ヴァニラの整形と現代人の美への執着、キャッシュレス決済の乱立と競争、日本の20代女性で韓国旅行が増加している件など

○「外形的な美」に庶民まで執着しだしたのが、「生存・生殖を超えた余剰」で経済・社会、人間関係の一部が回る近現代の特徴かつ個-他者-社会の病理でもあるのだろう。

ヴァニラさんの“主治医”が語る「整形手術を繰り返すリスク」「整形してはいけない人」 (Business Journal – 03月25日 19:11)

20世紀後半頃まで「日々の労働・生活・子育てだけでギリギリの庶民」が大多数で、「外形的な美・整形手術」などを現実的な悩み・問題にする人は芸能人や一部の人だけだったろう。「見た目より中身・健康で働き者が一番」で、社会全体の関心度も低く、労働・早婚と生活・生殖の選り好みできないリアルの要請に追われていた。

「美」は「実用性・実際性・労働価値的評価(現代では芸能・メディア・関係性で金になることはある)」はほとんどなく、基本的に「恋愛や性・視覚・物語性・芸術性・見栄などの快」を強化するだけの精神的貴族趣味に過ぎない。「余剰・贅沢・遊び・享楽」に類するものを本質として執着しすぎると病的になる。

○東大は官僚養成や組織適応、規格的学力の点で京大より上だが、学問の府として科学の研究課題・手法の自由度で京大の方が枠にはまらないが故の優位・実績があるのかも。

世界大学ランキング日本版2019、1位「京都大学」 ”教育充実度”では「国際教養大学」が1位に (キャリコネ – 03月27日 17:10)

学校歴ではない評価軸も当然あるが、大学とは何かの本質論でいえば、京大・東大というのは科学研究とその設備・ノウハウ、論文執筆の環境・助言などにおいては、「門外漢・一個人」とは比較にならないリソースを持つ。大学に行かずとも教養人・人格者にはなれるが、公的な意味での学者・研究者(狭義専門家)にはなれない。

バイオテクノロジーや人工知能、ロボット、ナノテクなど最先端の科学研究に関しては、情報科学・医薬・機械・化学大手企業の研究開発部門を除き、非大学・民間の個人では設備と予算がないため、どんな知能・発想に秀でた天才でも(資金獲得能力がなければ)非大学・非研究部門ではほぼ不可能である。

○「布川事件」も「松橋事件」も、検察が犯人と見定めて起訴すると不退転の姿勢となり、過去の事件で99.9%の有罪率を維持してきたことの延長線上にある冤罪だった。無実の罪で一生の大半を費やした……

「これほど時間かかるとは」 再審無罪判決、司法へ怒り (朝日新聞デジタル – 03月28日 12:40)

科学的証拠がいい加減な過去の事件には、類似の冤罪事件も少なからずあったと推測されるが、警察と司法が強くネット世論の牽制もなかった時代には、いったん有罪判決が確定すると弁護士・支援者以外の関心もなくなりブラックボックス化した。再審請求が実るのに数十年はかかり、無罪判決を勝ち取っても老人になってしまう…

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大人になると時間の流れる速さが速いことについての長い考察、 桶川ストーカー殺人事件とストーカーリスクなど

○年齢と共にルーティンワークや読み書きをしていると、主観的時間が流れる速度が速くなった。脳内の情報処理速度の遅鈍もありますが、アウトドアや登山で外を歩いていると時間の流れがスローになるのはなぜなのか?

大人が「時が過ぎるのはあっという間だねー」と感じる科学的な理由がやや切ない(04月01日)

仕事やネットで文書を書いていると、一時間などほんのわずかな刹那に感じるほどですが、無心でウォーキングしたり登山したりしていると、相当な時間が経過した充実感があっても、朝の7時から8時になったくらいしか時間が経っていない。屋内やパソコン作業は時間経過速度が速いので、外で過ごす方が一日が長く充実感がある。

主観的な時間感覚についてマイミクの色々な意見が寄せられていて興味深かった。大人になって「時間が経たなくてつらい経験」をほぼしたことがないが、よく考えると「(時計を見て終わりを待つような)受動的な時間の使い方」をここ20年、余りしたことがないのが原因か。学生時代の作業系バイト等は時間が経たなかった。

