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清原和博選手の薬物による転落:斉の孟嘗君(史記)のエピソードを思う

一流選手の挫折には伊良部氏の自殺があったが清原氏も一時自殺寸前までいったという。華やかな生活・名声・人脈・結婚からの転落と人間不信は辛いが自殺や薬物の逃避から何とか立ち直って欲しい。

元プロ野球、清原容疑者を逮捕=覚せい剤取締法違反容疑―警視庁

多くの有名人や落伍者が、脳に直接的な快楽・陶酔・高揚をもたらしてくれる薬物に逃避する。何も頑張らなくても使用するだけで心地よくなれる薬の誘惑は、精神状態や過去の使用歴によっては耐えがたいものになり得る。だからこそ一回も使用すべきでないし薬物を使いたくなる心理・環境・人とのつながりが既に自滅的である。

違法薬物を使用する者は、不可避的に『嘘をついて生きる人生』を歩まざるを得ず、清原和博氏もその例外ではなくテレビ番組で『薬物使用歴はないとの嘘』をついてその場しのぎをしたが、嘘をつく生き方というのは必然に自尊心と前向きな意欲を奪い取っていき、自己嫌悪から更に薬物に依存する認知を再生産するリスクを孕む。

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映画『かぐや姫の物語』の感想

総合評価 90点/100点

誰もが知る竹取物語の冒頭は、“今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山に交じりて竹を取りつつ、万のことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となむ言ひける”より始まる。アニメ映画の『かぐや姫の物語』でも、竹取の翁(おじいさん)が竹林で光り輝く竹を見つけて、その手前に伸びてきた竹の子の中から“小さな美しい姫”を拾い上げる場面から始まる。ストーリーは『かぐや姫と捨丸(すてまる)の輪廻転生を思わせる恋愛・かぐや姫の都嫌いと自然回帰願望』を除いては、ほぼ原作を忠実になぞっている。

着物をまとった小さな姫はするりと媼(おばあさん)の手をすり落ちると、瞬く間に赤ちゃんへとその姿を変え、姫を『天からの授かり物』と信じる翁と媼の手によって目に入れても痛くないほどに大切に育てられていく。自然の野山を自由に駆け回って、まるで雨後の竹の子のように急速に成長していく女の子は、山に生きる子供達から“たけのこ”と呼ばれて可愛がられ、あっという間に美しい少女へとその姿を変えていった。

アニメーションは画用紙に書き殴ったラフなスケッチ画のような線質を意図的に出しているが、『人物の表情の複雑さ・墨水画風に色を加えたような色彩・ダイナミックかつ独自性のある動き』に新しさは感じる。

かぐや姫にしても絶世の美女であることを分かりやすい『アニメキャラ(美人だったり可愛い子だったりが一目で分かるキャラ)』の形で創作しておらず、キャラクターとしての存在感はもののけ姫やナウシカ、千と千尋のヒロインなどと比べるとやや落ちるだろうし、『古典世界の住人』としての輪郭の曖昧さ、実在感の弱さをわざと残しているのではないかと思われる。

翁は姫の神通力のおかげなのか、竹林に行く度に砂金の黄金がぎっしりと詰まった竹を見つけて、次第に財力を蓄えていく。美少女へと成長してきた姫を見ている翁は、このまま辺鄙な山奥に埋もれていたのでは、姫に幸福で華やかな人生を歩んでもらうことは不可能だと悟り、蓄財した膨大な砂金を使って『京の都(みやこ)』に出ることを計画する。

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