「学校教育」タグアーカイブ

山里亮太と蒼井優の結婚について雑感、川崎殺傷事件と不幸・不遇・報復の自己認知、学校に行かないホームスクールの選択肢など

○容姿格差婚が暗黙の前提になっていて、山里氏本人が蒼井優氏を格上に祭り上げるスタンスだから余計にこじれるが、産婦人科医でナチュラルな優生思想を語るのはデリカシーがない。容姿イジリは芸人の生命線だが、一般人がされたら迷惑で傷つく。

とくダネ宋美玄氏、山里結婚イジりで批判浴び謝罪 http://mixi.at/a9NBzsX

だが現代のマスメディアは基本的に「容姿格差・外貌ヒエラルキーのネタ」を前提に成り立っていて、テレビ番組で人気のある「モニタリング」でも「容姿レベルが高い芸能人に一般人が対面で優しくされたらどうなる系」の舞い上がる姿を笑うネタが多い。昨日も吉岡里帆にデレデレで血圧を上げている一般男性がネタにされていた

○一般の少し可愛い女性でも、純な男の心を動かすのは容易い…岡田准一・三浦春馬・瑛太・堤真一・鈴木浩介らをのめり込ませた事もある蒼井優からしたら「天才」と呼ばれる程の返しではないかもしれない。

蒼井優、山里亮太からのプロポーズを引き出した“返し”に反響「天才」「たまらない」 http://mixi.at/a9M0O66(06月07日)

蒼井優さんのコミュニケーション能力やコロコロと変わる表情の出し方が、ナチュラルなものなのか、一定の経験則・計算(心理操作)も含むものなのかは分からないが、本人が意識しなくても「男をその気にさせる表情の出し方・言葉の選び方・反応の仕方」が上手い女性は恋愛市場ではかなりモテることは確かだろう。

山里亮太しか知らない蒼井優の顔があることは否定しないが、ポルシェに乗って咥えタバコをしているクールな写真、マンション購入で結婚準備をしてた鈴木浩介を切ったなどまた蒼井優の知らない顔もあるかもしれない。多面的なコミュ強者の印象。このタイプが急にクルリと変わると怖いが、人は基本単純・素直なだけではない。

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文系博士(文系の高学歴)になっても稼げないのはなぜか?学歴社会・公務員的雇用・稼ぐ能力などについての考察

○文系学部廃止論もあるが、経済活動と連携しない教養主義的な学問を国家が保護しなくなっているが、文系博士は民間では学校・塾等の教育分野くらいしか実需がない。院の入口部分で十分な説明が必要。

文系の博士課程「進むと破滅」 ある女性研究者の自死 (朝日新聞デジタル – 04月10日 07:32)

文系博士でも分野・内容・本人の資質(性格)によって、博士号を間接的に何らかの収入源として活用できるかどうかは変わってくるが、文系博士は職業直結の学位ではなくアカデミックポストを確約するパスポートでもない。大学院で博士号まで取得する人は、大学・研究以外の一般的な仕事を選択できない自己規定が枷になる。

根本問題は、大学でなくても何らかの公務員的な雇用(非市場的な分野の仕事)を得られなければ、文系博士の持つ知識・ノウハウ・経験などは直接にはお金になりにくいということであり、その認識を持った上で修士・博士まで取得する意義と潰しの難しさ(専門や学術を仕事にできない恐れ)を自分で理解していなくてはならない。

人文学の専門家も必要だが、公務員的なポストを得られる専門家の絶対数はかなり限定されるということである。特にマイナーな専門分野で一般国民の知的好奇心・読書範囲からもズレている場合には、アカデミックポストも公的機関のポストも採用人数が極端に少なく、わずかな椅子に高齢の権威が居座り続けて空きもでにくい。

学問・研究にこだわりすぎれば経済的には追い詰められやすく、最悪、年齢要因によって単純作業的なアルバイトのような仕事しかなくなることも多い。勉強が得意でそれなりのコミュ力・説明力もあるなら、専門分野はサイドワークとして学校教員・地方公務員などを本職とした方が経済的には救われる。