「時間が経たなくてつらい・早く時間が過ぎてくれ・暇や退屈で何していいか分からない」と思ったことがなく、基本的スタンスは「時間が早く経ちすぎてつらい・もっとゆっくり時間よ流れてくれ・あれもしたいこれもしたい・これが終わったら次はあれをする(時間が足りないので諦めようも多いが)」になってしまっている…

個人的には、主観的に時間の流れが遅くなる条件は、「ほとんど興味関心のないことを義務的にしなければならない・興味の薄いことをしながら何時までは絶対にその場所にいなければならない(興味ない+管理・拘束)」なので、自分にとっては刑務所・拘置所などはとても耐えられない環境で犯罪を回避する十分な理由になるなw

マイミクさんが「長期服役囚は隔離され完璧に管理された中で労働をするので…彼らは時間が過ぎるのが長く感じてないのではと思っています」と書いてくれていたが、僕の主観的時間感覚では、興味のない刑務作業・共同生活の人付き合いをして厳密に時間を決められた生活は「なかなか時間が経たなくてつらい場所」になりそうだ。

しかし、「なかなか時間が経たない感覚」にも、先に書いたように登山・外遊びなどで「ゆったりしたリラックス感・満足感・充実感があってお得な感じがするスローな時間の流れ」があるので、必ずしも「時間がゆっくり過ぎること=苦痛・不快・我慢」ではないというのはある。

その意味では、僕の主観的な時間感覚では「楽しい時間はあっという間に過ぎる」というわけでもなく、どちらかというと「ある程度の興味・意欲もあって情報処理・読み書き・PC作業をしながらする仕事の時間+興味のあるSNS・コンテンツなどネットやスマホの時間=あっという間に過ぎる時間」になっている感じである。

特に、インターネットやSNS・スマホというのは、誰にとっても時間泥棒な側面はあるのだろうが、色々なコンテンツやSNSの記事をちょっと読んで、自分もつぶやき・記事を書いて、何人かに返事もしてとやっていると1時間などは一瞬で過ぎる。「読み書き・ネット・思考=時間の高速経過」は概ね当てはまると思う。

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新元号「令和」の雑感、杉並区の保育士殺人事件とストーカー心理、昭和時代の敬語のレベルなど

○新元号の菅官房長官の発表会見が予定よりだいぶ遅れていたが、新元号は「令和(れいわ)」に決定したようだ。規律と平和という意味か…「令」の漢字は確かにほとんど予想に出ていなかったですね。昭和と重なる「和」をもう一度使うのも想定外でした。

令和の出典の説明をざっとしていたが、日本の季節や花の美しさを平和のイメージで詠んだ「万葉集」の歌にあるようで、日本の古典・和歌集が元号の出典になるのは初めてのことである。令和の話し言葉としての語感・響きは、平成と比べると固さ・整然性を感じるかも。元号のイニシャルはRになるのかな。

令和の「令」は「命令する・言いつける・決まり」などの字義だが、出典になった万葉集の歌の令月では「よい・素晴らしい・立派な」の字義で解釈される。意味も響きも硬質・厳格な感じが強い。

新元号は「令和」(れいわ) 万葉集典拠、国書由来は初 (朝日新聞デジタル – 04月01日 11:58)

「令」は同じ音で、「玲(清らかで美しい)」や「怜(賢い・いつくしむ心がある)」などのより良い字義の漢字もあるが、これらは令の漢字から派生した漢字で歴史が浅い。恐らく日本の古典にも中国の四書五経にも、「玲和・怜和」の出典がなくて勝手な漢字利用になるので使えない。また画数が多くなることも敬遠される。

○閉鎖的環境で一人の異性だけに愛憎を募らせて悶々とするタイプの人はストーカー化しやすいが、この手のストーカー殺人犯は「自分だけ何年も苦しめられて相手だけ楽しんでいる被害妄想」で異常な行動に出やすい。

杉並保育士殺害 逮捕の同僚、一方的に恋愛感情か (毎日新聞 – 04月01日 06:01)
実際に被害者女性にアプローチして振られたとの情報も出ていないが、勝手に6年間も片想いして、相手が自分になびかず他の男に行ったからと逆恨みしたのなら迷惑極まりない話ではある。普通に考えれば、男女が同じ環境に何年も一緒にいて何も男女の仲への発展可能性がないなら、女性にとっての好みから外れているだけである。

