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映画『ジャッジ!』の感想

総合評価 78点/100点

国際広告祭の何でもありの票取り合戦と“できない男+できる女”のツンデレ系の恋愛をテーマにしたコメディ映画で、妻夫木聡のカマキリのポーズや丸暗記の英会話戦術を初めとした馬鹿らしい演技が記憶に残る。北川景子は『謎解きはディナーの後で』とかぶるような攻撃系のキャラだが、何でもありが前提の投票合戦で不正をしようとしない妻夫木演じる太田喜一郎の糞真面目さに、いらつきながらもバックアップする。

大手広告代理店に勤めるCMプランナーの太田喜一郎(妻夫木聡)は、要領が悪くてお人好し。クリエイティブな仕事に憧れて広告業界に入ったものの、いまいち仕事も上手くいかない、調子が良くて女好きなノリノリの上司・大滝一郎(豊川悦司)からはいつも良いように使われている。

大滝一郎が自信満々で制作したエースコックのきつねうどんのCMは、エースコックの責任者から不評できつねをネコにしてくれという無茶なダメだしを食らう。大滝は太田にきつねをネコに見せかけるという無意味な仕事を丸投げし、自分の名前を制作のクレジットから外すように指示する。

仕事も私生活も思い通りに行かず落ち込んでいる太田喜一郎は、空気が読めずに一人だけ除け者にされた合コンの帰りに、地元の初恋の相手と偶然遭遇するが、その子は既に昔馴染みの友人と結婚しており、更に自分だけ同じ場所で停滞しているような疎外感を味わう。太田はその子から貰ったぬいぐるみのキーホルダーを未だにつけ続けていたりする。

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AKB48やEXILEは『反知性主義・反教養主義』の象徴であるという主張

が『内田樹&名越康文の辺境ラジオ』というラジオ番組で語られたらしいが、芸能・スポーツをはじめとする大衆文化というのは歴史的にも心情的にも『反知性主義・反学歴主義』であるのが普通である。

http://blogos.com/article/77754/

国民総員が知性・教養・文化主義(分かりやすい物理的・性的な価値の否定と非職業的な文化教養への耽溺)に傾けば、おそらく産業経済の生産力・雇用は維持しづらくなるし、『難解なロジックや意味づけ、専門的訓練が不要な直感的かつ本能的な魅力』は人間の社会再生産や労働意欲にとってはむしろプラスに作用することも多いかもしれない。

端的には、学校・官庁・企業の積み上げ型のキャリアが形成する『学力・勤勉・職能職歴・人脈などをプラス要素とするピラミッド型の階層構造』とは異なるフレームワークを作り出すのが、近代以降の芸能・スポーツの領域の役割である。

歴史哲学的に言えば、芸能・スポーツは『中心に対する周縁の価値体系』を構築することで、社会構成員の大多数を占める『大衆層の夢・娯楽・憧れ』を作り出す。華やかさや面白み、魅力に乏しく見える政治経済エリートのカウンターカルチャーとして、芸能・スポーツは『現代のサーカス』として喝采されると同時に、政治経済システム中枢の動向に対して国民の無関心を強めるバリアにもなる。

それらは、マーケティング・宣伝戦略を典型として経済活動の促進にも当然応用されるのだが、芸能・スポーツの一線級のタレント(選手)は、誰もが心のどこかに持つ『文明化・管理化・家畜化されたくないという人間の本能(=身体性・生物学的感受性)』にダイレクトに作用することで支持・人気を集める力(カリスマ性)を持つ。

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小室哲哉と華原朋美の共演:プロデューサー小室哲哉の男女関係のリスクと小室・華原の危機からの回復

小室哲哉は『小室ファミリー』を売り出すプロデューサーとして一世を風靡したが、モー娘のつんく♂やAKB48の秋元康と異なる点として『自分が売り出している女性アーティスト』に連続して手を出したり別れたりを繰り返した、特に小室を半ば崇拝するような形で狂信的な恋愛をしていた華原朋美との別れ方が下手だった(シンデレラストーリーで舞い上がらせた相手を突如切り捨て、精神病に近い状態にまで傷つけて追い込んだという風に見られた)という部分でのマイナスイメージは強かったように思う。

小室哲哉、華原朋美と共演の真相を明かす「ケジメです」

小室哲哉の女性関係は『小室ファミリー』という内輪に閉じ過ぎており、その外部の女との親密な関係が噂されたことが殆どなく、見ず知らずの女にナンパすることなどはしそうにないシャイな小室の性格もあってか、『予め自分への好意・尊敬・力関係が明らかである(まず断られるリスクのない)ファミリーの女性以外の女性』には行かなかったのかもしれない。

小室がプロデューサーとしてヒットした後の女性関係は、華原朋美にせよ、結婚したdosの吉田麻美やglobeのKeikoにせよ、『先生を尊敬している教え子・上司を尊敬している部下・先輩に好意を持っている後輩』のような関係にある女性であり、小室にとってはアプローチしやすい相手ではあっただろうが、仕事上のリスクや手がけているアーティスト同士の諍いの恐れがあるものでもあった。

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宇多田ヒカルが藤圭子と楽曲に投影した“母親的なものの表象”と“守りたい(守られたい)欲求”

藤圭子さんが情緒不安定になって感情・気分の波が激しくなり、妄想・幻覚・興奮といった精神病的な症状に苦しめられ始めたのは、娘の宇多田ヒカルさんがまだ小さな頃からだった(具体的に何歳かは記されていないが)ということから、藤圭子の精神疾患あるいはパーソナリティ障害のエピソード(症状の履歴)は相当に長いということにはなる。

藤圭子さんは米国の心療内科での長期入院の経験があり、付添人がいてもなお自殺企図を起こしたことからもその精神疾患の程度は重く、あるいは重症うつ病のような抑うつ感・希死念慮・厭世感が慢性的に生じていた可能性がある。

『家族との長期的なコミュニケーションの断絶』が耐えがたい孤独感・疎外感につながっているというような本人の述懐もあったようだが、元夫の話などでは家族といる時にも精神的に不安定になることが多く、家族としても『どういう風に接して上げれば良いのか分からない・ネガティブな感情や興奮に自分も巻き込まれてしまって苦しい』という事情があったのかもしれない。

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