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映画『インターステラー』の感想

総合評価 90点/100点

近未来の地球は、植物が枯死する異常気象が連続して起こり食料生産が激減している。異常気象に適応して食べることに必死にならざるを得ない社会では、教師・技術者をはじめとする多くの知的な仕事は価値が落ちてしまい、政府も長年何の結果も出せなくなった教育科学分野への予算投入を大幅に減らしていた。

経済社会が大きく縮小した社会では、もっとも重要で確実な仕事は『農業』になっていて、学校の進路指導でも下手な夢を持たずに食うための農業に勤しむことが勧められている。元宇宙飛行士だったクーパーも、15歳の息子トム、10歳の娘マーフィー(マーフ)を養うために今はトウモロコシ農場の経営をしていた。

人類は地球環境の変化と生物資源の枯渇によって、段階的な滅亡の危機に晒されていた。決定的な打開策はなく、人類は緩やかな滅びに向かうかに見えたが、大昔に解体されていたはずのNASAが、秘密裏に『第二の地球』を別の銀河系に求めて移住するテラフォーミングの『ラザロ計画』を遂行中だった。

かつての上司で天才宇宙物理学者のブランド教授は、優秀な宇宙飛行士だったクーパーをラザロ計画に引き抜くが、『成功確率は非常に低く生還できる保証もない・帰って来れるとしてもいつになるか分からない(宇宙空間の時間と地球の時間の速さの違い)』という条件を前に、幼い娘のマーフィーは泣きながら強く反対する。

クーパーは何度も『ミッションを達成して必ず戻ってくる』と娘のマーフィーを説得しようとするが、ワームホールを抜けて宇宙空間を移動しながら人類が生存可能な惑星を探すという半ば自殺行為に等しい(どれくらいの時間がかかるかも分からない)無謀な挑戦に、マーフィーはどうしても賛成できず、宇宙飛行船に乗り込む当日にも父親を見送らずに、いじけたまま部屋に閉じこもっていた。

『インターステラー』では何もせず無抵抗のままに滅びることを潔しとしない人間のチャレンジ精神を鼓舞するために、イギリスの詩人ディラン・トマスの“Do Not Go Gentle Into That Good Night(穏やかな夜に身を任せるな)”が繰り返し引用される。

宇宙探索の絶望的な状況化でも、各メンバーはギリギリまで諦めずにできる限りのことをするが、あらゆる生命の存在と人類のテクノロジーを拒絶するような『宇宙・地球外惑星の圧倒的な過酷環境(超重力と時間の歪み・極暑極寒・大量の水と氷・生命のない不毛の土地)』を前にして力及ばず生命を落としていく。

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海外ドラマ『ウエストワールド』の感想

89点/100点

二話までしか見ていないが、バーチャルリアリティー(VR)と人間創造のナノテクノロジーで作られた『娯楽的な西部劇の仮想世界』を舞台にした近未来SFのドラマである。警察機構の裏付けのある法治主義が未整備で、保安官・自警団に頼るしかない暴力と野心と欲望が渦巻く西部開拓時代が『ウエストワールドのVR』で再現されている。

そこにはアウトロー(悪漢)や娼婦、家族、店員、貧者がいて、VRの物語性や人物相関は相当に細かくプログラムで創り込まれているが、人殺しをしても自分より強い者がいなければ逮捕・処刑されることがない(逆に無法を働いたのに弱ければ保安官に射殺されるか自警団・人々に縛り首にされるだろう)、銃を抜いて敵を早く撃ち殺したものが勝って奪い取るという『力の論理』に覆われている。

ゲスト(客)はウエストワールドの『広さ・深み・刺激』によって依存症のように何でもありの次々に派手なイベントが起こりまくる世界にはまり込んでしまう。一度でもこの世界の魅力を味わってしまうと、何度でもここに訪れたくなってしまうのだ。

ウエストワールドではお金を支払ってプレイしているゲスト(客)は、『何でもできる・何者にでもなれる・自分だけ死なない』という特別な存在であり、ここでは『現実世界で隠されている自分・人間の本性』がこれでもかと暴き立てられてしまう。

西部開拓の銃・決闘と強奪・強姦の暴力が吹き荒れる世界で、ゲストはいくら撃たれても死なない無敵の存在であり、『現実世界と同じ感覚』で女・カネ・権力・物語的展開などの欲望を満たすことができる。

普段は現実世界で大人しく礼儀正しくて常識的な人間が、自分が全能者として振る舞えるウエストワールドにはまればはまるほど、『暴力・犯罪・レイプ・虐待』に歯止めが効かなくなる、悪人を制圧する正義を徹底するにしても、欲望を開放してアウトローで無茶苦茶やるにしても、ウエストワールドではゲストは自分に敵対する相手を容赦なくいたぶり情け容赦なく射殺するような存在になりがちなのである。

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バーチャルリアリティ(VR)の進歩は『現代人の孤独・無力・宗教の喪失』を救うのか?

