「ニュース」カテゴリーアーカイブ

男子中学生の自殺と生きるための考え方の模索:諸行無常・一切皆苦は一面の真理だけれど…

人生を所与の義務や関係の束縛と捉えれば“一切皆苦”で絶望しやすい。視野狭窄や無理な過剰適応も自殺リスク。学校・会社は『自己と他者のポジティブな相互作用の場』として選択し活用すべき環境以上のものではない。

男子中学生が自殺か=電車にはねられ―群馬

“学校(会社)に行かなければいけないという社会規範”は、精神疾患や希死念慮、絶望感に陥らない限りは常識的なものとして認識されるが、“生きるか死ぬかの瀬戸際の苦悩・落ち込み”がある時には、『今の状態の学校(会社)に死ぬ思いをしてまで行かなくても良いという選択』もあると教えておくことが必要なのかもしれない。

日本の公的な学校教育は、『指示遵守・集団行動・工場労働への適応』を鋳型(紋切り型のクリシェ)とした典型的な規律訓練型としての特徴を色濃く残している。

続きを読む 男子中学生の自殺と生きるための考え方の模索:諸行無常・一切皆苦は一面の真理だけれど…

“ミニマリスト・ノームコア”と現代の経済・仕事・文化のモード:“資本主義(カネの縛り)・ムラ社会(他者の目)”から自由になりたい意識

■“没個性”上等 自分らしさは中身 「ミニマリスト」で「ノームコア」な若者たち

生活必需品や家電製品さえまともに普及していなかった資本主義の初期には、『モノを多く持っていること・過去になかった家電や車を所有すること・高級高額あるいは希少(生産限定的)なモノを持っていること』が豊かさや地位の象徴であった。

人々は必死に人生の大部分の時間を企業労働に捧げて、経済主体である自らの能力と他人から見た場合の分かりやすい価値を証明するために、今まで持っていなかった沢山のモノを買って所有することに、非常に大きな効用(満足)を感じることができた。

資本主義が成熟段階に近づいてくると、家事労働の負担を軽減して日常生活を便利にしてくれる『洗濯機・冷蔵庫・テレビ・掃除機』のような家電製品はほとんどすべての家庭に普及するようになり、『自家用車・持ち家』といった高額な耐久消費財の普及率も次第に高まっていった。

生活必需品も含むモノに囲まれた生活水準を引き上げるために、全力で働く企業戦士が大多数を占めていた時代には、明らかに『個人の時間・自由度』などよりも『カネ(仕事)+モノ+それらを評価してくれる家族・異性・他人』の価値が圧倒的に高かった。高度経済成長期には、企業社会の労働とモノの経済価値のほうがいわゆる『ノーム・コア(普通さの核)』を形成しており、モノの経済価値に対する異論反論はマイノリティ(新製品に溢れる時代をフォローできない持てない少数派)の声としてかき消されるだけだった。

ミニマリストやノームコアといった哲学的・解釈的な理屈に基づくライフスタイルが通用する余地が生まれたのは、早くてもバブル崩壊以後、現実的にはゼロ年代後期以後だろう。

この時期には、部屋の内装・インテリアなどにおいても、『豪華さ・高級感・ゴテゴテ感を重視したデコレイティブなデザイン性』に対置される『シンプルさ・機能性・さっぱり感を重視したモダンなデザイン性』のほうが優位になってくる。

続きを読む “ミニマリスト・ノームコア”と現代の経済・仕事・文化のモード:“資本主義(カネの縛り)・ムラ社会(他者の目)”から自由になりたい意識

大人になるほど1年や1日が短く感じられるのはなぜか?:“心理的時間が進む速さ”の年齢による変化

一般に年齢が高くなるほど、1週間や1年間といった『まとまった時間単位』の時間が流れる速さが速くなると感じられる。

この理由は記事にある『加齢による代謝の低下』という脳の視交叉上核が関係した生物学的原因、『人生全体に対する時間単位の比率の低下(5歳にとっての1年は20%・50歳にとっての1年は2%,新規体験への興味や感動の減少)』というポール・ジャネの法則などで説明されている。

動物を含めると、寿命が短くて代謝が活発な小動物ほど『周囲の世界の動きをゆるやかに感じている(スローモーション的な知覚)』ために、『心理的時間』が『時計的時間』に比べて速くなっていて、時間がゆっくり進んでいるように感じているという。

