「言語」タグアーカイブ

感情表現の言葉の語彙が乏しくなる現代の子供たち:「キモい」「ウザい」「ヤバい」の3ワードのみ

“言語・数字”は知能の基盤だが『語彙・修辞・メタファー・長文』は子供に限らず大人も含め現代で減少傾向だ。大人でも非実利的な基礎教養や複雑な要旨の長文読解力は落ちた。

感情表現は「キモい」「ウザい」「ヤバい」3ワードのみ 子供たちのボキャ貧が深刻化

ボキャブラリー(語彙)の多さは読書・知識・文章構成の量によって裏打ちされるが、話し言葉だけでは『書き言葉・漢字表現・慣用句の語彙』は余り増えない。本・長文・詩を読まなくなり『話し言葉と書き言葉(エクリチュール)の差』が減った事もあり、多数派が言語表現の正確さ・複雑さを好まなくなった変化もある。

言語表現のレトリックは『言語による個性・心情の表現』で、自分の思考・感情をより精緻に、より印象的に表現したい動機を含む。だが今は技巧的なレトリックや想像力を求めるメタファー、ディープな自己表現は好まれない、『誰にでもわかる易しい表現・感覚の直な伝達や省略形・漢字を平仮名に開いた表記』が主流である。

叙情的・叙事的な文章にせよロジカルな論説にせよ、語彙の多さや文章表現の多様性を楽しむ人は『言語の意味・語感・語源などの想像力』が豊かで『言葉の官能・洗練に対する感度』がある。言葉だけでエキサイトできるタイプ。だが、ビジュアルでプラグマティックな現代は人文学・教養主義(ことばの官能)の衰退期でもある。

続きを読む 感情表現の言葉の語彙が乏しくなる現代の子供たち:「キモい」「ウザい」「ヤバい」の3ワードのみ

勉強・読書の本質的な意味とは何なのか?:知覚的な現象世界と言語的な普遍世界を生きる人の希望と絶望

アメリカでは成人の約8割が、一年間に一冊も本(電子ブック含む)を読まないというニュースを目にしたが、日本人でも実際にライトな雑誌以外の本・電子ブックを買って読む成人の層というのは、娯楽的な小説を含めてもなお多数派ではない。

一部の読書家が偏って購入していて、『長文(漢字の多い文章)を読むだけで頭が痛くなる・何が面白くて本なんか読むのか分からない』という人もかなりの割合でいる(ネットでも数千文字程度の文章が長すぎて読めない、文意が掴めなくなるという人は多い)。

勉強・読書は人を幸福なリア充にするか?:近代社会と勉強の効用と人生の面白さ

子供時代から読書習慣がなかったことも推測されるが、恐らく生涯を通して教養趣味・知的娯楽としての本(電子ブック)に触れることがないままということになる。だが、実生活や経済面ではそれは致命的な知識・体験の欠落では全くない、読まなくても生きたり働いたり関係を持ったりする分には不都合がないからである。

『時間がない(他に優先すべき仕事・家庭の用事などがある)』というのが本を読まない第一の理由だが、大半の人にとっては『読書よりも面白い活動や遊びがある』からである。しかし、総体的にはそれでも人生や恋愛、家庭運営などにおける致命的痛手を受けるわけではないし、逆にそれなりに読書をしている人よりも『内面の鬱屈・悲観・虚無感』が少なかったり、『実際的な生活面の行動』にはむしろ身軽に動けて意欲的・適応的だったりもする。

それなりに勉強をしてきた人(専門職やエリート職に就くなど職業上のベネフィットもある程度ある人)や読書をしてきた人の中にも、『自分はそれほど幸せではない・世の中はそんなに面白くない・他人のほうが人生を上手くやっている』という不遇をかこっている人は少なからずいる。

こういった人は、『シンプルな人生設計・分かりやすい欲求のストレートな充足(頭の中であれこれ考えすぎない単純な行動原理)』を隣の青い芝生のように見ていたりするが、『複雑な思考・知識の体系に対する執着』と『現実の快的な体験・関係性・金銭における対価』との間の葛藤によって容易には自分の生き方、考え方を変えることはできないのだ。

人間の幸福の典型的な類型として、難しいことをあれこれ考えないシンプルさ、知識・情報に振り回されない単純さを上げる人は少なくないが、それが自分にはできないといって嘆く人(ある種の自己の特別視と情報・知識の過剰に悩む人)もまた少なくないのである。

続きを読む 勉強・読書の本質的な意味とは何なのか?:知覚的な現象世界と言語的な普遍世界を生きる人の希望と絶望

勉強・読書は人を幸福なリア充にするか?:近代社会と勉強の効用と人生の楽しみ方(捉え方)

学校教育では勉強ができるかできないかが一つの重要な自己価値や他者評価の基準になり、勉強ができてテストで高い点数が取れることが、『将来の学歴や職業選択・キャリアパスにおけるベネフィット』として肯定的に受け取られることが多いが、勉強そのものが“人生の主観的な幸福感”とは結びつかないという意見も根強くある。

