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ローマカトリック教会の聖職者による性的虐待問題の考察、地縁血縁のしがらみのリスク、JR西日本の元職員による準強制性交等罪の要因など

○地縁血縁による相互扶助もあれば、親族トラブルから逃れられないリスクもある。田舎の本家は住居移転も簡単ではなく居場所は常に特定される。衝動的な親族との関係悪化、ストーカー・DV等の家族内問題が起これば危うい。

重体の男女死亡=親族放火事件-福岡県警 http://mixi.at/adfOgRV

○宗教の多くは性欲を禁圧するが、ローマカトリック教会の神父になぜ性的虐待が多いのか。「ヒエラルキー・身分制のある教会組織の構造」と「妻帯・性交を本気で禁止しようとする反本性的な規制の強さ」が性的虐待を誘発しやすい。

性的虐待撲滅に協力を、ローマ法王が異例の全信者宛て書簡 http://mixi.at/adfNaBS

ローマカトリック教会という世界規模の巨大組織の中で神父としての地位・役割を得て、更に昇進昇格をすれば敬虔な信徒や信者の子供から「素晴らしい人格者・宗教者」として手放しの尊敬・承認を受けることになり気分は良いだろう。だがどんなに教会組織で権力・権威を得ても性的欲求の充足だけは禁止されている葛藤が残る。

性欲の邪心を超越した敬虔なる神の下僕という建前を取る神父だが、現実には年齢や信仰・信念の度合いもあるが、宗教者だからといって一切の性的な欲求・関心がゼロにまでなるわけではない。権力・権威があり周囲に自分が魅力を感じる女性や子供がいる場合、理想的人格の演出と抑圧に限界・異常を来す恐れがある。

性的虐待をする高位宗教者(キリスト教に限らずカルトでも)は、罪悪感や信仰崩壊を防ぐため、「神への信仰の現れとして身体を捧げなさい・あなたの霊的な目覚めのため秘蹟を施す・私の欲望のためではなく神とあなたのため」など宗教偽装の言い訳をして、自分の人格・信仰を信じ込んでいる信者や子供を利用する卑劣さはある。

結局、個人として煩悩消尽の悟りを目指す原始仏教(小乗仏教)のような道のほうが性欲の煩悩を消せる可能性はあがる。巨大な教会組織とか仏教組織とかの中にあるヒエラルキー構造で権威権力・財力などを得れば得るほど、それらを用いて得たくなる「性の快楽・誘惑」に堕落しやすい。個人の無一物の修行者に勝るものはない。

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自然保護思想と人間中心主義、春名風花さんのいじめ考察、買春問題と人間社会の倫理の本質、りゅうちぇるのタトゥー問題など

○自然・動植物の側には「自然破壊の観念・景色の美醜判断の感性」や「現状のまま(現在の生態系)が良いの価値判断」は存在しない。自然の価値は人間の心に依存する面は確かにある。

団塊世代の写真愛好家「急増」でトラブルも増加? 山岳写真家が感じるジレンマ http://mixi.at/addpltq

自然の地殻変動・噴火・地震や長期の気候変動、確率論的な隕石衝突は、生態系を劇的に改変させて無数の生物種を絶滅に追いやってきたが、そういった自然による生態系の変化を悪と感じる人はまずいない。反対に、人為・人工物による絶滅や生態系変更、景観の変化を悪と感じる感受性は一般に強いが、その根拠も人為的ではある。

「自然保護・景観保護・絶滅危惧種の保護」も究極には人の倫理観や道徳感情の満足(納得)のためである。「外来生物種による在来種の駆逐」も悪とする価値観は強いが、既存の生態系が未来永劫に続くことが善なのかは本質的には判断ができない。自然選択で解釈できる部分もあり、数千年単位でも自然推移の誤差の範囲だろう。

今生きているある動植物種が絶滅することは悲しいが、近代以前にもさらにいえば人類登場以前にも進化した生物種の99%以上は絶滅して、新たな種が繁栄する前提となって世界から消えていった事実は事実としてある。山・海・川・地形の景観も、数百年単位でさえ開発抜きでも自然な風化で山の形や川の流路は変わってきた。

