との首脳会談で『中国との軍事緊張・領土問題を緩和させる外交的努力・交渉機会の設定』を勧奨しており、G2のアメリカと中国の外交関係や経済的相互依存は密接なものがある。

日米中が軍事衝突して相互に国交断絶・貿易停止をすれば、世界経済は短期間で瓦解してしまい、国家主権や軍事バランスをどうこう言っているような状況ではなくなるので、各国は国民のナショナリズムや仮想敵国への憤懣を利用したガス抜きは行うとしても、本格的な戦争にまで発展するリスクはゼロに近い。

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DSM-5で精神障害の日本語訳が変更される。“disorder”の日本語訳が『障害』から『症』へと変更に。

DSM-5ではDSM-4までの『多軸診断・カテゴリー診断』が廃止され『ディメンション診断(多元診断)』が採用されるが、簡単に言えば『精神疾患か否か』より『精神疾患の度合い・重症度』を重視する診断という事である。

「障害」を「症」に 精神疾患の新名称公表

DSM-5ではパーソナリティ障害と発達障害を中心に『多元的なスペクトラム(連続体)』を想定しており、『人間は誰もが正常ではない偏った人格状態や精神状態を持っている』ことが前提になっている。どのくらい偏ったり不適応になっているのかという度合いが問題であり、それを%で表示しようという姿勢がある。

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映画『そこのみにて光輝く』の感想

総合評価 78点/100点

北海道の函館市の鄙びた街を舞台に、生き甲斐を喪失して彷徨う孤独な男と暗く貧困な家庭環境に耐えて春をひさぐ女との恋愛を描く。

トタン屋根とプレハブ小屋のような家屋、仕事のない地方での貧困と売春(ピンク小屋)、家や親の後見がない女性の悲哀、ダイナマイト発破の危険な3K仕事、介護保険がない時代の自宅介護、ヤクザ崩れの地元実力者の愛人の囲い込みと恫喝など、原作の時代設定は平成の現代というよりは昭和40~50年代辺りをイメージしたものなのだろうか。

山の発破の仕事で起こった死亡事故に責任を感じている達夫(綾野剛)は、仕事を辞めて世捨て人のような一人暮らしを静かにしている。達夫は酒を飲んだりパチンコを打ったり散歩をしたりしながら、気ままで自堕落な生活を送っていたが、ある日、パチンコ屋でライターを貸してやったことが縁で拓児(菅田将暉)という同世代の遊び人風の青年と知り合いになる。

拓児には暴力事件を起こして少年院に入院していた前歴があるが、裏表のない気のいい奴ではあり、ライターのお礼に達夫に自宅で昼飯を食べさせてやるから来いと誘う。季節は暑い夏、屋根が錆びて古びたプレハブの家屋の奥の部屋から、拓児の姉の千夏(池脇千鶴)が汗ばんだ肌を露出した無防備な下着姿でタバコを銜えながら姿を現し、達夫は目のやり場に困っている。

女優の池脇千鶴は久しぶりに見た気がするが、『そこのみにて光輝く』では中年女性の熟れた色香を漂わせる池脇千鶴の肉のついたヌード・絡みありの演技が、昭和の日活ポルノロマン的な郷愁と悲哀を湛えている。

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