人文系の素養や文章力を活かし、作家として成功するような人も少なからずいるし、広義の物書きで糊口を凌ぐ人も多いようには思う。今はネットで大勢の人が読みたいコンテンツを書ければ広告収入なども得られる。「自分の知識・情報を換金できる方法」にも頭を使わないと、市場の需要・雇い先がない研究だけでは危うい。

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男と女はどちらが「得」なのか?、 韓国の少子化は日本以上に深刻、いじめはなぜ無くならないのか?など

○一般論では自立して稼ぎたいなら男が有利、誰かに気に入られて優遇されたいなら女が有利。統計的な正規分布では男は女より能力・人格・人生の個人差が大きく、転落しても外部援助は受けにくい。

もう女性なんてやめたい! 悩む人がいる一方「女は得だ」の声も (しらべぇ – 03月27日 08:51) http://mixi.at/a5hpiSr(03月28日)

女性でも男性と対等に自立的に生きたい、男性の欲望や庇護と無関係に自力で生きたいというプライド・能力が高い女性は、男性以上に苦労しやすく、今でも同レベルの能力を持つ男性よりも報われにくい。女性の方が得の大部分は、企業サービスを除けば「有力な男に気に入られること」なので、ある程度の交換条件性がある。

自立して稼ぎたいなら男が有利だが、男も「能力・才能・意欲・運」などがなければ、そんなに稼げないので男としての有利はなくなる。異性に優遇されたいなら女が有利だが、「若さ・可愛さ(愛嬌)・美と性」の関数なのでそれらがなくなれば有利は失われやすく、人生の前半に身体資産(エロティックキャピタル)が偏る。

男性が女性のほうが得と言う時、「男の身体自体に性的価値が低いので、何もしなくてもちやほやされること=得になることがまずない」に由来している。だが若い女性で「性的身体を求められたくない・仕事の実力ややる気だけ見てもらいたい」という人は、逆に身体資産が邪魔になる(勝手に男が公私混同する)問題がある。

若くて可愛い女性が愛想や笑顔を振りまけば、直接・間接の恩恵やメリットは得られるが、「一定以上の本格的な大きな得」を身体資産を使って得ようと思ったら、「男性の欲望の受容・恋愛や結婚」が関わってくるので、自分の幸福や人生設計まで考えたら力はあるが簡単には使いにくい状況になる。

逆に、男性は自分自体に大した性的価値がないから、人に勘違いされてしつこくされるリスクや誘われた時に断る面倒はそんなに考えなくて良いし(よほどモテる人除き)、暗い夜道だって性的に襲われる心配なしで(強盗・無差別殺人などはあれど)一人で歩ける良さもある。自分自体が求められないのは得もないが危険も少ない。

○韓国の人口急減は日本の少子化を上回る。新生児数は昨年より約5万人減少で35万7700人で過去最低更新。1970年代に韓国の出生数はピークで約100万人(今の日本と同程度)、2002年には49万人に半減した。東アジアの日本と韓国の人口動態・婚姻低調・男女意識は似ているが、共に格差と人口減が同時進行か。

儒教的な男女観や家父長制的な家族観・お見合い結婚(身分相応な婚姻)の急激な変化、経済成長からの停滞・格差拡大が、東アジアの少子化・人口減少の背景にあるが、韓国も1980年代までは女性の地位・権利が極めて低かったが、1990年代の女性の自由化・社会進出が婚姻・出産の減少前に進んだのは日本と似る。

女性の社会進出や働きながら子育てできる社会が、出産率を高めるは、ポリコレだけでなくアメリカ・北欧・西欧ではある程度当てはまるのだが、儒教文化や家父長制・お見合いが根強かった日本含む東アジアでは少なくとも現段階までは当てはまってない。東アジアでは男女平等のロマンスや恋愛文化が弱い影響が大きい。

未来においてどうなるかは分からないが、女性の社会進出の進展と所得上昇によって、より多くの人が若い時期に結婚してこれから一人の女性が3人とか4人とか産むのが当たり前の時代が来るという楽観的な見方はまず現実と一致しないように思えてならない。働きながら子育てできたとして、そんなに大勢の子供を皆が皆、求めるものだろうか?