ストーカーにも「いったん付き合ってから(結婚してから)別れてストーカーになる人」と「何の関係もないのに片想いでストーカーになる人」がいる。後者は少なく、殺人までするのは前者の元交際相手の方が多いのだが、男女関係に関しては「どうして自分の所に来ないのか?」を本気で考えたら病的な犯罪者思考になりやすい。

恋愛や結婚に関しては深くあれこれ悩んでいる時に良い結果はでないし、悩んだり苦しんだりしても、基本的に相手には何の影響もなく逆に嫌われやすい。「なぜ自分の所に来ないのか?」で何年も思い詰めるのも馬鹿げた話で、少しでも女性に好意があれば何らかの接近や遊ぶ機会がある。ない理由は「好みじゃない」だけが多い。

男女関係は不思議なもので、強く執着して思いこがれるような人からは大抵好かれず、上手くいく人とはそんなに丁寧に接さなくても、短期間でトントン拍子で深い仲になることが多い。無論、極端に印象・感じが良くて一目惚れしたような相手というのは、他の男にとっても魅力的なことが多く、表面的な親しさからの発展が難しい。

被害者女性は、誰に対しても優しくて人当たりの良い女性だったようで、加害者のような職場以外で女性と交流することのなさそうなタイプの男性を、閉鎖環境で勘違いさせやすかったのかも。「同僚としての感じの良さ」は「異性としての欲望」を向けると、途端にそっけなく変わることがあり、愛憎を煽る要因になることがある。

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海音寺潮五郎の人を斬らない「剣客論」、「ビットコインゾンビ論」、「若さ・美しさ」の呪縛にはまる現代人 など

○海音寺潮五郎が「剣客論」で、宮本武蔵が高弟の青木又右衛門が他流試合を受けようとした時、格下の相手でも勝負を受けてはならず、世評で相手を自発的に屈せさせることを上策としたエピソードを紹介していた。江戸から幕末にかけて一流の剣客として名前を残せた者の多くは勝てる勝負だけをして、多くは名声で屈伏させたという。

孫子の敵を知り、己を知れば、百戦危うからずではないが、江戸初期や幕末期に実力で一流の剣客なのに無名で終わった者は、「常に強い相手との真剣勝負をして死んだ者」「奥義を極めようとして心身を限界まで鍛練して自滅した者」であった。また実際に剣術が優れていて名前がある剣客の多くは、人を斬った経験がなかった。

関ヶ原の前後、自流を大きくした兵法者は、実力もあったが、プロパガンダの宣伝家や自己顕示のテクニックに優れた人物でもあった。一定以上の大勢力となり、流派の奥義や過去の果たし合いの超人的エピソードを世の中に広めることで、並みの剣客や兵法家は自発的に屈伏することが多かったのである。

元禄時代に日本一の剣客とされたのは、堀部安兵衛の師の堀内源太左衛門であるが、この人も実際に人を斬ったことはなく、果たし合いもない。幕末の三大剣客の斎藤弥九郎、千葉周作、桃井春蔵も斬った経験はなく、真剣も使わなかった。西郷隆盛は言わずもがな、大久保利通や木戸孝允、高杉晋作らも一度も斬っていない。

○男女交際・結婚で経済的に一円も損したくない、貯金や資産を毎月一円でも増やして積み上げる人生設計をしたいなら、お金を貸してという男とは別れるしかない。

「お金貸して」という彼氏、どう思う?だらしがないと思いつつ「それでも結婚する」女性は●割! (Suits-woman.jp – 04月05日 08:00)

その経済・金銭・職業の価値観は絶対ではないが、安定を望む過半の女性にとって優先度の高い価値観になりやすい。学生を除けば、勤勉にサラリーマンで働き続けて無駄遣いしない人なら、貯金はあってもお金を借りなければどうしようもない状況に陥ることはまずないは言える。無論、将来どうなるかは分からない要素も多いが。

少額のすぐ返せる金額で、実際に滞りなく返すなら問題はないが、キャッシュレス化で「現金の持ち合わせがないから貸して欲しい」という状況もなくなっている。まあ、異性や話し相手・遊び相手として好きで、自分が稼げるか十分なお金があって、それほど無理な金額を貸してといわないなら、許容範囲という人もいるだろう。

