高齢者はなぜ信号・横断歩道のない所で道路を横断するのだろうか?横断歩道までの数十メートルを歩く体力・気力の低下、車の速度・歩行速度・距離を認識して間に合うか否かを判断する能力の低下、運転手の判断能力の過信などが想定されるが。
運転手が歩行者(自分)を認識していれば、歩行者が渡り終わるまで速度を落とすか止まってくれるはずという過信は、車の運転なら危険性の高い『だろう運転』である。9割以上の車は見通しの良い道路なら歩行者がどこを渡っても速度を十分緩めるか止まってくれるだろうが、『見落としやよそ見・極端な高速』のリスクは常にある。
高齢者・子供の急な飛出し、ふらつきながらの自転車の車道走行は最も危険だが、高齢者の信号・横断歩道なしの車道横断は、特に日が落ち始める時間(夜中・早朝)から事故率が上がる。ドライバーが『こんな時間にこんな道路を歩行者は横断しないだろう』の予断で飛ばし、気づいても止まれず死亡事故になるのは早朝に多い。
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武藤貴也衆院議員(36)は私と近しい世代の政治家だが、『歴史を知らず憲法を学ばず国民を道具と見なす復古的な権威主義者』が政治権力の一翼を担っていることの危険性を知らしめる発言である。
国民が国家のために生命を捧げる価値を教育し、国民を『国体の全体システムの部品』と見なして戦争・労働で使役しながら国家権益を拡張する考え方は、『統制主義・身分意識・生命軽視の戦前回帰』そのものである。
近代憲法の原則を否定する武藤貴也氏の発言については、『政府・権力者の思い通りにならなくなった国民』に対する苛立ちや不満が顔を覗かせており、相対的に低下した政府・権力者の『対国民の強制的な使役力』を回復して、自らの権力欲を満たしたいという傲慢さの現れとも感じる。
『内閣総理大臣である私が自衛隊の最高指揮官である・自衛隊は国防軍(日本軍)へと名称変更すべき』と宣言した安倍晋三首相の軍事偏重志向とも重なるが、政治権力者が軍隊への名目上・実質上の影響力強化を望む時は、歴史的に見ても『対国民の強制的な使役力(全体利益を掲げる自由・権利の制限)』が背後の目的としてあることが多い。
中国・北朝鮮の最高権力者が『国防委員長』の肩書きを名乗りたがること、『思想的な教育改革』に注力することは偶然の一致ではなく、『物理的な威圧・精神的な洗脳の効果』によって、『国家・政権の命令に従わない人民の相互監視体制+自ら進んで全体国家のために犠牲になってくれる(反対者を差別・弾圧してくれる)メンタリティ』を自律的に構成することを目指している。
ナチスドイツのヒトラーユーゲント、大日本帝国の軍国主義青年・開戦派の青年将校、中国の紅衛兵・マオイズム、北朝鮮の主体思想主義者・金日成信奉者、カンボジアのクメール・ルージュ、フランス革命のジャコバン派(平等主義の極左)などが典型的だが、『若者の純粋な社会貢献欲求,外敵や不正を排除しようとする正義感』が政治権力者の望む方向へと教育や社会環境を用いて誘導されてたことで歴史の悲劇が繰り返されてきた。
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中国に対する悪感情の原因の一つとして、東シナ海における中国の強硬なガス田開発がある。厳密には、『日本との天然ガス田共同開発の合意』に違反しているのではなく、中国側はいったん共同開発の合意交渉を中断して、現状、一応は国際法に違反しない範囲で一国で開発を進める方針へと転換している。
2008年6月、日中中間線付近の白樺ガス田(中国名・春暁ガス田)を共同開発すること、ガス田周辺の特定海域を共同開発区域として双方が独占しないことについて、日中は合意に達して条約締結の交渉段階に入っていた。
だが、中国政府は2010年になると、日本との共同開発を弱腰・中国の利益を損なうと非難する中国軍部に押され始め、条約交渉を延期・中断すると発表してそのまま何の進展もなくなってしまった。中国海軍が防護する形で、日中中間線の中国側の海域で春暁ガス田の掘削準備と開発のための構造物建築が一方的に押し進められている状況である。
東シナ海のガス田開発問題は、日本人の側からすると『ものすごく儲かる天然ガス田・油田を中国から全部持って行かれているような感覚』になりやすいのだが、実際には天然ガス田や油田の開発事業というのは、アメリカのシェールガス開発会社のかなりの割合が中途で資金が尽きたり採算が取れずに撤退しているように、『潜在的埋蔵量がかなり多い区域』でも探索・調査・掘削・設備建設などの事前コストが極めて大きいので簡単に儲かる事業ではない。
東シナ海のガス田開発事業には、当初参加したがっていた外資系の石油企業も、トータルコストで利益を得られるか十分な量が継続的に出るか不透明であるとして、途中で撤退してもいる。