なぜ勉強しなくてはいけないのか、なぜ本を読んだほうがいいのかという言い古された問いはあるが、結論から言えば『勉強しなくても本を読まなくても生きる上では特段の不都合は生じないことが多い。勉強するにしても受験・就職・資格・職業・研究職などに関連した実学的な勉強だけのほうが(余計な世界観・思想・世界解釈・政治などに触れないほうが)実生活の上では役立つ』ということになる。

それでもなお、生涯にわたって自発的に続けていきたいと思う勉強や読書があるとしたらそれはある種の人間にとって如何なる意味を持つのか、という辺りをあれこれ考えてみたいと思う。

近年ではネットを中心にして『リア充』という概念が生み出されたが、10~20代の学生時代にはリア充であるかどうかによって人生の主観的な幸福感や楽しさが左右されるという人も多いようである。

隣の芝生は青いとか承認欲求の自己顕示というものにも近いが、リア充というのは『自分自身』について語られることよりも、『自分以外の恵まれているように見える他者』について語られる時に頻出するキーワードであり、『私こそがリア充である』という自己言及ができる人は滅多にいない。

リア充であるかどうかと勉強ができるか成績が良いかというのは一般的には殆ど相関しないと考えられている。むしろ一人でコツコツ勉強をしたり本を読んだりして『内面・知識・将来性の充実』を図っているよりも、余り小難しい理屈や思考・人生のプロセスなどは考えずに、仲間や異性と集まってワイワイ騒いだり、恋愛や性、生活を楽しんだりする人(端的には異性や仲間に好かれやすくて外向的にアクティブである人)がリア充に見えるというのが世間一般の感覚である。

勉強というのは畢竟『一人で行う内省的かつロジカルな営み(どちらかというと他者から離れて自分の内的世界の表象・演算に集中する営み)』であるから、試験勉強をみんなで集まってやることはあっても(それでも勉強が得意な人ほど他人と一緒に勉強する効果がないと感じるだろうが)、勉強をしている人を『楽しそうにしている羨ましいリア充』と認識する人は一般的には余りいない。

続きを読む 勉強・読書は人を幸福なリア充にするか?:近代社会と勉強の効用と人生の楽しみ方(捉え方)

“非常識な日本語”と“現代の日本語の語感”:正しい日本語の使い方は難しい

日本語は『身分関係の上下・立場の高低』を前提とした尊敬語・謙譲語・慣用句が多い。『与える』の物言いが失礼というのも、下位者が上位者に与えられる物・権威などない事に由来するが、『下賜=上位者から与える・献上=下位者から捧げる』は現代ではアナクロ(時代錯誤)だろう。

「耳ざわりのいい音楽ですね」という言葉、実は失礼って知ってた?

与えるが失礼なのは、『貧しい者・格下の者に余裕のある者(格上の者)が恵んでやる』というような立場の差違の語感があるからという事だろうが、現代では『感動(心理的なもの)を与える』と『モノ(財物的なもの)を与える』とでは語感が違ってきている。『何かをして上げるの物言いが嫌という感覚』と似ているのかも。

続きを読む “非常識な日本語”と“現代の日本語の語感”:正しい日本語の使い方は難しい

映画『舟を編む』の感想

総合評価 90点/100点

膨大な時間をかけて、見出し語24万の今を生きる辞書『大渡海(だいとかい)』を地道にコツコツと作成・編集し続けた人たちの姿を描く。時代設定は、PHSが発売されて間もない時期ということだから1990年代の前半くらいだろう。如何にも地味で華がないように感じられる『辞書・辞典』の類の作成は、出版社では極めて人気のない部署であり、若手の社員は辞書編集部に配属・転換させることを退屈な仕事やキャリアからの脱落として敬遠している。

辞書編集に精力的に取り組んできたベテラン編集者の荒木公平(小林薫)が定年退職すると聞いた国語学者・監修者の松本朋祐(加藤剛)は、『荒木君の代わりを務められる人がいるとは思えない』と愁眉を寄せるが、軽薄な若手社員の西岡正志(オダギリジョー)が見つけて連れてきた営業部の馬締光也(松田龍平)は辞書作成に対する意外なほどの熱意と適性を見せる。松本の馬締に対する期待と評価は次第に高まっていく。

馬締光也(まじめみつや)はその名前の通りに真面目を絵に描いたようなカチコチの男で、とにかく本が好きだからということで出版社に就職してきたのだが、声が小さくてボソボソとしか喋れず、人付き合い(社交)が苦手という性格が災いし、配属された営業部では全く成果が出せずに使えない社員の位置づけになっていた。

そもそも馬締は『本を読むこと・集めること』が極端に好きなビブリオマニア(書籍蒐集家の読書人)であり、『本を売り込むこと・書店や他者に薦めること』が好きなわけではなかったために営業では成績が伸びる余地がなかったのだが、下宿先の自室が本で全て埋まってしまうほどの本好き・文字好きの性格や嗜好が『辞書作成の仕事』にぴったりとはまるのである。

続きを読む 映画『舟を編む』の感想