「倫理学」タグアーカイブ

自然保護思想と人間中心主義、春名風花さんのいじめ考察、買春問題と人間社会の倫理の本質、りゅうちぇるのタトゥー問題など

○自然・動植物の側には「自然破壊の観念・景色の美醜判断の感性」や「現状のまま(現在の生態系)が良いの価値判断」は存在しない。自然の価値は人間の心に依存する面は確かにある。

団塊世代の写真愛好家「急増」でトラブルも増加? 山岳写真家が感じるジレンマ http://mixi.at/addpltq

自然の地殻変動・噴火・地震や長期の気候変動、確率論的な隕石衝突は、生態系を劇的に改変させて無数の生物種を絶滅に追いやってきたが、そういった自然による生態系の変化を悪と感じる人はまずいない。反対に、人為・人工物による絶滅や生態系変更、景観の変化を悪と感じる感受性は一般に強いが、その根拠も人為的ではある。

「自然保護・景観保護・絶滅危惧種の保護」も究極には人の倫理観や道徳感情の満足(納得)のためである。「外来生物種による在来種の駆逐」も悪とする価値観は強いが、既存の生態系が未来永劫に続くことが善なのかは本質的には判断ができない。自然選択で解釈できる部分もあり、数千年単位でも自然推移の誤差の範囲だろう。

今生きているある動植物種が絶滅することは悲しいが、近代以前にもさらにいえば人類登場以前にも進化した生物種の99%以上は絶滅して、新たな種が繁栄する前提となって世界から消えていった事実は事実としてある。山・海・川・地形の景観も、数百年単位でさえ開発抜きでも自然な風化で山の形や川の流路は変わってきた。

○「いじめ加害者の告白」春名風花さんと読む……年齢を重ね、学生時代も遠くなり集団生活にコミットしているわけでもないと「いじめの加害・被害のリアリティ」がどうしても落ちてしまう。大人がいじめ問題に干渉しにくい一面でもあるが、当事者には生死に関わる深刻な問題だ。個人主義で飄々とするのは学校では難しいかも。

いじめ原因は大別すれば「承認欲求・序列確認(マウンティング)・優越欲求・虐待型娯楽(スケープゴート)・独善の正義感・異質性排除」になるが、学校や集団で「弱者性・異質と疎隔・愚鈍性」が目立つと標的になりやすい。いじめに縁遠いのは、自分は自分、他人は他人の個人主義で自衛に十分以上の雰囲気を持つ人だろう。

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優生保護法に基づく強制不妊手術の背後にある現代的感覚、マスメディアの政治的公平の問題、農業支援アイドルの16歳女性の自殺など

○現代では自発的な優生思想や性選択が内在化されややすく表面化しないが、知能や責任、虐待、犯罪で「子供を持つ資格がない・親になるべきでない」の発想は根深く、出生前診断・自己客観評価も増大した。

強制不妊手術:拒否した親に「無知と盲愛」 侮蔑の言葉 (http://mixi.at/a5cZBF5)

強制不妊手術は人権侵害だが、戦前戦後の日本は貧しく幕末まで健康な赤子でも口減らしされ身売りさせ労働力にならない家族を食わせることが難しかった時代状況も合わせて考える必要はある。現代でも「働かない人への非難・否定」は根強く、人によっては人権を認めないレベルだが過去にも労働可能性が優生判断の一つだった。

人間の優生思想の淵源は、ダーウィニズム的な「自然選択・性選択」であるが、近代以降は男女が対になれば子供が産まれる生殖必然の運命を、避妊技術・知性・恋愛文化や美意識によって、より「意識的な選択性」に傾けた。優生保護法は権力の強制の人権侵害だが、現代は自発的・個人的な無意識下の優生の価値判断は強い。

○精神の落ち込みの制御でアルコールや薬物に頼る人も出てくるが、僕は自分である種のトリガーを引いてフロー(ゾーン)に入った時に襲ってくる強烈なナチュラルハイに身体機能が追いつかなくなって逆にきつい。「酒・タバコ・薬物」などの中枢神経の刺激・麻痺を用いずとも、内面から滾滾と意欲・興奮は自然に湧いてくる。

10代の頃からフローな「怒涛の勢いに乗る感覚」があり、ハイテンションとバイタリティー強化はあるが、30代後半から長時間の仕事やハイな運動・成功・異性・読書の後に身体が疲れやすくなった。昔、精神医学的な躁(manic)かと思ったが、精神運動のアップダウンがないので意図的な瞑想・運動・休養が要る。

しかし、あまりに爽快で嬉しい面白いとか、興奮してやるぞという気力が湧くとかいう状態は、相対的には幸福な状態かもしれないが、年齢相応の脳にとってかなりの負荷がかかっており、ハイに自律神経系が興奮し続けたり運動し続けると、中長期的には睡眠不足も含め中枢神経・循環器などにダメージが及ぶ可能性がある。

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在宅での最期の看取りは幸せなのか? 妻が嫌がっている目の前でAVを見る夫の問題

○悔いが残るかどうかは「年齢・状態・生前の人柄や考え方」にも拠る。血縁・婚姻の義務感ではなく、最期を看取ってあげたいと思うほどの相手がいること自体が幸せという解釈もある。

在宅での最期、救急車を呼んだら警察沙汰に 悔いのない「看取り」に必要なこと (AERA dot. – 01月20日 10:52) http://mixi.at/a1WjJVr