○「いじめ加害者の告白」春名風花さんと読む……年齢を重ね、学生時代も遠くなり集団生活にコミットしているわけでもないと「いじめの加害・被害のリアリティ」がどうしても落ちてしまう。大人がいじめ問題に干渉しにくい一面でもあるが、当事者には生死に関わる深刻な問題だ。個人主義で飄々とするのは学校では難しいかも。

いじめ原因は大別すれば「承認欲求・序列確認(マウンティング)・優越欲求・虐待型娯楽(スケープゴート)・独善の正義感・異質性排除」になるが、学校や集団で「弱者性・異質と疎隔・愚鈍性」が目立つと標的になりやすい。いじめに縁遠いのは、自分は自分、他人は他人の個人主義で自衛に十分以上の雰囲気を持つ人だろう。

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中高年の独身者は難ありという偏見、集団練炭自殺と人生論、デートDVの問題についてなど

○既婚者でも未婚者でも人間である以上、「難ありの要素」はあるが、独身で年齢が上がると、家族に依拠せずに愛情や承認を得る相手が減る。

「独身=難あり」という偏見はなくなる? 「変な人が多いのは事実」との声も http://mixi.at/ad6tRO6

結婚しているから人間性が良いとか、独身だから人間性に難があるとかは当てはまらない事も多いが、結婚して子供がいる状態が「マジョリティーの価値観や生き方との無難な一致」であるため、その人の性格や人間関係に多少の難があっても多目に見られやすいのもある。悪人でも最低限、家族がその人を肯定して完全孤立しない等。

結婚・育児とフルタイムの就職というのは、ある意味では「社会全体の利益になりやすい活動、少なくとも悪事になりにくい活動に人生のリソースの大半を割く」ことから社会的・対人的に無難であるという安心感を持たれやすい意味で似ている。高度な自制心や人間性がなければ、時間や労力の自由度を持て余し易きに流れる。

結婚していない人の人間性には難があるという偏見や決めつけがきつい人は、自分自身の結婚生活が余り楽しくないこともあるだろうが、独身時代から「自由な時間に何をすればいいのか分からない・休日に予定がなければとにかく暇でつらい」というタイプであることも多い。大勢と共通してそうな目的を遂行する事で安心できる。

例えば、偏見や決めつけが強い人は「休みの日に彼氏(彼女)がいなかったら暇で何もすることがない」とか「フルタイムの仕事をしていない人は怠け者」「一人で行動や外食をしていると寂しい人と思われて恥ずかしいからできない」とかいう考え方も併せ持つ事が多く、基本的に生きる世界や価値観の範囲が相当に狭いものである。

ただ一つの事実として、年齢が上がるほど自分自身の生物学的な異性としての魅力は落ちるので、自己評価が謙虚な人ほど「分相応な一人のパートナーを決めて家族を作り、好き嫌いに左右されない自分の居場所がほしい(年を取れば余計に異性が承認してくれない)」という行動原理に本気でコミットするのは一面で適応的でもある。

○長生きしても認知症や介護、医療、年金で社会・親族に負担をかけるし、人・親として好かれていなければ厄介者扱いも多い。自殺だけが迷惑でもないが、人生自体がより良く生きるために生きる同語反復でもある。

練炭自殺か、男女3人死亡=車の窓に目張り-埼玉県警 http://mixi.at/adaemFP
より良く生きるとは何かは、古代ギリシャから繰り返されてきた哲学的命題だが、国や民族のために貢献する共同体倫理が衰退した個人主義の現代では、個人の生きるモチベーションは貧困・孤独・挫折で簡単に失われやすくなった。みんなと生きるという共生感覚が生存欲求の根底を下支えしていたが、今は共生感覚は崩れやすい。

良くも悪くも、自殺にまで追い込まれる人は「個人単位の喜び・楽しみ・快楽・豊かさ」から切り離され、「何らかの集団の一員として自分が求められて尊重されているという帰属感」を喪失していることが多い。バラバラな個人は無力感・虚無感・孤独感が高まった状態で、現実の貧困や不幸に追い討ちをかけられれば脆い面もある。

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自宅でBBQはなぜ隣人トラブルを招くのか?、甲子園の土の転売問題、10代少女の援交は何が悪いのか?など

○住宅街でBBQをしていると周辺住民はうるささを我慢している心理になりやすいが、自分が騒いでいると静かに我慢している人への想像力がなくなりトラブルになる事もある。