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文系博士(文系の高学歴)になっても稼げないのはなぜか?学歴社会・公務員的雇用・稼ぐ能力などについての考察

○文系学部廃止論もあるが、経済活動と連携しない教養主義的な学問を国家が保護しなくなっているが、文系博士は民間では学校・塾等の教育分野くらいしか実需がない。院の入口部分で十分な説明が必要。

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死 (朝日新聞デジタル – 04月10日 07:32)

文系博士でも分野・内容・本人の資質(性格)によって、博士号を間接的に何らかの収入源として活用できるかどうかは変わってくるが、文系博士は職業直結の学位ではなくアカデミックポストを確約するパスポートでもない。大学院で博士号まで取得する人は、大学・研究以外の一般的な仕事を選択できない自己規定が枷になる。

根本問題は、大学でなくても何らかの公務員的な雇用(非市場的な分野の仕事)を得られなければ、文系博士の持つ知識・ノウハウ・経験などは直接にはお金になりにくいということであり、その認識を持った上で修士・博士まで取得する意義と潰しの難しさ(専門や学術を仕事にできない恐れ)を自分で理解していなくてはならない。

人文学の専門家も必要だが、公務員的なポストを得られる専門家の絶対数はかなり限定されるということである。特にマイナーな専門分野で一般国民の知的好奇心・読書範囲からもズレている場合には、アカデミックポストも公的機関のポストも採用人数が極端に少なく、わずかな椅子に高齢の権威が居座り続けて空きもでにくい。

学問・研究にこだわりすぎれば経済的には追い詰められやすく、最悪、年齢要因によって単純作業的なアルバイトのような仕事しかなくなることも多い。勉強が得意でそれなりのコミュ力・説明力もあるなら、専門分野はサイドワークとして学校教員・地方公務員などを本職とした方が経済的には救われる。

人文系の素養や文章力を活かし、作家として成功するような人も少なからずいるし、広義の物書きで糊口を凌ぐ人も多いようには思う。今はネットで大勢の人が読みたいコンテンツを書ければ広告収入なども得られる。「自分の知識・情報を換金できる方法」にも頭を使わないと、市場の需要・雇い先がない研究だけでは危うい。

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古代の日本と朝鮮の歴史的つながり、「妻のトリセツの処世術」と脳科学的な正論など

○古代の日本史と朝鮮史は繋がっていて、加羅(任那)という地域で倭人と朝鮮人が混住していたとされる。なぜ古代の朝廷に朝鮮の渡来人が官僚や技術者としてやって来ても、言葉の意志疎通で困らなかったかの理由は、加羅には日本人と祖先を同じくする集団がいつからかいたからで戦中の日鮮同祖論・日韓併合の根拠にもされた。

任那とは何かの古代史の議論は色々あるが、大きく分ければ日本側の植民地とする出先機関説と朝鮮側に有力士族がいてそこから近畿地方に血族がわたってきたという説、ただ倭人が分かれて住んでいただけとする説である。ただ当時の日本は大化の改新前で半島に明確な意思を持って植民地を維持する中央集権的な主体はなかった。

一方、半島の加羅(任那)にいる人たちは明らかに、ヤマトの有力豪族と定期的な連絡があり、言葉が通じて仲間意識を持っていたことは確かである。日本から渡ったのか、朝鮮から渡ったのかの経緯は不明であるが、新羅などは別だが、加羅と百済は当時の日本に対するある種の近縁性があり、その後の白村江の戦いにつながる。

古代朝鮮の三国時代は、高句麗・新羅・百済の拮抗した時代だが、660年の義慈王で滅亡する百済は、軍事を軽視した抑制的な仏教国家として半ば自滅するかのように滅びた。高句麗前に百済を狙った唐・新羅の連合軍に滅ぼされる。王子の豊璋を担いだ百済遺民を支援して、中大兄皇子と斉明天皇が白村江の戦いに臨んだ。

豊璋を補佐していた武将に鬼室福信がいて、百済復興運動で大きな活躍をしたが、鬼室福信の勢力拡大でクーデターを恐れた豊璋が自ら鬼室福信を処刑したことで、白村江以前に百済の滅亡は不可避になっていた。半島を狙った唐の登場によって、日本も統一国家としての意識や朝廷・律令が急速に整っていくことになった。

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