無頼な生き方や嫌われる性格を貫いて人が離れた、経済的に完全に破綻して離婚絶縁したなどで、「家族親族の看取り」をすることもされることも期待できない人も多い。今後はそういった特別な要因がなくても高齢単身世帯の孤独死は増えるが、「貧困でない在宅介護・家族の看取り」はある意味、順調・堅実な人生の末期でもある。

死に方にこだわっても、どんな死に方をするかを事前に自己選択することはできないものだ。特別な病気がなく生物学的な限界によって老衰で死ぬというのは、長生きしたい人にとっては理想的な死に方ではあり、さらに家族・付き合いを大事にしてきた人なら看取ってくれる人がいること自体も嬉しいのではないだろうか。

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「人間関係リセット症候群」に陥るのはなぜなのか? 相模原障害者殺傷事件を起こした植松聖被告の深刻な心理的問題

○人間関係をリセットしなくても、残る人は残るし離れる人は離れる。色々な人に定期的に連絡して会い続けるというのは、誰にでも出来ることでもない。

「人間関係リセット症候群」に陥る理由 「ある日突然ダムが決壊したようにオーバーキャパになって全部捨てる」 (キャリコネ、 http://mixi.at/a23ODBG)

強固に見える人間関係も、仕事・結婚・親族といった『絶対にしなければならない活動・生活・帰属』に支えられている要素が大きい。自分の意志だけで人間関係を選ぶならば、のめり込んでいる時期の異性などを除き、頻繁に自分から会いに行きたくなる相手はそう多くないかも。仕事並みに毎日行くとなったら多くは音をあげる。

そう考えたら、仕事や雇用、学校の持つ『毎日絶対に8時までに人を来させる習慣や義務』は、生半可な人間関係より確実性が強く、人によっては何十年もきっちり通勤・精励する。友人関係の約束でいい加減な人でも、仕事はきっちりすることも多い、人を確実に動かす力は関係や気持ちより仕事・結婚・生活が強いか。

話題がずれるが、AV強制問題でも、『ナンパ・個人の性欲に応えるセックス』は絶対NGでも『有名になるため、お金のため』なら受け入れることのある成功欲求の強い女性の心理を逆手に取った面がある。男でも女でも個人間の要求だと無茶な内容は断れるのに、会社や仕事、契約になると脳のモードがおかしくなる人がいる。

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中沢新一らの「人類学」から現代人の脳の思考様式・自然観を考えてみる:現代人は想像力の飛躍的拡大を楽しんで悩む

現代人の脳と前近代の狩猟採集民の脳を比較した時、現代人の脳の方が知覚・生活経験に拘束されない豊かな想像力を持つ。「現代人の思考・生活圏の自由度」の高さを前提にする中沢新一らの人類学的な見方は面白い。識字率も低い狩猟民・牧畜民にとって、「鹿・羊・牛」はリアルな血を流す生き物・食糧で想像の余地は乏しい。

普段、獲物・家畜に接することのない現代人にとって「鹿・羊・牛」は、「血液・においを伴う食料資源としての動物」ではなく、むしろ「物語・想像を前提にしたイメージやキャラクター」であり、そこに愛玩動物的な感情移入さえ伴う事になる。リアルな動物を利用する狩猟民にとって屠殺の倫理や感情的抵抗は問題にならない。

「リアルな知覚・生活の実用」に脳の機能が強く拘束されているため、「イマジネーションの範疇」がどうしても余暇のある現代人より狭くなる。生きるための行動(食料・資源の動物)以外の余計な思索は捨象される。狩猟民は「具体的な事物・動物の血のにおい」の中を生きるが、現代人は「抽象的な観念」から事物を演繹する。

戦争・狩猟・屠殺の具体的行動から距離を置いた現代人の手一般は、「人間・動物の血液の感触とにおい」という穢れに触れずに生きている。その分、具体的なリアルの束縛に対する「穢れ・惨めさ・恐怖の意識」が強まる、汚れ仕事を武士・平民に回した平安貴族のように精神的強度が落ちて柔弱になったのである。

現代人、特にインテリや裕福な人ほど、「直接的かつ具体的な事物・経験の束縛」から自由だが、その反動で「リアルの知覚刺激不足による物足りなさ・空虚感」も生まれやすくなっている。引退したエリートサラリーマンには、お金が十分あっても畑仕事のような「土(リアルな事物の触感)」に触れたい人がいる理由でもある。

多くの現代人にとって、近代初期の工場労働のような単純作業を延々と繰り返すことはかなりの苦痛やストレスになる。それは教育を受けて知識の増えた現代人は、「頭の中だけで自由な思索や想像を無限に巡らせることが可能になったから」で、この常時の想像力を人類史を覆う人間の共通特徴と考えるのはおそらく間違いである。

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とんねるず・石橋貴明の「保毛尾田保毛男のネタ」は現代のお笑いとしては倫理・差別の問題が多くなった

昔は松田優作や松方弘樹等は徹子の部屋でタバコを吹かして話し、深夜にAV女優を集め脱がせる番組もあったが、『とんねるず的な外見特徴を揶揄する笑い』が現代の倫理・差別のコードに抵触しやすくなっただけである。

とんねるず「保毛尾田保毛男」批判にフジ社長が謝罪(http://mixi.at/aeZgOUY)

昔のお笑いは、とんねるずに限らず、ドリフターズでも、軽度知的障害(当時は知恵遅れでただ頭が悪い認識)や不細工、田舎者、貧乏人や乞食まで含めて『能力・魅力・洗練度・知性が落ちる冴えないマイノリティ』をバカにしても良いキャラクターに設定していた。いじめや差別はある種の笑いを伴うというのは事実としてある。

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