【どう思う?】「自宅でバーベキュー」はアリ、それともナシ? NG派が多いようですが、中には自宅の庭で楽しんでいる人も…
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夜間は真横の駐車場で小さな声で話していても全部聞こえて、うるさく感じる事もあるのだから、BBQも隣家と数百メートルくらいは離れていないと、夜間は黙っていても迷惑にはなっている。単身高齢者や孤独な心理状態にある人も増えていて、みんなが大勢で騒ぐこともあるからお互い様という意識もなくなっている。

時にBBQにいきなり乗り込んで暴力事件を起こす人もいるが、被害者からするといきなりだが、加害者からすると「いつ終わるかとずっと何時間も我慢していた。終わったと思ったらまだ戻ってきて大笑いが始まった」など切れるポイントはあるが、こまめに注意しているわけでもないので突然おかしな人が攻撃してきた印象になる。

○甲子園の土という思い出より現金は合理主義的な価値観ではあるし、人(球児も)は時が経てば変わるものではある。いつまで土を持つべきか難しい…

甲子園の土、メルカリで続々出品「85回大会で敗退した際に持ち帰った物です」 取引成立も多数「なんだか虚しい」
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色々な思い出のものをいつまでも持ち続けたいかというと、個人的には古くなったり埃に塗れて取っていても仕方がないので断捨離したい。過去の写真や思い出などに感傷的に浸ったり心の支えにしたりするのが好きなパーソナリティーかどうかで、甲子園の土の売買に関する考え方は変わるだろう。モノに念が宿る面はあるが。

最終的には、有形のモノはゴミになってしまうと考えれば虚しいが、ゴミになる前に現金化できるものはしておいたほうがいいという考え方にも一利ある。甲子園出場した時の写真や映像は別にあるのだろうし、時に思い出話で語れば十分でもあり、「甲子園の土という媒介の重み付け」がさほどでもなくなった人もいるだろう。

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見た目(ビジュアル)を承認されたがる現代の文化と美人論、 18歳年齢の人口減少について、 眞子様の婚約延期(身分違いの恋)についてなど

○現代の未婚化・少子化にも関係する「美へのこだわり・潜在的な個人優生学」がネットで語られていたが、直接に見た目の魅力を求めるとはいわなくても、現代の20代以下の若い世代を中心に「見た目を承認されたがる文化・社会風潮(反動の容姿コンプレックス)」が昭和とは比較にならないほど強まってきた。

昭和期までの女性も「見た目の評価・コンプレックス」は当然あったはずだが、「皆婚文化・非ネット社会・出会う機会の少なさ・分相応の庶民意識・都市やメディアの発展途上・見かけ重視は浅薄な悪の倫理観」が強かったので、早い時期のお見合いで結婚するなど、好き嫌いの恋愛市場原理の直接の比較を回避できた面が大きい。

みんな貧しく生活に必死だったため、昭和期までの男性も「外見を格好よく磨くメリット・周囲の評価」はあまりなく、男性社会の中心的価値観や嫉妬・やっかみもあって、現在の「ただしイケメン云々」の考え方は芽生えにくかった。美人・イケメン等は、生存に必須でないある種の快楽・娯楽で豊かな国の精神的貴族主義である。

美とは何なのかは、古代から続く哲学史・文明社会の男女の大きな課題だが、近現代に至るまで「エロスの抑圧・見かけの軽視(生活・労働力を最優先)」があったため、美学そのものも真剣には考えてこられなかった。アリストクラシーの知覚的・思索的な娯楽であり、宗教や内面の問題への置き換えに終わりやすかった。

魅力的な女性でも、あまり苦労してなさそうに見えるいつも笑顔な美人を、気に入らない(みんなが助けてくれて良い男を捕まえた職能のない美人は人生を舐めている)と思っている人が意外に多かったりする。男性もイケメンへの嫉妬がないわけでもないが、自己像を本気で肯定するのが難しい時代になったのだろう。

万人受けする型の明るく爽やかな美人は、潜在的には自分が恋愛市場や男性から見てどれくらい価値があるかを自覚しているだろうが、その自覚を(特に男には)あからさまな形で言葉や態度に表す人は少ない。他の女性と自分を比較することもまずない。表には出さないが、人生や異性の重要な選択では判断軸はしっかりしている。

