2017年ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏、 村上春樹の作風・評価とノーベル文学賞の可能性

○ノーベル文学賞は「一般人好みのエンタメ性のある作家作品」は選ばれにくいが、村上春樹は「現実(労働・家族)のみに立脚できなくなった現代人の自己愛・自己拡散・幻想と歴史」を描く作家だ。

【ノーベル文学賞】村上春樹さん、狂騒10年以上…果たして今年は? (http://mixi.at/af0Jddq)

村上春樹の物語には平均的なサラリーマンや家庭人は登場しない。「ノルウェイの森」「騎士団長殺し」「1Q84」の系譜は「学生・金持ちの自殺・セックス・精神病・画家・趣味人・成功した隠棲者・新興宗教・娼婦・殺し屋」などのキーワードを持つが、現代人の普遍的な欲望と挫折(自己拡散)を対にした幻想物語と見れる。

村上春樹は国家・文化・世代を超えた幻想物語の名手だが、その幻想の中心に「現代社会が抱える問題・病理・自己愛(労働・生活・家族に専念できない観念の現代人)」とつながっている。世界文学として普遍性があるかは見方によるが、享楽・退廃の恐ろしい場から生活・日常に戻ろうとする足掻きが一定の人に響くのだろう。

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福岡・博多高校で授業中に生徒が教師を暴行、 日産の無資格者によるずさんな車体検査の問題

○教師を蹴って挑発した生徒が悪い事は自明だが、「体罰ありの教育」なら調子に乗った生徒に舐められないかは疑問で、悪漢が絡むリスクは「教師(人間)の持つ雰囲気・日常からのイメージ形成」が関係する。

福岡・博多高校で授業中に生徒が教師を暴行 動画拡散について投稿者、学校を取材(http://mixi.at/aeZt4po)

人も動物の一種なのか、体罰や見た目、体格などそれほど関係なく、「ふざけて馬鹿にしたり手を出しづらい型の人間」にはからかいや攻撃は仕掛けにくい。この生徒が極端に粗暴で非適応的だった可能性もあるが、生徒集団をまとめる役割を担う教師が「完全に舐められる・暴力やからかいを受ける」は仕事にならない。

暴力や挑発の度合いからこの生徒の退学処分も有り得る。「不良・悪漢からの攻撃を受けるリスク」を減らして生徒集団をまとめ、まともな生徒が授業を受ける権利を保証することも、先生の仕事の一部だが「体罰・暴力の恐怖」だけが舐められない要素ではなく、この先生も一応は暴力制止の注意・反抗らしき態度は見せていた。

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とんねるず・石橋貴明の「保毛尾田保毛男のネタ」は現代のお笑いとしては倫理・差別の問題が多くなった

昔は松田優作や松方弘樹等は徹子の部屋でタバコを吹かして話し、深夜にAV女優を集め脱がせる番組もあったが、『とんねるず的な外見特徴を揶揄する笑い』が現代の倫理・差別のコードに抵触しやすくなっただけである。

とんねるず「保毛尾田保毛男」批判にフジ社長が謝罪(http://mixi.at/aeZgOUY)

昔のお笑いは、とんねるずに限らず、ドリフターズでも、軽度知的障害(当時は知恵遅れでただ頭が悪い認識)や不細工、田舎者、貧乏人や乞食まで含めて『能力・魅力・洗練度・知性が落ちる冴えないマイノリティ』をバカにしても良いキャラクターに設定していた。いじめや差別はある種の笑いを伴うというのは事実としてある。

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嫌いじゃないけど好きでもない彼氏と別れるべきか?:恋愛と結婚の区別の心理

異性としての好き嫌いや感情の強さに厳密にこだわると、長期の男女関係は成り立たない。「人間としての評価の安定期」に入り、好き嫌いにこだわれば別腹の不倫もあるが、長期の関係は生活と結合していく。

嫌いじゃないけど好きでもない彼氏……別れるべき? 続けるべき?(http://mixi.at/aeYoTwh)

どんな男女関係も「異性として惚れ込んで、容姿・恋愛・性にのめり込む感情」は数年で失われ、「人間としての評価の安定期・パートナーシップの維持期」に入る。何をされても言われても「もの凄く嫌いにはならない関係性・生活や子育ての上で必要で安心できる存在(今の状態を失う不安の大きさ)」になってからの方が長い。

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昭和の時代と平成の時代の常識・価値観の変化:昭和は遠くなりにけりだが…昭和は64年もあって長い

昭和は64年の長さがあり、昭和20年までは戦争の時代、昭和30年までは貧困と混乱の時代、昭和30~50年は高度成長、昭和60年末期はバブル景気と崩壊、失われた経済成長の始まりだ。昭和と一括りにできない長さがあり、貧困からの上昇の価値で動いた。

今では信じられない!昭和の常識ランキング(http://mixi.at/aeVctcF)

昭和20年、戦争で東京と地方の主要都市、広島・長崎は焼け野原となり、大勢の男性が戦争で死んだが、「何もない所から始める」という平等なスタートラインと貧困前提の助け合いの意識が強かった。昭和20?50年代にかけての経済成長期、じわじわ世帯間の経済・資産の差が積み重なり、都市・社会インフラも整備された。

昭和50~60年代というのは、終身雇用制が担保した一億総中流意識が生き残っていた最後の時代、この辺りで庶民の間の緩やかな階層分化も進み、「社宅・寮・団地の文化による平等意識(会社員・公務員の勤続年数と所得が増えて持ち家購入数が急増したがそこから脱落する層も多く出た)」も失われやすくなった印象がある。

平成に入る頃には、戦前・戦中世代の政治経済・起業者の陣取りゲームは概ね終焉して、日本経済のボーナス期間も終わっていた。戦後日本経済の富の蓄積と社会インフラの高度な整備、小売・外食・娯楽のサービスの増加もあって、平成は失われた数十年とされるが、昭和以前も含め過去の日本で最も物質的に豊かな時代となった。

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男女の喧嘩・戦争について,男性と女性は究極的には価値観・生き方が合わないことも多い

男女は究極的な思想・生き方は合わない事も多い。「協調・真面目・適応・規範・仕事好き・自分が折れる・孤独回避の優先」が結婚向きな男の特徴ではある。男と女は言葉の用い方が違うだけ。

「男は言葉が不自由で近視ぎみ」と思えばいい。“男女の戦争”の終え方(http://mixi.at/aeTOh8R)

男は感情を言葉にする力が女性に比べて低いというより、男女の性選択の進化プロセスで、男性は感情を言語化して女性に要求するメリットがなかった事が大きい。女性は年代や関係性によっては、感情を言語化して要求・警告したりする事によって、近しい男性の行動を変化させてメリットを得られる歴史が長かった違いがある。

現代でも男性は感情を言語化して「こう感じているからこうしてくれ」などあれこれ訴えるよりも、実際に行動したり適応したりで稼いだり影響力を持つ役割の履行に重きが置かれる。「男も泣いていい」のジェンダーフリーはあるが、年齢のいった男性に泣き喚かれて助けや癒しを求められても、大半の人は困るのが現実だろう。

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