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人に「学歴」を聞いてくる人は何を考えているのか?、山口揚平「新しい時代のお金の教科書」からお金と人間について考える、現代で望まない妊娠をして悩む若い女性の問題など

○研究者・学者・専門家の世界で学歴を聞くことには、「専門性・師弟・業績・研究内容」を知るという意義があるが、一般的には「偏差値・入試難易度による序列」が背景にあるので嫌な人は嫌だろう。

「学歴を執拗に聞いてくる人」にイライラ 女性の投稿に共感の声 (http://mixi.at/a3v9BUo)

学歴・所得・所属はその価値を認めるにせよ認めないにせよ、「客観的な数字で示唆される階層序列構造」を持ち、どちらが上でどちらが下かの認識は共通のものとしてある。100点は80点より良いという単純な意味は変更できない。共通の常識としてあるがそれを敢えて比較するのは、「競いたい人」以外には意味がない。

学歴は過去の成績ややる気に基づく結果で、「今の時点」で学歴を比較しても、学歴に納得できていない人にとっては(権威的な学歴と関係ない世界と仲間関係で生きていきたい人にとっては)、敢えて指摘されても愉快な気分にはならないということである。学歴でもお金でも、その話題をしたい人かどうかを見極めることが大切。

逆に、その人の学歴が良いことが分かっていて自分から言わない人に、学歴や専門の話題をさりげなく振れば、相手は喜んでくれやすい。学歴でも仕事・性格・趣味でも、「相手が自分の長所・持ち味としている部分」について上手く質問すれば、相手は心を開いて楽しく語りやすいのである。嫌がりそうな話題を振る必要がない。

さらに言えば、高学歴の人でそれなりに順調なキャリアを積んでいれば、周囲にいる人材や専門家も自分と似通った学歴・学位の人が多くなってくるので、「学歴の高低に関する話題」そのものはまずでない。学歴だけ突出していて、自分と違う学歴の人ばかりの場にいるのは、自分が不本意な仕事をしているケースが多い。

中央官庁のキャリアや医師・法曹、コンサルファーム、投資銀行などに行くような高学歴者の多くは国内なら東大・早慶・国立大・医学部・海外留学組(帰国子女)などであることがほぼ前提で、周りも似たような学歴の人が大半だから、あなたは大卒ですか(学生時代に勉強できましたか)など馬鹿げた質問をする人はまずいない。

学歴・所得・所属組織など階層序列は擬似的身分制だが、そこでマウンティングし続け、最後に行き着くのは皮肉にも個人の力ではどうにもならない「家柄・人脈・歴史」である。最後は祖先の系譜や財閥・閨閥などと関係する「身分制」に近い権威になってくる。今は眞子さんに迫った小室圭さんのような度胸ある庶民も出てきたが

○山口揚平「新しい時代のお金の教科書」は、お金がない社会がユートピアかディストピアかについて考えさせられる本。先史時代のお金の起源の一つは「動かせない石」であり、「物々交換(価値・労働)の流動性を止めるため=価値の蓄積を宗教的・観念的に共通認識させるもの(貝も金も貨幣自体は無価値)」の視点は面白い。

もう一つは現代にもつながる「お金=信用力」という見方があり、お金がなければ絶えず自分の信用力を「役割と労働(役に立つこと)・外見(魅力)・能力・実績」で示し続けなければ生存維持すら困難になる。人がお金を求めない社会は「価値保存がしづらい社会」なので、老化・病気・障害がよりハイリスクになる恐れがある。

