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田部井淳子「再発!それでもわたしは山に登る」を読んでの感想、「人間性の弱さ・醜さ」の受け止め方

○田部井淳子さんといえば女性初のエベレスト登頂、七大陸世界最高峰登頂の記録で知られる人だが、七大陸最高峰の記録は53歳時のもので、非常に根気強く死ぬ直前まで山に登り続けた登山家である。「再発!それでもわたしは山に登る」を読んでいるが登山家は晩年のエピソードも超人的で面白い人が多い。田部井さんも例外ではない。

腹膜がん発見後も登山と仕事のペースを変えず、東ティモール、ニカラグア、アンドラ公園の山に登り、自分が来ることを待つ人がいる登山イベント全てに顔を出すだけでなく一緒に登頂している。がん末期の呼吸困難に際し、エベレスト登頂時の酸素濃度の低さ・つらさに相当する感じで本当にきつそうだという、旦那さん経由の推測的な感想も田部井さんらしい。

抗がん剤の副作用で手足のしびれが出た事で、5000m峰以上の高山登山の仕事の約束を果たせずに残念、申し訳ないという感想を漏らすが、普通74歳で富士山だって登れない人が大半だ。足腰に絶対の自信があった田部井も弱り、電車に乗るのがつらい、階段を上るのが大変と思い始めるが死ぬ直前まで国内の登山は続けた。

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2017年ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏、 村上春樹の作風・評価とノーベル文学賞の可能性

○ノーベル文学賞は「一般人好みのエンタメ性のある作家作品」は選ばれにくいが、村上春樹は「現実(労働・家族)のみに立脚できなくなった現代人の自己愛・自己拡散・幻想と歴史」を描く作家だ。

【ノーベル文学賞】村上春樹さん、狂騒10年以上…果たして今年は? (http://mixi.at/af0Jddq)

村上春樹の物語には平均的なサラリーマンや家庭人は登場しない。「ノルウェイの森」「騎士団長殺し」「1Q84」の系譜は「学生・金持ちの自殺・セックス・精神病・画家・趣味人・成功した隠棲者・新興宗教・娼婦・殺し屋」などのキーワードを持つが、現代人の普遍的な欲望と挫折(自己拡散)を対にした幻想物語と見れる。

村上春樹は国家・文化・世代を超えた幻想物語の名手だが、その幻想の中心に「現代社会が抱える問題・病理・自己愛(労働・生活・家族に専念できない観念の現代人)」とつながっている。世界文学として普遍性があるかは見方によるが、享楽・退廃の恐ろしい場から生活・日常に戻ろうとする足掻きが一定の人に響くのだろう。

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読書をする理由と近代以前の『読書人階級』のエリート文化:近代的な教養主義は衰退したけれど。

○古代中国で『士』と呼ばれた読書人階級は『官吏・有徳』だが、識字率の低い時代・社会では読書は野蛮・無知でない知的権威・階級意識もあった。現代は識字率はほぼ100%だが、言語運用・前提知識・語彙の差はでる。

漫画「なぜ読書をしなければいけないの?」 読書家母の回答を図書館司書たちが絶賛

読書を全くしないからといって不幸になったり損をしたりするわけではないが、読書量・前提知識の多い人との『ユーモアや教養の絡んだ会話・言語的なメタファーの理解』ができない恐れは出てくる。また文化階層によって『知っていて当たり前の定番の本・理論・用語』があり、読書によって得た知識が役立つこともある。

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『なぜ読書をしなければいけないの?』という疑問と時代の変化:読書せずにはいられない人と意識的・目的的に読書する人は違う

紙の本を読む事だけを『読書』と定義すれば読書する人は減ったし、『小説的な活字・長文のフィクション』や『古典・名作の定番』を読む人は更に減ったが、『意味のある文章を読み書きする量』はネット時代で逆に増えたかもしれない。

読書離れ進行「なぜ読書をしなければいけないの?」への回答

同じ読書でもフィクションかノンフィクションかでかなり違うし、娯楽(創作された物語を読む楽しみ)か広義の勉強(情報・知識・話題のインプット)かの目的によっても全く違う。相当な冊数を読む読書人でも、小説を全く読まない新書・学術書の事実ベースの読書が好きな人と小説しか読まない人は、共通点は乏しいだろう。

今の時代は読書以外の娯楽も多く、『読書をしなければならない』わけではない。読書する人が幸せで得をするとか、読書しない人が不幸になり損をするという話でもなく、『読書をしないが故のシンプルな人格構造・現実即応の適応力』で楽しくやれる人も意外に多い。読書も思索も過ぎたるは猶及ばざるが如しもまた真な所はある。

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大学生は本を読まなくなったのか?、 若者の深刻な犯罪離れの原因は何か?

大学生は本を読まない?

読書の是非や効果を抜きにして『大多数の人はほとんど本を読まず家に大して本がない(そして読まないまま人生を終わる)』のが現実ではある。直接カネにならない知識・教養・思索に対する欲望の個人差は大きい

文学にしろ小説にしろ思想哲学・学術にしろ、『基礎教養の共有』があるかないかで『話題の広さ・深さ』は変わるが、世間一般では『経験主義的な雑談・他人に対する興味や噂(誰かれがどうしたこうした)』が話題の中心だから、読まなくても文化圏によって不都合はない。知識・教養抜きの知的なセンスや話術の巧拙もある。

読書やエクリチュール(書かれたものの世界)とは何かを一義的に語り尽くすことは難しいが、読書は突き詰めれば『人文学的な素養・教養』と『人格形成的な知性研鑽』と『知的好奇心の充足』と『実利的な知識・情報』の側面に分類することができ、人文学的な読書の本質は知的主体のビルドゥングス(継続的建設)に他ならない。

『読書のある世界・人生』と『読書のない世界・人生』の違いは、『知覚(五感)・生理に依拠する動物的・社会的な生の外側』を拡大していけるかどうかで、文字の世界の書物の探索とは『知覚・生理・社会に決定され尽くさない自己の建設』の側面がある。『自由意志や自己研鑽(知・徳・利の合一)・共有知継承』の利もある。

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ベラルーシの女性作家スベトラーナ・アレクシエービッチがノーベル文学賞受賞,シリア戦争の激化

ベラルーシのジャーナリスト作家・スベトラーナ・アレクシエービッチの作品は未読だが、『第二次世界大戦の女性・ソ連占領下のアフガン・チェルノブイリ原発事故』など歴史的な重要事件を題材にした骨太なノンフィクション作品を描く。

ノーベル文学賞、ベラルーシのS・アレクシエービッチ氏に

フィクションで個人の心象風景を精細に描写する作品が好きな村上春樹、ノンフィクションで社会的・歴史的な大事件を分析し世に訴えるアレクシエービッチは、良くも悪くも完全に対照的な作家だと感じる。小説の面白さを抜きにして、より社会的インパクトがある作品という意味では、アレクシエービッチに軍配が上がるか。

しかし日本人で、スベトラーナ・アレクシエービッチの作品を読んだ人は殆どいないのではないかと思う。Amazonで検索すると日本語で読めるのは『チェルノブイリの祈り』『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争』『死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録』だが在庫がないものが多い。

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