「環境問題」タグアーカイブ

人類(主体)と自然(客た)の関係性の西洋哲学、 パウル・クルッツェンとユージン・ストーマーの「グレート・アクセラレーション」

○人類史及び人間の意思は、「自然・必然」と「人間・自由」の二元論で進歩、倫理判断(善悪分別)を繰り返してきた。自然を「非生命」と見なす機械論的自然観、人間も「自然の一部」と見なすガイア思想の両極において人類はいったん挫折を経験し、「地球史的な環境課題・生存危機」と「差異拡大による野蛮の復活」に喘ぐ。

「主体(見るもの)」と「客体(見られるもの)」の二元論は、特に人間の自然征服やモノ(資源)の操作・開発、戦争による支配・独占、男女ジェンダーの役割分担などに影響を及ぼしてきたが、近現代において「客体の主体化・人権の拡張・倫理や内省の深化」などによって、主体と客体の境界線は揺らぎ崩れ始めたとも言える。

近代人にとっての主体とは「意識の尊厳の基盤・権利享受の資格」で、主体の範囲拡大が近代の「権利感覚」を形成した。主体とは「過剰な生命化(価値ありとされる生命)」であり、客体とは「過剰なモノ化(配慮不要とされる非生命)」であったが、「生命至上主義の拡張」としてアニマルライツや菜食主義等も考えられる。

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「500円玉貯金」の魅力とATM経由の紙幣への交換の手間, 京都の公園のポイ捨て問題について

○500円貯金が流行しているのか、店舗や自販機などで500円硬貨の釣り銭が切れている事が増えた。1000円札で自販機を利用した時、900円弱のお釣りが100円玉のみで出た時はがっかりするものだが、大勢が500円を貯め込むと身近な流通量に影響するかも。

お金持ちがハマる!「500円貯金」の魅力とは?

500円貯金の楽しみは分かるが、はまると短期で大量に貯めたくなり、1000円札で数百円の買い物で強引に500円玉を作りたくなってしまう。980円の料金で1480円を出すまでいくと、とにかく釣り銭で500円硬貨を得る姿勢に。1000円の実質価値が500円以下となり、500円目的の千円札の消費が早くなる。

500円貯金を熱心にしている人だと、680円の会計に対して1000円を出すのは、500円硬貨の獲得機会の逸失に感じてしまう。全種類の硬貨を適当に貯めるよりは貯まるが、10万円分たまる500円硬貨のみの貯金箱でも、満タンにするには結構月日がかかる。500円を意図的にお釣で得てないと、貯まる速度も遅い。

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楽天が鯨肉の販売を禁止:国際的な反捕鯨運動の高まりに合わせ始めた日本のIT企業

福岡県のスーパーでは鯨肉は普通に売られている事が多い感じがある。鯨のベーコンや塩鯨、おばいけは概ね298~398円でそれほど割高な食材でもないが、日本人でも米食と連結した鯨食文化は衰退傾向。

鯨食、逆風強まる 楽天が販売禁止、敬遠する飲食店

鯨肉、特に塩漬けの塩鯨はどう調理しても、トーストやパスタ、豆の欧米風の食文化とは相性が悪い。『現在残っている鯨食文化圏』は、鯨の絶滅危機や倫理的問題だけではなく食・味の嗜好の面でも拡大できる可能性があまりないのが難しい所。どう主張しても、わざわざ鯨を食べなくても…という前提が反捕鯨国からは抜けない。

塩鯨のお茶漬けは、数ある茶漬けの中でも鯨の油との相性が生み出す特別な美味さがあるが、その味をそもそも米を食べない反捕鯨国の人々に受け入れてもらうのは不可能に近く、お茶漬けのような食べ物自体を必要としていない。独特な鯨の油の香りは、欧米圏の平均的な食文化では、『嫌な臭み』として知覚される。

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福島第一原発の汚染水問題の抜本的対応策の難しさ。

オリンピック招致のプレゼンでは、安倍晋三首相が何が何でも東京に五輪を招致するために、『汚染水問題は完全なコントロール下にある・沿岸の0.3km2の範囲内に汚染水は閉じ込められている』としたが、汚染水問題の難しさと怪しさは誰も直接的に福島第一原発の排水領域には足を踏み込めないこと、東電・政府関係者が出してくる数値を半ば鵜呑みにする形でしか汚染状況を把握できないところにある。

セシウム濃度測らず排水=7タンクエリアの滞留水―福島第1「緊急措置」・東電

海洋流出した汚染水に含まれる各種放射性物質の正確な濃度も不明であり、今までも繰り返し想定外の海洋流出が起こっていることから、不安が高まらざるを得ない部分もある。安倍首相のいう0.3km2の範囲外であれば一切の放射性汚染がないというのは『直接の実測値』ではなく『理論的な推測値』であり、また東電が出してくる相当に低い(実際の人体への悪影響も低いと予測される)汚染濃度に依拠した話でもある。

汚染水問題は抜本的解決をやり遂げない限り、毎日約400トンの量で増加を続け、それを貯蔵するタンクだけでも膨大な数とコストが必要になり、『既存のボルト締め型の貯蔵タンク』では既に接合部に隙間が生じて、そこからの汚染水の漏れが懸念され始めている。

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富士山の世界文化遺産登録と『概念・権威』による自然(生物)の価値判断

富士山は環境問題(ゴミ問題など)の指摘から『世界自然遺産』への登録が難航していたが、日本の歴史的な信仰・意識・芸術・景観が輻輳した富士山の総合的な評価を訴える『世界文化遺産』に切り替えた事が奏功した。富士山とその標高(3776m)の知名度は国内では圧倒的であり、富士山を直接視認できない地域の人でも知らない人はまずいない。

海外の親日家や外国人の日本文化愛好家も『富士山』の名前と山容の形態は知っているが、それはヒマラヤ山脈のエベレスト(チョモランマ)やK2、ダウラギリ、ガッシャーブルムといった『世界最高峰レベルの山(欧米の登山家がそそり立つ岸壁に征服欲・野心を滾らせた山)』とはかなり情緒的な色合いが異なる文化的な憧憬を伴うものだともいう。

葛飾北斎の『富嶽三十六景』は日本人の富士講の信仰心を背景にしているとも言われるが、外国人が見ても葛飾北斎や歌川広重らが描いた『浮世絵の富士山』に普遍的な美しさを感じるという声は多い。峻烈さと秘境性が際立つ世界の最高峰群と比較しても、そのフォルムに『簡潔明瞭の美』があるとされるが、確かに見た目の視覚的な安定感と普遍的な実在感に抜きん出たものがある。

浮世絵の価値は、外国人が再発見した日本の美と言われることもある。富士山の世界文化遺産登録によって日本人の登山者が急増したり、今まで富士山や登山に何の興味もなかった人が初めて興味を持つのであれば、それは『外国人(ユネスコ)が改めて強調(再認)してくれた日本の美』と呼ぶことができるものかもしれない。

日本人だけにとっての富士山の美にも価値はあるが、多くの外国人も認識して承認する富士山の美は、その価値判断の裾野を更に広げるし、グローバルなお墨付きが与えられることで『日本人にとっての富士山の価値(富士山を見る日本人のまなざし)』にも興味の増進や登りたい意欲といった変化を必然にもたらすことになる。

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