お金や貯金(資産)は、過去の労働・投資の努力の蓄積を他者にも通用する価値として保存したものという側面もある。「お金がない社会」では、過去の価値を他者にも通用する形で蓄積することが難しくなるので、「直接の人間関係・記憶や倫理」によって直接助けてくれる誰かを確保し続けるというより高いハードルになる。

お金は確かに人間を不自由にし、ある意味では不本意な生き方を半分強いる力を持つが、逆に言えば「お金・給料の必要性がある人間」が誰もいなくなったとしたら、今ある社会福祉や公的事業、高齢者介護などの仕事に無償・倫理観(慈愛・博愛)で従事してくれる人を探すことが果たして可能だろうかという問題は深刻化する。

それどころか、恋愛や結婚にしても、中途半端に豊かな今ですら、「メリットがない・負担だけ強いられる(男性だけ・女性だけが負担が多い)」というような意見もあるのに、ロボット労働社会などで「生きるためのお金・給料・仕事の必要性」が取り除かれたとしたら、敢えて異性を求める動機は直接の性や対人魅力以外は落ちる。

生きるために必死に働かなければならない、安定した人生設計のためにお金も重要という価値観が、「現代人の生き方・人間関係」を不可避な運命として規定してきた部分は無視できないほど大きい。シンギュラリティーや自動化経済によって、「生きるための金銭・労働の負荷」が今の半分以下になっても人類は劇的に変貌する。

仮想通貨の需要やテクノロジーの話題などもあるのだが、「お金・労働・意識と倫理・異性・テクノロジー」というものの複雑な相互相関関係はそれらのどれか一つが「不可逆的・革命的な大変化」を起こすだけで、社会構造や人間の基本的な生き方・目的意識そのものを変化させてしまう力を潜在的に持つともいえる。

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現代の女性が結婚したい「3優男子」とは何なのか?、 高齢者や障害者の介護問題とストレス、 褒める教育の本質についてなど

○「3高・3低・3優」と女性にとっての好条件はあるが、「絶対に結婚したいのか・どうしてもその相手と結婚したいか・結婚後の生活や育児が成り立つか(自分の負担割合・役割)」が前提で、出会えた人や選べる範囲で選ぶかどうか。

「3高」はもう古い? 現代女性が結婚したい「3優男子」とは(http://mixi.at/a3lWfnI)

3優のような条件が高望みか贅沢かどうかは、本人の影響力・総合的魅力とその人を選ぶ男性側の価値観次第(男女の気持ちのバランス・どちらがより相手に惚れ込むか)なので、客観的に見てそれほど魅力がなくても、一人の男が「何でもしてあげたい・自分が万難を排すから結婚してくれ」ならそれで話がつく。

結婚や男女関係では二人の間の合意さえあれば、どんな一方的な条件でも話はつくが、一時の恋愛感情や独占欲に基づく「男特有のはったり」も有り得るので、婚前の約束(何でも俺に任せておけ・財産が?ある・お金のことでは苦労させない・働いても働かなくてもどちらでも良いなど)は話半分で聞いておいたほうが良い……。

3優男性の記事で、「男に色々してもらいたい女・買ってもらいたい女」を非難する声も多かったが、現実、若い世代の女性であれしてくれこれしてくれ(買ってくれ)という女性は「商売・飲み屋」以外はまずいない。それほど好きでない男が色々してやるといっても「申し訳ない・後で面倒くさい」で断る人の方が多いと思うが。

カネの欲望は、出せる相手と場面、関係性がある。「結婚後にカネの欲深さ・相手への要求(各種の義務のある関係性を確定すれば安心して多くの要求ができると思う男女は多い)」が強まるケースの方が多い。身内・家族に対して要求が多くても、外部の人に要求が多いとは限らず、内と外で違う印象の人も多いものだ。

男性も女性も「自分のもっとも魅力的な気を遣った顔(サービス精神旺盛な側面)・相手に好かれようと思って動く姿勢」というのは、「関係ができあがっていない第三者で好意を持つ相手」に向けられることも多い。それが不倫・浮気の一因にもなる。気を遣わない楽な相手はいいのだが、行き過ぎると異性としての認識が薄れる。