心理的時間が速ければ速いほど、周囲の動きはゆるやかに感じられ、天体の公転と関連した客観的に測定される時計的時間よりも心理的時間のほうが速いので、『まだ1時間しか経っていないのか(自分の心理的時間感覚では2時間以上経っているように感じられる)』というズレが生まれてくる。

動物には時間の概念は理解できないので正確な喩えではないが、寿命が短く代謝が活発であれば、太く短く生きるとでもいうかのように『客観的な寿命の短さ』と同時に『心理的(主観的)な時間の長さ』もある程度はある(小動物本体にとってはそんなにあっという間ではない感覚がある)と推測されているのである。

年齢による時間感覚の変化は、数日以上、数ヶ月や1年間といった『ある程度まとまった時間単位』を振り返った場合に特に顕著である。

一方、『今日は時間が経つのが早かったな・遅かったな』という数時間から1日程度の短期スパンにおける『心理的時間の速さ』は年齢の要因よりも、好きなことを能動的にやっているか、嫌なことを受動的にやっているかという心理的・認知的な要因(コミットメント要因)のほうが大きく影響しやすい。

続きを読む 大人になるほど1年や1日が短く感じられるのはなぜか?:“心理的時間が進む速さ”の年齢による変化

大阪府高槻市の中一殺害事件:子供の夜遊びと放任主義の親を責める声も多いけれど。

少女遺体「野宿する」とLINEで
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3571756

子供が被害者になる事件が起こった時に、『良からぬ悪友との交友関係・いじめや対人トラブルの兆候・夜遊びや異性交遊・親の過度の管理主義や放任主義』などが明らかになると、事件の真相や加害者の責任よりも『子供本人・親の落ち度』がクローズアップして養育責任・自衛意識の欠如として叩かれやすくなる。

確かに、小学生とほとんど変わらない体格・意識の小さな中学1年生の子供に、完全に『フリーハンドな行動の自由(夜間外出の自由)』を与えることは危険性が高いし、もしもの時に適切な対応や責任を取れないことが多い。

子育て論や法律論としては反論しようのない常識の正論ではあるが、正論過ぎるが故に『我が子が被害を受けたばかりの親・家族』に向けて語る言葉としては、ほとんど無意味であると同時に今言ってみても仕方のないこと(おそらくその親としてもいいか悪いかの常識論としては承知していたが実行できなかったこと)である。

犯罪に対する自衛意識や予防策を強化するために、『被害者の落ち度・問題点』を洗い出して警鐘・忠告の材料にすることには、『自分たちが危険な目に遭わないためにできるだけ夜間は出ないようにしようという意識の強化』もあるが、それ以上に『決まったルール・常識を守らなかったからあんなひどい目に遭ったんだよという自己責任・自業自得』を煽る好ましくない側面もある。

このケースは、親が監護責任を果たすべき12~13歳の子供であったから、『親がもう少しきちんと子供の行動・危険回避に責任を持って指導すべき・もっと子供が何をしているかに興味や注意を持って安全な生活ができるように守ってあげるべき』という正論は磐石なものだろう。

だが例えば、成人男性が夜間の帰宅時にコンビニに行っていきなり鉄パイプで殴打される強盗事件に遭ったとして、『こいつは夜間に出かけたから被害に遭ったんだ』となり、成人女性が薄暗い早朝の出勤時に路地に引きずり込まれて性被害に遭った場合に、『この女性は明るくない時間帯に短いスカートで出勤しているから悪いんだ』というような被害者の落ち度を過度に探ったり、人間のあらゆるリスクをゼロにしようという極端さに傾斜する可能性も否めないのである。

そもそも、現代では男女雇用機会均等の促進によって、深夜早朝のコンビニでも若い女性店員が働いていて、長距離の運送をしている女性ドライバーだって増えていて、『女子供だから夜は外に出てはいけないというルール』は仕事や生活の上でも守りづらい状況にある人が多い。

学校の部活でさえ、終わって帰る頃には9時過ぎくらいになることは珍しいものではないし、不良でもギャルでも何でもない真面目なそうな学生が9時~10時以降に自転車で帰宅している姿などもざらに見かけるものだ。疲れきった感じのサラリーマンの女性が終電で帰っている風景などもありふれた風景の一つであり、日が差さない夜になったら血に飢えたドラキュラや悪鬼が徘徊するとでもいうようなイメージで、日常生活や仕事・人間関係をこなしている人はまずいないはずである。