容姿と合わせ年齢もあるので、人はどんなに客観的な条件が良くても、完全に「自己愛・他者比較のベクトル」における自己評価を完全に維持することは不可能である。ただ「自分の限界を受け容れる」か「誰かから強く愛される(認められた)ならそれで良いする」か「人のために生きるベクトルに変える」かでしか出口戦略はない。

しかし、人間の世界や社会における「価値判断のプライオリティー」は時代と共に移り変わってきたが、現代では「自己愛・美意識・美の鑑賞や快楽の堪能」といったかつて王侯貴族の価値観が、芸能メディア、ネット(写真投稿SNS)の影響で拡大し続けていると解釈できる。今の若年層だけに留まるかも分からない。

自分や友達、恋人などの写真をネットにアップして周囲の反応を求める文化そのものが、かなり「容姿・外見の相対比較」を意識させる文化であり、「交友範囲の多様性」を縮小して「類似性の原理(似たもの同士のコミュニティ凝集性)」を強化している。表層的文化でありつつ、水面下で進化・性淘汰とも関連する。

男と女の「美人論」の噛み合いにくさは、所有(恋愛・結婚)と美・性の堪能の違いにもある。女性は「最高レベルの唯一の美人」がいればそれでずっと満足する前提を置くが、男性は「さまざまな外見と性格・会話・性愛の多様性」の前に自制を強いられる。愛と倫理を除けば美は移ろいと多様性で流動する生命の刹那だ

男性の性選択の一つの思考実験として、「100点の美貌を持つ女性+愛想と自分への興味がない」なら、「50~80点の美貌を持つ女性+明るい笑顔と愛想、自分への興味がある」がいるとして、100点の女性はかなりの確率で選ばれない。一人の絶対的影響力は美貌よりも愛情と倫理と信義(裏切れない)において維持される。

美貌と快楽と歓待(ホスピタリティー)の相乗作用は軽視できず、それぞれに倍々の影響力をもたらす梃子の原理である。恋愛にせよ飲み屋のような商売にせよ、100点の圧倒的な美人でも敗れる可能性があるのは、70点の女性で会話と遊び・性ともてなしを極めれば、相乗作用によって合計点では抜き得るからとなる。

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ストーカー加害者の自覚の無さと「ストーカー脳」の気質、 幸福を実感できるお金の使い方とはどんな使い方なのか?

○人間の脳は一般にストーカー傾向(所有・愛着)を持つらしいが、近代以前は身分や婚姻、規範で人間関係の流動性を落とし心理問題を見えづらくした。儒教の倫理規範を前提にして、君臣でも夫婦でも相手の変更を「悪」にして別れることを難しくした。

ストーカー加害者、4人に1人は自覚なし 初の心理調査 (朝日新聞デジタル、http://mixi.at/a21SLV1)

例えば、婚姻制度では人のその時々の気持ちの変化を無視し、「生涯連れ添う誓い」を立てるが、現代では相手が嫌いになって「二度と近寄らず話しかけないで」といわれれば従わなければならないが、前近代や今のイスラム世界などではいったん形成した婚姻や家族に対し「嫌いになったから近づかないで」は通用しない違いがある。

というか、昔の人は婚姻なり家族や男女なりの関係を「流動性のある関係・個人の気持ち優先の関係」とは認めず、イスラム世界でも婚約破棄や自由恋愛、不倫、離婚を「不名誉罪」として離れようとする側を罰したり殺そうとすることもある。この辺に自由な個人がいなかった近代以前の人の脳のストーカー性が反映されている。

現代においても、婚姻制度、親族関係や終身雇用には、「いったん固定された関係性は個人の気持ちや都合によって基本的に変えてはいけないというストーカー脳(ずっと同じでないとパニック傾向)」に応える要素がある。一方が納得できず物心の備えがない時、『別離・離婚・解雇』は人によっては怒りか絶望を反射的に生む。

ストーカーになる人は特別な人かといったら、前近代社会や男尊女卑の開発途上国・イスラムを見ると、『いったん構築された固定的関係を壊して絶縁しようとする時に、人間の脳がある種の動物的暴力性』を発揮しやすいのは、元々多い傾向で、昔はストーカー問題を『社会の流動性の低さ・義務や慣習』で隠せていたのだろう。

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