長期の交際や結婚生活になると「格好いい自分・可愛らしい自分」をあえて相手にアピールしようとする人は9割方いなくなるが、「自然体の自分」でいられる気楽さの慢性化は、「育児など生活の忙しさ」が過ぎ去った後に関係性のリスクになる。枯れられない人は特にそうだろう。

30~40代の女性で不倫とか浮気とかをしている人も、特別な不満があるわけではないが、「このまま人生が静かに終わっていくことが虚しいという心理」と無縁ではないようだ。結婚制度に参加している限り相手を裏切る不倫はすべきではないが、昔と違って40代でも心身が若い人が増え、「人生後半の端境期」の葛藤は増えた。

誠実・素直でまっすぐ地道に生きられる人こそ幸いではあるが、現代人は快楽主義にせよ禁欲主義にせよ「自意識・欲望のレベル・人生設計」をこじらせると、いずれも精神的・社会的に危険なゾーンに入りやすい。男でも女でもなまじ自分の何かに自信を持っている人ほど、中年期の陥穽が静かに口を開いているから用心すべきだ。

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中学・高校では「茶髪(髪染め)」を絶対悪と見なしやすいのはなぜなのか?、女性・年下を「お前」と呼ぶことの問題など

○まだこんな馬鹿げた頭髪の指導をやっていたのかとは思うが……髪色・服装を「非行・迷惑行為の象徴」として認識する教師と不良生徒の相互作用は馬鹿げてはいるが、完全にはなくならない認識だろう。

「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴 (朝日新聞デジタル http://mixi.at/agzYSQD 10月28日)

近代日本の学校の原点は、外見上・行動上の生徒の個性をできるだけ消して「画一的な要素」として扱うことで一方的に組織適応させるために規律訓練することにあった。「同じ服装・同じ髪型をさせられることによる服従性の高まり(自己主張性の弱まり)」があるので、学校側は生徒の反抗を防いで扱いやすくはなるのだろう。

近代の学校システムは緩やかに個性尊重や能力開発の方向に変わってきた学校もあるが、学校制度の基盤には「規則(ルール)や権威への無条件の従属性」がやはり残っている。「なぜそれをしてはいけないのかの理由の追求」よりも「とにかくみんなで決まりを守って、上位者に言われたことに従うこと」が求められるものである。

無論、大人になって現実社会に出て働き出してからも「個性の発揮・自由なアイデアだけで稼いで生きていける人(場の秩序感覚に無理に従わずに勝手にやっても稼げる人)」は全体ではかなりの少数派で、大多数は「理不尽な組織の規則(ルール)」や「権威的・形式的な上下関係」に何とか適応しなければ生きづらくなる。

その意味で、「この学校では黒髪以外の髪色は認められません・なぜなら日本人の大多数の地毛は黒いからです(例外的な人は染めて合わせて下さい)」という融通の効かない差別的・形式的なルールも、それが現行法や組織の慣習法の擬制ならば、似たおかしな規則・慣習に無意識に従って丸く収める大人はやはり多いだろう。

学校側は、地毛が金髪でも無理やり黒色に染めさせると強弁しているが、白人の自己主張と知的レベル(法的対抗手段を理解する)の高い家族の金髪の娘が通学していて、その白人の少女の金髪を黒色に染めさせるかといったら染めさせないだろうし、強行すれば人種差別問題として非難される。黒人の天然パーマも同様である。

日本の学校社会における人種的・文化的なダイバーシティへの適応は前時代的に遅れているが、現代においてなお、日本人はみんな黒髪・黒い瞳・直毛であるべきだという「単一民族国家の外見均質化の幻想」が学校の中で崩れていないというのは、現状では白人・黒人・ハーフの外国人子弟があまり学校に入ってきていない現れでもある。

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