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安倍政権が立案した『安全保障関連法案』に対する反対デモが国会周辺で行われ、安倍政権の支持率がかつてと比べてかなり下がってきた。ギリシャの債務危機や中国の株価急落もあり、アベノミクス効果にもやや息切れが見えてきた。10月には消費税10%への増税も控えており、安倍政権に矢継ぎ早に向かい風が吹き続ける雲行きだ。
安保関連法案可決は国防・自衛隊強化・日米同盟に関心の強い安倍晋三首相の悲願であるが、日本以外の外国(同盟国)に対する攻撃を受けて日本が防護以上の反撃をする『集団的自衛権の行使+自衛隊活動領域の拡大』は、本来、憲法解釈変更の限界を超えているため、『改憲の手続き』を踏むことが筋である。
この安保関連法案の問題点は、『憲法違反の疑いが強いこと』や『国民にとっての必要性が分かりにくいこと(逆に仮想敵の増加・反米勢力の逆恨み等で自衛隊・国民のリスクが高まる恐れもあること)』もあるが、『アメリカからの要請+米国議会に対する日本国首相の公約』によって万事が推し進められようとしていることである。
法案が曖昧に定義する集団的自衛権は、実質的には『米国主導の世界秩序(中東・アフリカ経営の軍事コンセンサス)』を維持するための負担(戦闘要員・後方支援要員の戦死の負担も含む)を日本も応分に負うべきだというアメリカ側の要請を背後に持っているが、日本にとっては『中国警戒論』が米国の機嫌を損ねたくない理由にはなっている。
現実的には、武力で全面衝突する日中戦争は日米戦争と同程度には起こりにくいシナリオだが、安保関連法案に賛成する主張として、『尖閣諸島問題・中国の海洋権益拡張(南シナ海の南沙諸島の一方的な拠点建設等)』に対してアメリカがもっと強気に出てくれるのではないかという期待もある。
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現在の日本では『憲法・安全保障・外交政策(対中国・朝鮮半島)』を巡る対立が、『右翼(民族主義・権力志向・反個人主義)と左翼(人権主義・反権力志向・個人主義)の二項図式』で語られることが多い。
こういった語法は本来の右翼(保守)と左翼(革新)の定義とは関係がないものだが、日本では『自由・平等・人権・護憲・平和・個人の尊重』などは、ネトウヨとも呼ばれる右翼目線では、国家の集合主義的な総合力を低下させる『左翼的な思想・概念』として扱われることが多い。
反体制派の左翼とは、日本の歴史では共産党・社会党(社民党)・全共闘運動・左翼過激派などと関係する『共産主義者(社会主義者)・反資本主義者・反米主義者(反米の文脈での平和主義運動家)』などを指してきたが、今のネットで言われているサヨクはそういった共産主義・社会主義よりもむしろ『個人主義・自由主義(権力からの自由を重視して集団主義的な強制に抵抗する思想)』と深く関係しているように見える。
本来の右翼と左翼の定義から外れてきた、現代のネット上における政治的・思想的に対立する立場を『ウヨク・サヨク』と表記する。
日本人の民族的統合と仮想敵(中国・朝鮮半島)に対する戦闘の構えを強調するウヨクは、民族・国家単位のイデオロギーや軍事増強にこだわらずに『個人の自由・権利・平和』を普遍的価値として強調するサヨクを『反日勢力・お花畑・非現実的な空論家』と揶揄することが多い。
国家の威厳と個人の幸福が一体化しているような拡張自己の思想であり、実際の戦争や自己負担にまで率先して参加するかは分からないが、言葉の上では『私(個人)よりも国家(権力)の拡張』という価値観を提示する。
続きを読む 吉本隆明の『反権力・脱政治・大衆論』から日本の政治状況・国民の意識を見る:1 →
いじめの話題に返答しない担任の事なかれ主義が間接的に自殺を後押ししたが、自殺するほど苦しい状況で学校に相談してもダメなら休学・転校を考えるべきか。無抵抗な相手に、執拗に虐待を続ける加害者心理も病的だ。
<岩手・中2自殺>校長「いじめ知らなかった」
グループ行動の多い小中学生くらいでは『仲間関係から外され孤立する』だけでも学校に行きづらくなるが、『会えば必ず暴力・侮辱を受ける』といういじめの状況は耐えがたい苦痛や自己嫌悪を伴う。いじめの被害者になりにくい方法があればいいが、結局は加害者になり得る気質・性格を持った人や集団がいるか否かにも拠る。
同世代の思春期の若者が集まれば必ずいじめは起こる面もあるが、『学力・意識・目的・興味が玉石混交な状態』であるほどいじめ(暴力的な上下関係=擬似的な身分)は起こりやすい。中高では学校に来る目的が明確な進学校ほど、無抵抗そうな相手を劣位に置き貶める(嫌がる行為で構う)型のいじめは起こりにくい感じはある。
いじめは、被害者に構わなければならない必要があるわけでもないのに、『自分と関わりたくないと思っている相手に近づいて無理やり暴力で構い続ける』という“自分にやりたい事がない人達”による虚しい犯罪的行為ではある。個人主義の思想・生き方の人にとっては、他に面白い事ややるべき事は無数にあるのに……とは思う。
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