個人的には『夜間・早朝の外出』も割かし好きなほうだが、登山のアプローチでちょっとした市街地を夜中に歩いたり、映画館のレイトショーの帰りがけに徒歩でわざと1時間くらいかけて真夜中の道をテクテク歩いたり、ゴミ捨てのついでに早朝の繁華街をぶらついたりもする、夜でも0時くらいまでは結構ランナーやウォーキングの人と擦れ違ったりもするので、『静かな夜・朝の時間帯での運動や感覚の魅力』を感じている人も少なからずいるのだろうと思う。

夜間外出は、大半の成人男性の視点では目だった危険はまずないとも言えるが、無関係な他者からの殺人事件に遭遇するとしたら、年間発生件数からしても相当に運が悪いとしか言いようが無いが、腕力・抵抗力の面で弱者と見られやすい女性・子供の場合には男よりも一段リスクは上がるだろうから、『場所・時間』によっては一人での外出は気をつけたほうがいいのだろう。

続きを読む 大阪府高槻市の中一殺害事件:子供の夜遊びと放任主義の親を責める声も多いけれど。

大阪府高槻市の少女殺害遺棄事件:少女の身元不明・猟奇性・殺害の動機不明など不可解な点が多い

大阪府高槻市の駐車場に若い女性の遺体が遺棄された事件。被害者は小中学生くらいの10代の子供と推定されているが、未だ身元も判明せず親からの問い合わせもないのは不可解だ。『無戸籍児・親(養育者)の虐待殺人』等の可能性もあるが、数十箇所の傷・顔面を粘着テープで巻く等が異常・猟奇的でどこかサイコパス的な心理構造を意識させる。

物流センター所有の広い駐車場で、薄暗くて見通しは悪いが、真夜中でも1時間に1回は車の出入りがあり、夜中に定期の見回りもしているという。続報で遺体発見の1時間前に防犯カメラに遺棄に関係したと見られる二台の車が映っていたという。猟奇性を感じる事件で単独犯でないのは珍しいが車の特定ができれば逮捕に近づく。

『遺棄現場の選び方』や『二台の車で現場に乗り付けたこと』が、捜査を混乱させる計算でないのであれば、犯人の遺体遺棄はかなり行き当たりばったりで杜撰なものである。実際、遺棄して二台の車が出て行った30分後には仕事のトラックが現場に入ってきてすぐ遺体が発見されており、30分遅れていれば鉢合わせしていた。

続きを読む 大阪府高槻市の少女殺害遺棄事件:少女の身元不明・猟奇性・殺害の動機不明など不可解な点が多い

佐野研二郎氏の東京五輪エンブレムの模倣疑惑:『コネ・著作権』の絡むデザイン・芸術・創作の仕事の特殊性

佐野研二郎氏の東京五輪エンブレムの模倣疑惑は、『デザインの模倣事例の続出』で問題が拡大しているが、この問題は表面的には『一人のデザイナーの倫理観・アイデア・著作権違反の問題』だが、根本にあるのは『閉鎖的なデザイナーの世界の選考・評価の曖昧さ』と『実力・コネの不可分性(非実力主義の要素)』だろう。

膨大無数のデザインやアイデアがウェブに溢れるウェブ社会で『著作権法の形骸化(オリジナル性の多数化・編集化)』が起こっていて、音楽を筆頭にかつての著作権ビジネスが斜陽期に入った影響もあるが、この五輪エンブレムは『巨大な国策による東京五輪利権の末端』で発生した杜撰な仕事のやり方の問題である。

東京五輪エンブレム審査委員会は、電通に次ぐ広告代理店・博報堂の人脈が関係していたとされる。佐野研二郎氏が大手案件を獲得してきた背景には、博報堂のキャリア・人脈と親族のプッシュも影響しているが、逆にそういったメディア・広告・大企業の人脈に食い込まないと、意匠のデザイン一本で生計を立てるのは至難である。

デザインや芸術の世界は、センス・実力・才覚があれば公正な競争を通して評価される単純なものではなく、どのデザインや絵が優れているかを客観的に評価することが出版部数のある漫画等より難しい。『業界・権威的有力者のお墨付き』と『大組織の利権・人間関係でのポスト』を得るとやっつけ仕事や丸投げになりやすい。

続きを読む 佐野研二郎氏の東京五輪エンブレムの模倣疑惑:『コネ・著作権』の絡むデザイン・芸術・創作の仕事の特殊性