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映画『ファインド・アウト』の感想

総合評価 77点/100点

侵入された男に拉致されて森林公園の奥地にある穴に監禁されたジル(アマンダ・セイフライド)は、何とか自力でその穴を抜け出して凍死寸前のボロボロの状態で保護された。だが、ジルには重症の精神病での入院履歴があり、『作話(エピソードの創作)』の虚言癖があったため、警察は女性連続誘拐犯に拉致・監禁されたというジルの証言を『虚言』と決め付けて信用せず、精神病の影響による自主的な失踪事件として片付けてしまった。

家族が突然行方不明になっても警察が動いてくれないという事例は日本でも相当に多い。犯罪行為に巻き込まれたという客観的な物証・目撃証言がなければ、成人の行方不明は『本人の意思による蒸発・失踪(連絡不能な状態)』として片付けられ、危険人物による拉致監禁であれば人知れず生命を奪われている恐れも高い。

アメリカの年間の行方不明者数(missing persons)は約70万人で、約8~9万人の日本の9倍近いアメリカ人が毎年原因不明の失踪・蒸発をしているが、その全てを捜索する余裕が警察にあるはずもなく、失踪した本人が自分で帰ってくるケースも多いが、十年以上にわたって音信不通の状態が続き生死が不明のままで終わってしまうこともある。

アメリカでは、今年も、近隣で誘拐された複数の女性が約10年間にわたって、容疑者の男によって住宅街の中で孤立した民家(空家のように見られていた釘打ちされた民家)に監禁された事件が明るみになったりもしたが、地域コミュニティの衰退によってこの種の偏執的で悲惨な事件は少なからず発生している。日本でも新潟少女監禁事件のように、母親と同居する一軒家でひきこもり状態にあった中年男性が、誘拐した女児を10年近く監禁したという信じられない不気味な事件もあった。

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映画『華麗なるギャツビー』の感想

総合評価 89点/100点

F・スコット・フィッツジェラルドの“The Great Gatsby”を映画化した作品。ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)の波乱万丈の純愛に生きた短い人生を、唯一の友人としてギャツビーと最後まで付き合うニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)の視線を通して描く。

ニックの自宅の隣に建っている宮殿のような豪邸では、毎日のように政財界の大物やハリウッドの名優、金持ちのドラ息子らが集まって、湯水のようにお金を使うド派手なパーティーが開催されている。豪壮な館の主人の名はジェイ・ギャツビーと呼ばれる青年大富豪だが、その過去の出自や実際の職業(お金の出所)は謎に包まれており、表向きはドラッグストアチェーンの事業の成功によって莫大な富を築き上げた人物とされ、政財界・警察の長官にまで通じるその幅広い人脈は『法の支配』さえ寄せ付けないような絶頂期にある。

1920年代のアメリカの株式市場の狂乱、禁酒法の反動による享楽主義の広がりの中、ジェイ・ギャツビーは人々の欲望を燃料にして有り余るほどの財産と地位を築き、5年前の目的を果たそうとする。ギャツビーが法律の網を潜ってリスクを顧みずに金持ちになった目的は、軍の青年将校時代には『身分・経済の格差』から近づけなかった初恋の相手デイジー・ブキャナン(キャリー・マリガン)と結婚するためだったが、既にデイジーはトム・ブキャナンという成功した実業家・ポロの選手と結婚していた。

英国紳士としての完全な教養と優雅な所作を身に付け、トム・ブキャナンなど及びもつかない破格の経済的成功を遂げたジェイ・ギャツビーには、デイジーをトムから奪い取る自信と計略があり、そのためにデイジーの又従兄弟である冴えない証券マンのニック・キャラウェイに近づいたのだった。

デイジーが本当は自分のことが好きだったのに仕方なくトムと結婚しただけなのだという確信によって、不遇な自分の心境を支え続けてきたギャツビーの最終的な目標は、デイジーにトムに対して直接『あなたのことなど、一度も好きだったことはない』と宣言させて別れさせること(過去を無かったものにする決定的な宣言と共にデイジーに自分を選ばせることでそれまでの嫉妬感情を清算すること)だった。

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映画『G.I.ジョー バック2リベンジ』の感想

総合評価 82点/100点

最新のVFXを駆使した映像、鍛え込まれた肉体を持つ俳優陣を配したアクション映画としての完成度は高く、スピード感のある物語の展開を楽しめる作りになっている。テロ組織『コブラ』の一員が変装技術によって入れ替わったアメリカ大統領が、『核兵器廃絶サミット』を開催して、その場での核放棄の返答を渋る諸外国の首脳を尻目に核兵器のミサイル発射ボタンを押しまくる。

『お前は頭がおかしくなったのか。錯乱したのか。我が国は絶対に核攻撃に対して無抵抗では終わらない』と、アメリカ大統領に対して激高しながら叫ぶ各国首脳に対して、『アメリカの核兵器はお前らの国を合計14回ずつ破壊することができる。この場で核兵器を廃絶(反撃のために射っている核ミサイルを爆破処理)しないと数分後に世界は破滅する』という脅しをかける。同盟国であるはずのイギリスもフランスもひっくるめて脅すという支離滅裂ぶりである。

テロ組織コブラは世界の核兵器が廃絶された後にも、使用可能な核兵器以上の破壊力を持つ『人工衛星爆弾』を開発しており、強制的な核放棄によって各国を無力化させることが目的であった。同盟国であるイギリスのロンドンにまずその人工衛星爆弾を威嚇のために投下し、見せしめとされたロンドンは瞬時に都市が地盤から粉々となって全崩壊してしまう。

