戦後70年談話に、中韓への謝罪を盛り込まない方針:戦後日本の先の大戦への『謝罪・反省・学び』とは何だったのか?

前大戦の『謝罪・反省・賠償』はそれぞれ異なるが、未来志向の本質は『戦前日本が犯した過ち=自民族の優越+外敵作りのガス抜き+武力による権益確保』について日中韓が共通認識を持ち同じ轍を踏まぬようにするということにあるのではないかと思う。。

70年談話「謝罪」盛り込まず=安倍首相、戦後に区切り

戦前の日本が行った『韓国併合・満州事変・日中戦争』の過ちを認め謝罪することはやぶさかではない。但し、戦争当事者の多くが鬼籍に入り、特に昭和天皇はじめ戦争指導者の殆どがいなくなった現代では、『歴史に学び繰り返さない為の謝罪・平和主義』はあっても『賠償+子孫世代の負い目の謝罪』の必要は薄れた区別もある。

中国や韓国の政府・人々に日本が訴えかけるべきは『過去の日本国が力による支配という過ちを犯したことは認めて謝罪し繰り返さない』が、『現在の世代の日本人に直接的な負い目・責任があるわけではない+戦後日本は平和憲法の下で専守防衛に徹してきた+民族憎悪を煽るだけの教育や宣伝は相互に慎む』等だろう。

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和歌山県太地町のイルカ追い込み漁批判、高齢者の催眠商法トラブルなど

肉食は人の残酷な業だが欧米は『家畜と野生動物の区別』でその原罪を希釈しているような感じもある。イルカ・鯨は知能が高くて人に近しい野生動物の象徴となっていて、異論排除の殺害禁忌に至っているが、 そもそも論として欧米人にとってイルカ・鯨が食用として用いられた歴史がないことが大きな影響をもたらしている。

イルカを追い込み漁以外の残酷ではない方法で捕獲しても、イルカを殺害したり傷つけたりする結果があるのであれば、欧米人は承認することはないだろう。

ある種の宗教的な信念・独善にも近いものがあるが、『犬食・猫食』を嫌う日本人の感覚をよりラディカルかつ感情的なものにしたと考えると分かりやすいかもしれない。

イルカ・鯨よりも人間に近しい解剖学的構造を持つサルだったらどうかと考えると、小型猿のサル食も激しい非難は浴びるだろうが、動物の権利(アニマルライツ)の象徴になっているイルカ・鯨よりもバッシングは小さいかも(類人猿にまでなると殺人に近い非難も起こり得るが)しれない。

イルカ追い込み漁の深刻さ 「英語の発信、圧倒的に少ない」「東京五輪のネガティブキャンペーンも」

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若者が恋愛しない理由についての記事の感想:『本能が壊れた動物』としての人間の恋愛離れ・未婚化・生殖戦略

進化的には恋愛の結果としての子作り・家族ではなく優れた子孫を確実に残しやすい生殖の為に恋愛・家族が発達したが、恋愛離れは『利己的遺伝子への自我・私意識の反逆』といった意味合いもあるような気がする……。

「若者が恋愛しない理由」が話題 原因は「お金」か、それとも他に「娯楽」があるから?

人間は性欲を含め『本能が壊れた動物』といわれる。それは利己的遺伝子が脳の内分泌系に仕込んだ本能は『セックスをしたい・魅力的な異性に近づきたい』までで、『子孫を残す本来の目的』までがっちりカバーできておらず、文化・慣習(婚姻)・共同体圧力の力を借りなければ遺伝子保存から逸脱しやすいからである。

猿人から新人へと進化した人類だが、大脳皮質の異常肥大は生物としての生存・生殖という自然の摂理の枠組みから外れる『精神と思想の遊び・個人の意識・文化の創造』を生んだ。生物の情報複製をメカニカルに統御する利己的遺伝子が、数百万年先の未来で起こる自意識と計算・避妊・技術・長寿・娯楽に想定外の影響を受けた。

人類は長らく宗教と家系(血縁主義)によって、子供を残すことの普遍的価値を後世に伝えてきたが、その前提になったのは王侯貴族・富豪であっても簡単に若死にする近代以前の『個人の余りにも短い人生と虚しさ』であった。自分の生きた証や死後も残る先祖(自分)の霊と祭祀の宗教感覚は人の生命の儚さを強く慰安していた。

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安倍首相が『ポツダム宣言』を詳しく読んでいないという話がでていたが…:日本の無条件降伏とは何だったのか?

安倍首相が『ポツダム宣言』を読んでいないことが取り沙汰されているが、当時の日本が無条件降伏と日本軍解散に同意する旨を受諾した事実をなかったことにし、『連合国側の第二次世界大戦の理解』に過ぎないと第三者の立場から牽制するのは、日本国の連続的な歴史的信任に責任を持つべき最高権力者として不見識の謗りは免れないのではないかと思う。

『ポツダム宣言』を現在の段階から受諾する・しないの議論はナンセンスだが、ポツダム宣言は連合軍にも甚大な犠牲を生んだ総力戦を終結させるための最後通牒としては『日本国民の生命・権利・土地・財産』に対し大きな譲歩がなされた宣言としての側面も持つ。連合国は従前の戦勝国よりも人道的な戦後処理を意図している。

無条件降伏の突きつけが連合軍の横暴だったかは微妙だ。ポツダム宣言にあるように『合衆国・英帝国・中華民国の陸・海・空軍は日本軍の数倍の力を有し、日本の軍・国土に対し最後的打撃を加え得る態勢を整えていたから』だが、近代日本の占領地を放棄して軍が平常の生活に戻ればそれ以上の侵略支配をしないと明言している。

大東亜共栄圏・八紘一宇を掲げた大日本帝国の占領支配の方法は、天皇をアジア広域の国父・元首とするパターナリスティックなもので、見方によっては温情主義的ではあるが各地の自由主義・人権・民族自決は抑圧されがちだった。ナチスドイツと連合軍の米英の戦争・統治も、自国民の自由と権利、戦争の目的に違いがある。

ポツダム宣言以前にも、日本はこの宣言より有利な条件で降伏できる機会があったこと、ハルノートの前後で日米戦争を避けるか初期の段階で講和に持ち込むかの交渉の文脈があったことが、『昭和天皇独白録』における御前会議の記録から伺われるが、過去の支配地への固執と強硬な条件突き付けで戦況が国家滅亡寸前に至った。

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