細木数子の宗教法人買収報道と『昭和の黒幕』とされた陽明学者・故安岡正篤とのつながり

細木数子をメディアで見かける事はなくなったがもう77歳か。霊感商法・占いで稼いだ財産は莫大だが、占い師で終わりたくない野心は、やはり戦前右翼の権威だった儒教の陽明学者・安岡正篤(やすおかまさあつ)氏との関係強調に回帰するようだ。

http://news.livedoor.com/article/detail/11239607/

安岡正篤という儒教・陽明学の思想家は、端的に言えば『東洋の政治哲学・帝王学の権威』で、政財界・軍部に思想的に非常に強い影響を与え、吉田茂はじめ戦後の自民党の統治理念や施政方針演説にも直接間接に関与した精神的指導者のような人物だ。『昭和最後の黒幕』とも呼ばれたが、細木数子との交流は認知症になっていたことによる判断力低下も言われているが、85歳で何十歳も年下の女性と入籍などは晩節を汚す行いの類だったようにも思える。

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認知症・要介護者の同居家族に対する家族の監督責任・賠償責任はどこまで認められるべきか:認知症の在宅介護の限界

愛知県で認知症の91歳男性が電車にはねられた死亡事故で『家族の賠償責任』は認められないとする妥当な最高裁判決がでた。注意すべきは『認知症者の事件事故に対する家族の賠償責任を無条件に免除するわけではない』ということ。仮に介護者の年齢が若く十分に監護できる生活実態があれば事故の賠償責任が生じる恐れがある。

岡部喜代子裁判長は、認知症の人や精神障害がある人の家族などが負う監督義務について『同居しているかどうかや介護の実態、それに財産の管理など日常的な関わりがどの程度かなど総合的に考慮すべき』という判断を示したが、認知症者の面倒を見れないと判断した家族の『同居・介護の回避』を促進する恐れもある。

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現代における体罰の問題点と体罰による教育効果の限界

体罰の目的は『悪事を改善する指導』というより『上下関係の刷り込み』に近く、暴力・立場で威圧する怖い上位者がいるから大人しく従うという効果はあっても、物事の是非善悪を学ぶ役には殆ど立たない。

<桜宮高自殺>根強く残る「力の指導」 体罰防止策が進むも

体罰の本質は何かと考えれば、『自分の頭で考えないようにさせること・上位者の命令は絶対だという条件反射を形成すること』であり、暴力で相手が萎縮したり服従したりする体罰は『自由意思を奪うことによる表面的な問題解決』にはつながるので、教育の即効性がある(殴った相手が良くなる)と感じる人はいるかもしれない。

ただし物事(行為)の善悪の根拠や改善を自分の頭で考えさせないまま、体罰のみの指導に頼ると、『属人的な道徳観(あの先生先輩が言う事は全て正しい)』に陥りやすいので、『上位者の目の届かない所で悪事をする』や『殴られた自分の屈辱・怒りを下位者に向ける』等の陰日向・いじめやしごき・体罰の伝統化の問題がでる。

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人生の楽観と悲観、どちらが良いか?:『道』を貫徹した信念の人・東浦奈良男さん

人生は楽観して気楽にやればいいとも、悲観して神経質に備えれば良いとも結論づけられないもので、数十年のプロセスで浮かび消える感情や関係も重要だ。状況により楽観と悲観も交替するが、畢竟『知識・能力(自律)』と『人・社会(他律)』の極を行ったり来たりしながら、自分なりに打ち込める『道』を進めるかだろう。

過去の偉人の評伝や同時代を生きる人たちを見ていて思うのは、各人の好みや環境、適性、思想などによって『道』の内容が『他者をそれほど要しない黙々と何かを継続する自律』に到達する人、『他者・社会の承認や他への貢献を目指す他律』に到達する人に分かれるが、道は無窮(未完の定め)である故に有限の人の希望となる。

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女性の孤立と貧困の問題:所得低下・技術革新・生活コスト感の変化で男女関係(恋愛・結婚)も変化している

結婚しなければ働く女性でも困窮する現状は問題だが、『日本社会全体の所得低下・貧困化』が進む背景もある。結婚しても夫婦共に稼げない状態になれば独身以上の危機もあり、男女の雇用と一人当りGDP下落に対処が必要だ。

非正規・独身…孤立し困窮する女性たち、切実な実態調査

異性や人間として好きな相手の仕事・所得が安定していて豊かな生活ができる、働きたい女性であれば仕事に専念できる(あるいは専業・パートでもいい)という『理想の結婚』ができる女性は今後減少するが、時代の変化として『生活設計ありきの結婚』が要請されるのに若い時期に現実主義に徹せられる人はやはり少ないだろう。

現代では、実家の経済基盤がある程度あれば、20?30代前半の女性は『生存・生活のシビアさ』をリアルなものとして実感しないままにバイト等でも過ごせる(長期の稼得能力を高めない)という事で、『人生設計重視の結婚』を意識し始めるにしてもその時期が遅いか『決断の基準・時期』に迷いが生じやすい。

男女の性別を抜きにしても、特別に大きな資産や保有するビジネスがない限り、『これからの収入源には何があるのか?自分の職業能力や稼得能力の基盤をどこに置くのか?誰と経済的に助け合えるのか?』という問題・不安から完全に逃れきることはできず、生きているだけで最低限の各種コストがかかる。

これは正規雇用・社会保障(公的年金)でもその収入源がなくなる可能性は少なからずあり、もし今の仕事がなくなったら何ができるか、今と同じだけの収入は得られるか、公的年金の支給が遅くなったり減額されたら何か稼ぐ手段はあるかなどの問題・不安に完全に対処できる人は殆どいないかもしれない。

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少子化の進行と中流階層の崩壊による格差拡大(貧困層増加):現状維持さえ厳しい状況がある

少子化と関連して『女性・子供・老人の貧困』や『社会格差の拡大』が問題になっているが『非正規化・低賃金化・無縁化(孤立)』の本質の一つはかつて地域や家族、婚姻、企業福祉が担保していた『継続的かつ安定的な仕事・関係・居場所』が各世代で奪われやすくなっていて、安心した自己定位や収入源が揺らぎやすいという事だろう。

昭和期までは、生活半径も意識範疇も狭かったため、いったん就職・結婚・出産をすれば、そこから先は概ね『継続的かつ安定的な日常の反復』で晩年に迎えた。だが、現代は解雇・離婚・疎遠などの変化が多く、『ところであなたの実力・魅力は何か(ただその帰属・関係にいるだけではダメ)』の競争原理に常に晒されやすい。

確かに、競争原理に基づく報酬の差異は向上心を高めるモチベーションの源泉だが、どんなに有能で精力的な人でも常に自己の能力・魅力・成果を試されるのはつらくてストレスなものだ。しかし、雇用の不安定化や人心の流動化、報酬・誘惑の多さによって、グローバル化する現代社会は『現状維持の楽な反復』を簡単には許さないだろう。

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