「社会」カテゴリーアーカイブ

イラン人のグループが起こした名古屋の襲撃事件と麻薬問題

繁華街のイラン人というと麻薬密売の連想が刺激されやすいが、中東系・南米系(メキシコも)のアンダーグラウンドな世界の『生命の価値』は余りに低く、『麻薬の価値』は人より圧倒的に高い現実…。

名古屋の襲撃、被害者はイラン人 麻薬めぐりトラブルか

メキシコはじめ中南米に拠点を置く資金力・軍事力のある麻薬カルテルは、警察当局にも協力者を多く抱え、国家権力を動員しても壊滅させる事が不可能なほど社会的浸透度・影響力が強い。中南米の麻薬王というと日本の山口組組長等を彷彿させるが、その資金力・影響力は大きく軍隊並みの武装兵力を擁し、公権力の汚染も酷い。

続きを読む イラン人のグループが起こした名古屋の襲撃事件と麻薬問題

介護離職問題の解決に向けた介護ポイント制度の提案:現代社会における介護・老後の相互扶助の仕組みづくり

厚労省は現在の家族構成・労働環境では難しくなっている『在宅介護』を推進し『施設介護』を削減しようとしているので、家族にフリーに動ける人員がいなければ『介護離職』は構造的に増える。

介護離職をしない・させないために、私たちができること

家族・地域社会を主体にした『地域包括支援のシステム』が、夫婦のみ世帯・単身世帯の増加や親子関係の希薄化(距離の遠さ)、地域社会の衰退で機能しづらくなり、配偶者や高齢の子しかいない世帯で『在宅介護』しようというのは難しい。親の経済基盤が弱いほど、有料の介護サービスは使えず介護離職が起こりやすい。

介護保険は『寝たきり・歩行困難(車椅子生活)』に対し『認知症・精神障害』の問題を過度に低く評価している。脳機能が大きく低下していても、身体が元気で動けるならまだ施設介護は必要ないという考え方なので、夜間徘徊や被害妄想、錯乱・興奮、排泄障害(弄便)などに付き合う高齢家族が限界まで追い詰められやすい。

続きを読む 介護離職問題の解決に向けた介護ポイント制度の提案:現代社会における介護・老後の相互扶助の仕組みづくり

“生活苦(貧困)・介護疲れ”などを理由にした家族間殺人の増加と自己責任論の圧迫感

現代の貧困は悲惨な事件が起これば『同情論・政府批判』が集まるが目の前の貧困は『自己責任論』で叩かれる。無年金・無貯金の困窮も、健康でもう少し若ければ過去の就労歴を非難される要因になる。

夫婦死亡、殺人容疑などで三女逮捕「生活苦や介護疲れ」

本当に困っているなら生活保護を受ければいいのには…ある種マリー・アントワネット的な他人事の言い草で、生活保護申請で受け得る説教・屈辱・非難を恐れている人は多い、自殺とバーターになる事さえある。生活苦・介護破綻は突然起こるものではなく、じわじわ過去の不足・ツケが積み重なり、気づけば限界を超えている。

中年の長期無職者の再就労の難しさで、面接者が『こんなに長く働かずに何をしていたんですか?普通はもう少し早い段階でどうにかしなきゃと思う』などの自己責任追及の説教モードで来る事があるが、数十年かけて仕事や年金納付が定まらず貧困化していった高齢者も、同様の自信の無さ・不安が強く相談しづらくなっている。

人の自意識や相談の難しさは、『現時点の生活状況・困窮の度合い』だけを見て対応してくれる相手かどうか分からない事であり、過去に負い目があって自省の強い人ほど、生活保護に頼る発想にはいかない。貧窮に対する自己責任の部分も分かっていればこそ、ギリギリまで出来る範囲で働いてダメなら自殺の悲観に嵌りやすい。

続きを読む “生活苦(貧困)・介護疲れ”などを理由にした家族間殺人の増加と自己責任論の圧迫感

『いじめ問題』に対する対処法:世界一有名な町工場のおじさん・植松努氏の経験談より考察

リアルないじめ、シリアスないじめに対する実効性は弱いかもしれない。『近寄りたければ近寄る、関わりたくなければ距離を置く』は、相手をどうとでも制御できる強者の戦略だ。『嫌がっている人に近寄って力関係を強いる』のがいじめの一つの本質ではないかと思う。

世界一有名な町工場のおじさん・植松努さんの「いじめ論」に考えさせられる

『お前達に興味ないし用事もないから俺に関わらないでくれ』と言えて、相手がそれを素直に受け容れるなら、そもそも一方的にいじめられる関係が成り立ってない。いじめの被害者の自分に興味・用事がなくても、加害者の相手グループに興味・用事(娯楽・利益)があって自分の意志・都合だけで縁を切れないのがいじめでは。