バーチャルリアリティ(VR)がアダルトに応用される展示会に応募者殺到で入場制限というニュースは苦笑を誘うが、脳に『現実感覚』を錯誤させる仮想現実の技術が究極的に進化した先で、『ネット(ゲーム)依存症・ドラッグ』を超える『リアルからの退却(ストレスフルなリアル滞在時間の減少)』が社会問題になりそうだ。

VRが究極に進歩した未来を描いた映画『マトリックス』では、エージェントが『こちらに留まれば思い通りの仕事も豪華な食事も最高の女(男)も思いのままなのに、お前は貧しくみすぼらしいあちらに戻って何がやりたいんだ』と誘惑しスキンヘッドが裏切る。薬物・不倫・心中もあちらの誘惑に屈しやすい退却的世相の反映か。

『こちらとあちら』という二項対立概念は非常にメタフォリカルで誘惑的なものであり、リアルとバーチャルといっても良いし、物理世界と精神世界でもあり、仏教の此岸(この世)と彼岸(あの世)に遡ることもできる。世俗と神聖(宗教・神)さえ、太古から人間が頭の中で思い描いてきたアナログなVRによる心の救済だった。

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映画『エンダーのゲーム』の感想

総合評価 82点/100点

人類に侵略戦争を仕掛けてきた昆虫型生命体フォーミックの第二次侵攻に備えて、世界中から集められた資質・能力のある少年兵士たちが『バトルスクール』で鍛えられて前線に送り込まれる。宇宙戦争のための知識と技術、戦略を学ぶバトルスクールは厳格な階層制が敷かれているが、『戦いを終わらせる選ばれし者』として召集されたエンダー・ウィッギン(エイサー・バターフィールド)は短期間で頭角を現して、理不尽なしごきや嫌がらせを仕掛けてくる先輩を逆に打ちのめして恫喝する。

小柄な体格とひ弱そうな外見を持つ少年エンダーだが、冷徹な判断力と別格の戦闘・戦略のセンス、不屈の自尊心を持っており、バトルスクールに集められる前から『やられたら相手が反撃不能になるまでやり返すの戦術』を徹底している。バトルスクールのクラスを牛耳る支配的な先輩に挑発されて、バスルームでタイマンを張ることになるが、頭部に想定外の大きなダメージを与えてしまい、先輩を脳死状態に追いやってしまう。

エンダーは簡単に同情心を抱くことのない冷徹な少年であり、仕掛けてきた相手(初めに制止しても攻撃をやめない相手)を打ちのめすことに対する罪悪感や後ろめたさを感じたことはなかったが、偶然とはいえ先輩を死にまで追い込む極度の攻撃を加えたことに対して、本当にそこまでやる必要があったのかという心の迷いを初めて感じる。

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映画『X-MEN フューチャー&パスト』の感想

総合評価 85点

特殊能力を持つミュータント(突然変異)とミュータントを恐れる人類が殺し合う未来を変えるために、ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)が過去にタイムトリップして歴史を変更しようとする。

キティ・プライドの持つ能力は、相手の精神を時間を超えて過去や未来に送り込むことができるというものだが、通常の人の精神力では数時間から数日感の時間転移にしか耐えられずに発狂する。人類が『センチネル』というミュータント殺戮のロボット兵器を開発することになる『歴史の転換点』は1973年であり、数十年間の精神のタイムトリップに耐えられるのは不死の身体を持つウルヴァリンだけであった。

人類を滅亡させかねないという『ミュータント脅威論』を掲げてセンチネル開発を推進しているのは、小人症のボリバー・トレスク博士だが、トレスク博士は捕獲したミュータントからDNAを採取するための人体実験を繰り返している。そのことを知って怒りに燃えるミスティーク(ジェニファー・ローレンス)は、『トレスク暗殺』を計画するが、トレスクを殺害してしまえば、ミュータント脅威論が議会で承認されてミュータント排斥の世論も沸騰することになる。

センチネル開発には何にでも自在に姿を変えられるミスティークのDNAが必要なのだが、現時点の歴史では『トレスク暗殺→ミスティーク逮捕とDNA採取→議会でのセンチネル開発予算の承認→センチネルの完成』という流れがあり、センチネルを作製させないためにはミスティークのトレスク暗殺をやめさせなければならない。

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人の有限性と宗教・価値判断・ライフスタイル:STAP細胞あるいは神の属性(無限永遠)よりの連想

小保方晴子ユニットリーダーのSTAP細胞の研究論文の不正が指摘されたり追試の不成功が報じられて、STAP細胞の実在そのものが危ぶまれているようだが、そもそもSTAP細胞がiPS細胞以上の魅惑的な相貌を帯びていたのは、小保方氏がやや大風呂敷を広げた形で『細胞・組織レベルの若返りという未来の可能性』に言及したこともあるだろう。

現代では若さの衰え・喪失を嫌う形で、アンチエイジングやセルフマネジメントに励む人が増える一方で、そういった努力を『自然法則に抗う無益な試み・浅ましい美や若さへの執念』として批判的に見る見方もある。だが、人間にとって『若さ・健康の喪失』と老いと病気が行き着く先の『不可避かつ宿命的な生物としての死』は、古代あるいは有史以前の穴居時代から『神頼み・呪術信仰』をしてでも乗り越えたいものであったのもまた確かなのである。

古代エジプト文明の権力者たちは、死後の世界からの『肉体を持った復活』を信じて、自らの遺体を防腐処理させた上でピラミッドに永久保存させようとしたし、古代中国を初めて統一した秦の始皇帝は、本気で世界の果てに当たる蓬莱・神仙の国に『不老長寿の薬』が存在すると信じて、巨額経費と人員を投じて徐福伝説に象徴されるような不老長寿の薬・仙術の探索隊を派遣し続けたという。

無知蒙昧な迷信まみれの古代人、私欲の深い権力者だから、『死後の復活・不老不死の方法』などという馬鹿げた夢想(死にたくない執着の夢)に取り付かれていただけで、啓蒙的理性が切り開いた文明社会・客観科学・進歩主義の中ではそういった不可能な夢想はもう消え去ったはずだと思うかもしれない。

だが、『宗教』という世界規模では9割以上の人を包摂する、人類に特異な信仰・信念・倫理性というものも『人間の死・有限性の想像力による克服』の結果であり、現在でもイスラム教やキリスト教の『最後の審判・死後の復活』といった教義を真剣に信じていて、俗世・現世の生活を『仮りそめのもの(来るべき神の世で審判される徳を積むためのもの)』と認識している人は少なくない。

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