栗城史多氏がエベレスト再挑戦で登頂を断念:プロ登山家にも色々なチャレンジやスタンスがある。

栗城史多氏は2008年までは世界の高峰に順調に登頂したが、09年のエベレスト敗退から登頂率低下、12年に凍傷で指9本を喪失した。記録挑戦の登山家というより、ウェブを介した高峰登山の共有化の先駆者だと思う。

<エベレスト>栗城さん、登頂に再挑戦するも下山

栗城氏に対する批判は過去の冒険的な登山家と比較した時に『ストイックさ・フィジカルな体力・テクニカルな技術・公称記録の正確さ(単独無酸素・アルパインスタイル等)』で劣るというものだが、エベレストの単独無酸素も七大陸最高峰登頂も既に前人未到の記録ではなく、栗城氏は困難なバリエーション開拓の登山家でもない。

それでも一般の登山者から見れば、かなり危険で困難な世界の高峰の登山に挑戦しているプロ登山家ではある。

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“男性が話しかけやすい女性”とはどんな女性か?

積極的に相手を見つける意図があって参加したお見合いで『無表情・無愛想・相手の話題に無反応・目を合わせない』はただ時間の無駄をしているだけだろう。反対に日常生活で女性が『笑顔と愛想・話題に乗る・自ら話しかける』なら勘違いされ面倒臭いのでは。

男性が話しかけにくい女性の特徴4つ

女性で話しかけやすい人は『笑顔で穏やか・話題に乗る・目を合わせる』等の特徴を持つが、大半の女性はどういった態度で接すれば相手の男が喜ぶかくらいはそれまでの経験で知っているので、あからさまに無表情かつ無関心な対応は、それ以上親しく付き合うつもりがない事を察して貰う非言語的コミュニケーションが多い。

男性と女性の関係性や会話の継続で難しいのは『ファーストコンタクト』より『2回目以降のコンタクト』だろう。お見合いにせよ何にせよ、初回に会う時は、女性でも男性でも最低限の礼儀・常識がある人は相手に合わせて失礼な対応はしないので『本当に気に入ったかどうか』は表面的な言動だけでは分からないものである。

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女性の『あざとさ+可愛さ』は、男性にとっては関わりやすい隙(すき)にもなる。

『あざとさ・計算高さ』があるのにモテるというより、『欲しいもの・して欲しい事が何か』を男に伝えられる女のほうが、『何もいらない・何もして欲しくない女性』よりも接点や関わりを持ちやすいだけではないかと思う。

わかっちゃいるけど弱いんです……“あざとかわいい”女性の特徴4選

逆に言えば、大して好きでもなく親しくもない男性に甘えられる女性、あちこちの男性に食事・金銭・商品・旅行などを要求できる女性というのは、あざとい面もあるがよほどその後の男のあしらい方が上手くないと痴情のもつれ・ストーカー被害・対人トラブルに巻き込まれる恐れもあるのでトータルでお得かというと微妙だろう。

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国家公安委員長・行革担当相で入閣した河野太郎氏が、政権批判の内容も含まれるブログの公開中止!

思想的・政策的に合わない所の多い河野太郎の閣僚取り込みは、安倍首相の『党内異論の融和策』の一貫ではある。過去の『政権・政策批判的な持論』を自主的に閲覧不可にしてくれるのは即効性がありすぎるが。

入閣の河野太郎氏「脱原発」どうする ブログの公開中断

脱原発論・格差是正にせよ安保法制の慎重論にせよ、安倍政権にとって目障りに映っていた『党内のリベラル的な異論』を国家公安委員長・行革担当相の閣僚ポストで牽制できるのは十分にお釣りが来る。無任所・特定担当相の端役なら河野太郎氏も蹴っていた可能性があるが、それなりに重要なポストで礼遇する辺りは手練である。

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岐阜県・中学生の少年たちが集団で決闘:暴力の論理と人類の歴史

フィジカルな関係・暴力を好まないデジタル世代やさとり世代とか言われるが、現代でも意外に昭和の少年漫画のような不良の仲間関係や拳で語る的な暴力の論理で動く若者集団も残っているんだな。

決闘容疑で中学生ら書類送検=「凶器使わず」ルール決め―岐阜県警

学校・地域で人数を集め他のグループと決闘するというのは、現代でこそ『野蛮・無知・非洗練』などの侮蔑的概念で揶揄されたり、言語能力・問題解決力の低さを非難されたりするが、国家の軍や暴力団は元より人間社会では古来から『数量的な暴力』で他人に言うことを聞かせる原始的な権力・秩序が機能し続けてはいる。

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組み体操の骨折事故で危険性の指摘が続いている:一定の“高さ制限”は必要

昭和末期には、9~10段まで高さのある組み体操はやっていなかったように思うが、規律訓練的な教育目標には合いそうだ。昔の運動会は騎馬戦、棒倒しとかが人気で、組み体操とは違う危険性もあったが。

組み体操、揺れる現場 高さ制限や中止、支持も根強く

武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いを模した『騎馬戦』では、3人で馬を組んで、1人が上に乗ってぶつかり合う形式だが、初めの頃は相撲のようにガチンコでぶつかって、半ば喧嘩腰で取っ組み合って押し倒す種目だったが、途中で安全性考慮のため頭に巻いた鉢巻を取るだけの『非格闘的な種目』に変更された記憶はある。

騎馬戦は腕力自慢の生徒が、がっちりしたガタイのいい3人の馬を集めて本気でぶつかれば、明らかに体格・気迫で劣る相手は一撃で馬がバラバラになり、上の生徒は支える暇のない勢いで転落して、鼻血・脳震盪とかも結構起こっていた。あの時代は安全意識が今とは違うが、暴力・競争心の競技やイベントへの昇華もありか。

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