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“悪(斜に構える)の魅力・自由”と“生真面目(不正を糾弾する)の窮屈・不自由”

というのは場合によっては有り得るだろう。悪い男といっても『暴力暴言を伴う恐怖感・実際の負担が生じる借金のツケを与えるような悪い男』はやはり好かれないし遠ざけられるものではないかと思うが、多少のルーズさや格好つけ(見せかけだけ)の悪さがあっても『愛嬌・興味関心の強さ(新しい事に対する行動力)のある悪そうな男』は人によっては好ましいキャラクターになることはある。

生真面目過ぎて融通が効かないような人がなぜ好かれにくいのかというのは、やはり『真面目な人に不真面目な話題を振ってはいけないのではないかという道徳的な萎縮効果』があってどことなく堅苦しく、対話や精神の自由度が自ずから落ちるからである。

解明!良い男じゃなくちょっと悪い男に惹かれてしまう理由―研究結果

生真面目過ぎる人は、『この人にはこういう話題を振ると不機嫌になるのではないか、こういうちょっと不道徳なところのある価値観は絶対に受け入れない人だろう』といった事前制約が多くなり過ぎて、自由にモノを言いにくいという短所が生まれやすい。

本当の悪人まではいかない悪っぽい人というか、ちょっとちゃらんぽらんに見えるくらいの人(道徳的な正論でのゴリ押しをまず打ち出してこない人)のほうが、『さまざまな話題や経験、価値観を受け容れる懐の広さ』が広くなりやすいという部分はあるかもしれない。

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