仏教・古典ヨーガの「入定・入滅(実質的な自殺)」の聖化と「俗なるものの限界」に喘いで思想を紡いできた人類

仏教で究極的な悟りの境地とされる「涅槃寂静」は、煩悩の炎が吹き消された絶対的な静けさ・安らぎを意味する。あらゆる煩悩の執着やとらわれから解放された絶対的な自由・安楽の境地が涅槃寂静であり、苦しみのない理想の世界を指すこともある。

涅槃(ニルヴァーナ)は通俗的には生身の人が到達できないという意味で「死」にほぼ等しいものと解されることもある。実際に仏陀や聖人の「死」を「入滅・入定」と言い換えることで、涅槃の定義を示すことは多いが、常識的に考えれば諸行無常と四苦八苦の摂理から出られない私たち人間は「究極・絶対の理想的な状態に留まること」は原理的に不可能である。煩悩(=生命活動)の火が吹き消された涅槃は現世にはない。

仏教は古典ヨーガの後に成立した宗教体系であるが、俗なるものをすべて捨て去ることを目標とするヨーガも、仏教と同じく「入定」の概念を持っている。古典ヨーガも究極的な揺るぎない境地を得るための心身統御が行き着くものとして、「結果的な生命活動停止への意思的統御(自殺とは明言しない)」を苛烈な修行法として持つ。

古代インドでは21歳で地下室にこもって瞑想三昧で入定(餓死)したジュニャーネシュヴァラを聖人と認定していた。ジュニャーネシュヴァラは両親の不品行な行いによって村八分を受けていたが、4人いたとされるきょうだい全員が入定(暗室での瞑想継続での餓死)か変死(樹上自殺)をしている。

続きを読む 仏教・古典ヨーガの「入定・入滅(実質的な自殺)」の聖化と「俗なるものの限界」に喘いで思想を紡いできた人類

映画『アメリカン・スナイパー』の感想

総合評価 90/100点

世界最強の軍事大国アメリカは、第二次世界大戦後の『米ソ冷戦』を勝ち抜き、1990年代後半以降、世界の警察を自認する唯一のスーパーパワーとして世界に君臨するはずであった。2001年9月11日、ソ連さえ叩くことができなかったアメリカの中枢を、アルカイダ(国家なき分散型テロネットワーク)に攻撃される『米国同時多発テロ』の攻撃を受けるまでは。

ウサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダの散発的・波状的なテロ攻撃によって、アメリカは巨大な図体が邪魔をする『非対称戦争』の泥沼に引きずり込まれ、差別・偏見を含むイスラーム圏との対立図式も強化された。

世界最強の近代兵器と軍隊を誇るアメリカの総力をもってしても、拠点を移動させ情報を統制するビン・ラディンを超法規的にテロ対策特殊部隊の邸宅急襲によって暗殺するまでに約10年もの歳月を要した。首領のビン・ラディンを殺しても中東での潜在的な反米意識に苦しめられ続け、その間に政権はジョージ・W・ブッシュからバラク・オバマに変わっていた。

映画『アメリカン・スナイパー』は、父親から叩き込まれたアメリカの『カウボーイ精神』に憧れ、牧場の下働きをするも夢破れたクリス・カイルが、米軍で最も過酷な選抜・訓練で知られる海兵隊(シールズ)に志願する所から、イラクの戦場の悪夢へと足を踏み入れていく。志願するには30歳と高齢だったクリス・カイルは、上官からじいさんと呼ばれて散々にしごかれるが、幼少期から培ってきた不屈・自助のカウボーイ精神によって乗り切り、屈強な海兵隊の一員となった。

少年時代のクリス・カイルはいじめられていた弟を助けるために、体格の良いいじめの加害者を徹底的に打ちのめして血まみれにするが、父親はクリスを叱らなかった。この父親は、小学生のクリスにライフル銃を持たして狩猟を教える米国の保守派の親父であるが、『銃の武装権+暴力による秩序(暴力なき秩序維持の不可能)・正義の根拠に基づく暴力行使』などアメリカの倫理規範や行動様式のプロトモデルの役割を果たしている。

『この世界で人間は、狼と羊と羊を守る牧羊犬(シープドッグ)の三種類に分かれる。暴力で人を傷つけ支配しようとする強い狼、暴力と脅迫を受けて何もできない無力で弱い羊、そして、冷静に状況を見渡し不当な暴力で羊を傷つけようとする狼から羊の群れを守る(狼よりも強い)シープドッグだ』と父は語った。我が家ではお前を無力で弱い羊に育てているわけではないが利己的で残酷な狼にはなるな、臆さず正義のために戦えるシープドッグになれと子供に生き方の指針を示した。

続きを読む 映画『アメリカン・スナイパー』の感想