古来より『他者とつながる縁結び+他者から遠ざかる縁切り』は宗教的な神の仕事とされた。寺社の神域で『どうか縁を結ばさせて・どうか縁を切らせて』の無数の願いが捧げられた。いじめは『閉鎖的な逃げられない生活の場』で起こる為、かつて村八分のいじめは文字通り人を殺す力さえ持ったが、縁切りは人の難事の一つだ。

続きを読む 『いじめ問題』に対する対処法:世界一有名な町工場のおじさん・植松努氏の経験談より考察

筧千佐子被告の結婚詐欺・連続殺人事件の感想、道路にコンクリートの土台を放置した事件

高齢男性の孤独につけ込む結婚詐欺が連続殺人まで発展した。婚活していた高齢者男性からいくらお金を奪っても足りず、機械的に毒殺を重ねた筧千佐子被告の貪欲と冷淡が印象に残る事件だった。

類似の結婚詐欺殺人で木嶋佳苗の事件もあったが、筧千佐子の青酸化合物による毒殺事件をきっかけにして、警察庁はすべての遺体に毒物検査の検視を実施することを決めている。

追送検の4件不起訴=連続不審死、筧千佐子被告―大阪地検

筧千佐子や木嶋佳苗の結婚詐欺・殺人事件は、個人レベルを超えた時代的解釈としては『男性中心社会・恋愛格差社会への復讐』といった面があるかもしれない。

この金銭目的の婚活殺人を犯した二人は、男にカネ以外の用はないと悟った感じの冷淡さを露わにしている。若い頃には必ずしも女性の魅力で優れた『モテる女』ではなかったことが共通しており、『男女関係において優位に立てそうな男(自分でも十分に魅了できるようなタイプの男)』を選ぶ計算高さも似ている。

続きを読む 筧千佐子被告の結婚詐欺・連続殺人事件の感想、道路にコンクリートの土台を放置した事件

教員の性関連の不祥事と職業倫理の緩み:“現代の性の倫理観・多元性・破滅性”

教職員の生徒に対するわいせつ事件の発生件数が高止まりしているという記事だが、性的な重犯罪を除く『軽度のセクハラ』に関しては20年以上前は現在よりも酷い状況(酷いとさえ思われない認識のギャップ状況)にあったのではないかと思う。

教師が明らかな性的意図を持って下ネタを振ったり、お気に入りの女子生徒と馴れ合いのコミュニケーションをしたり、体育教師が授業中に不必要なボディタッチを繰り返すなどはざらにあったが、それらが事件・不祥事として認識されるための社会的な共通認識がなかっただけだろう。

<教員処分>わいせつ行為で205人 勤務時間外が6割超

性関連の不祥事を起こす教員のタイプは大きく分ければ、『元々子供に性的関心を持っていたロリコン』『性的なフラストレーションや異性関係の不満を鬱積させて発散の場のない欲求不満者』『教職のストレスに耐え切れずに倫理観が崩壊した逸脱者(メンタルヘルスの悪化者)』などになるだろう。

いずれも教職員としての資質・適性に欠けるといわざるを得ないが、残念ながら現状の採用・研修・雇用の仕組みの中では、実際に性的な不祥事を起こさない限りは、表面的にはそういったセクシャリティーの嗜癖性・逸脱性を現すこともないのでスクリーニングすることは困難である。

教員であれば、個人の性嗜好として若い子が好きであるとしても、最低限自分の教え子を異性として見ない(そういったアプローチやほのめかしをしない)という厳格な職務倫理上・人格の尊厳上の線引きができることがプロフェッショナルの条件であるべきだ。

だが正確にいえば、幼児・児童に対するペドファイルが犯罪的な性嗜好障害(人口的に少ないマイノリティー)であるとしても、10代後半~20代前半の若い女性が性的欲求の対象であるという成人男性の教職員は(実際にそういった関係が可能であるか社会的に公言するかを別にすれば)無視して良いほどに少数派であるとはとてもいえず、ある意味ではノーマルな性欲として解釈可能なものである。

大多数の教職員は『教員としての使命感・責任感』『プロフェッショナルな職業倫理』『職業キャリア・社会的身分の保守の意識』において、『プライベートな男女関係・性的嗜好』を職場や教師・生徒の人間関係とは完全に切り離して、日常の職務に精励しているはずであるが、個人の資質・性癖・精神状態を含めたさまざまな要因によって一定の割合で逸脱者・違反者が出てしまうことは完全には回避しづらい。

学校の教員に限らず、男女の間に一定の上下関係(役割関係)が生まれやすく、性的対象になりやすい10代後半~30代くらいの若い女性が多い職場では、男性だけの職場や若い女性がいない職場よりも、『セクハラ・わいせつ・性犯罪の発生率』が高くなっている。

続きを読む 教員の性関連の不祥事と職業倫理の緩み:“現代の性の倫理観・多元性・破滅性”