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映画『オブリビオン』の感想

総合評価 75点/100点

2077年、地球は『スカブ』と呼ばれるエイリアンの侵略を受ける。人類は各国が連携して総力を挙げた核兵器による反撃を行い、地球は侵略と放射能汚染によって滅亡したが、人類はその生存可能領域を他の惑星(土星の衛星タイタン)に求めて何とかテラフォーミング(惑星間移住)に成功していた。

文明が破壊されて放射性物質で覆われ荒れ果てた地球には、定期的に二名の監視員が派遣されて長期の地球パトロールの特殊任務に当たることになった。二名の監視員は男女二人で構成されて、元々は恋人や夫婦ではないのだが、本国(人類の新拠点タイタン)から遠く離れた赴任地の地球において擬似夫婦(パートナー)として暮らすことで、長期の惑星外活動のストレスを調整する仕組みになっている。

本国の上官からも定期的な連絡があり、二人だけで長期間地球で暮らすストレスに配慮して、『パートナーとの仲は上手くいっているか・日々の任務遂行に問題はないか』というメンタルケアの質問が多くなされ、ヴィクトリアは定型的なやり取りの雰囲気の中、笑顔で『ここは楽園です』という回答を返す。監視員の二人は、本国タイタンでの生活や人間関係を思い出してホームシックにかかったりストレスが強まらないように、事前に監視員として赴任する前のすべての記憶を消去されており、帰国してから記憶を回復される措置が取られる。

男性の監視員は、最先端の飛行船に乗って地球をパトロールし、女性の監視員は、コンピューターによって完全管理された地上1000メートルの高さにある管制塔(ベース)でそのパトロール活動をアシストするという役割分担が決まっている。陽気でユーモアがありいつも前向きにパトロール任務をこなすジャック・ハーパー(トム・クルーズ)と温和で情報処理能力に優れ献身的にジャックを支援するヴィクトリア(アンドレア・ライズボロー)が監視員として派遣されている。

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映画『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』の感想

総合評価 83点/100点

事件の捜査能力とススキノでの人脈はあるが、女好きの俗物で自堕落なところもある探偵の“俺”(大泉洋)、空手の格闘技の達人でいつも飄々としてマイペースな助手の高田(松田龍平)が札幌の街で繰り広げるドタバタの探偵物語。

ススキノのショーパブ『トムボーイ・パーティ』に勤めるトランスジェンダー(オカマ)のマサコ(ゴリ)は、お客さんを魅了するマジックが得意でその腕を磨いている。テレビ局が主催するオカマの特技選手権で見事に優勝して一躍有名になったマサコをみんなが祝福してくれたが、間もなく撲殺死体となって発見されてしまう。

マサコと親しく付き合っていた探偵の“俺”は必死に捜査をするのだが、マサコの交友関係や性格・行動履歴からは、まったくマサコを殺そうとする怨恨・利害関係が浮かび上がってこずに手詰まりとなる。“俺”は捜査が進まない苛立ちもあってか、兼ねてからの女好きの病が発症してしまい、極上の女(麻美ゆま)にはまって毎晩セックスをし続ける依存症状態に陥る……(この辺は年齢制限があることもあり性的描写を結構大胆にしている)。

3ヶ月が経過してカネのない“俺”は、金持ちに乗り換えた極上の女から無惨に捨てられるが、その間に、ショーパブの仲間たちはマサコの事件に対して急にそっけなくなり誰もその話題に触れなくなっていた。『お前ら、冷たいじゃないか』と怒鳴る“俺”、『お前こそ3ヶ月も連絡なしでどこをほっつき歩いてたんだ』と返され、『いや重度の病気(女関係)にかかっていて……』と言葉を濁す“俺”というコミカルなやり取りがあったりもする。

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映画『図書館戦争』の感想

総合評価 85点/100点

現在でも少年犯罪(凶悪犯罪)や治安悪化の原因として、ホラー映画(クライム映画)やアダルトコンテンツ、暴力表現が『健全な人格構造・価値観の形成』を直接的に歪ませて犯罪を増加させるという意見はあるが、発達心理学的に『メディア強化説』が立証されたことはない。

しかし、善良・潔癖な市民や道徳的な識者が“公序良俗”を盾として、『不健全で暴力的と見なされるメディア(コンテンツ)』を規制しようという動きはいつの時代にもある。『図書館戦争』は言論・表現の自由を守ろうとする“図書隊”と公序良俗のために本の検閲・焼却をしようとする“メディア良化隊”との戦いを題材にした近未来映画で、そこに図書隊内部の恋愛や人間関係のエピソードを挿入することで物語としての厚みが増している。

正化(せいか)31年、あらゆる不正・有害とされるメディアを取り締まる法律『メディア良化法』が施行されてから30年が経過した日本では、『言論・表現・思想信条の自由』を守る最後の砦として図書館がある。図書館は『武力による強制的な検閲』を法的に認可されたメディア良化隊に対抗するため、専守防衛を実行する独自の武装組織『図書隊』を結成する。

図書隊員は『見計らい図書(資料収集のための本の買取り)』『図書館施設の自衛権』など法的な特権を駆使し、市民が過去の時代のようにあらゆる本に触れられる自由を死守しようとしていたが、書店や図書館に強行突入してくるメディア良化隊との間で何度もの武力衝突が起こる。敵を殺さずに威嚇射撃に留める専守防衛の原理原則を貫く図書隊は少なからぬ犠牲者を出し続けているが、あらゆるメディアが検閲される監視社会において、資料収集と閲覧機会の確保を進める図書隊の士気と結束は高い。

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