子供を持つことが“自然な時代(自然になる状況)”と“選択の時代(不自然になる状況)”

子供を持つことを『生物学的な存在意義(ヒトも動物の一種)』や『自然のなりゆき』と考える人は、現代でも年配者を中心として多いが、近代後期以降の先進国では『生物としての本能の絶対優位・自然(義務的・排他的)なライフデザインとしての結婚出産』という前提が緩やかに崩れてきている。

「子供ほしいと思わない」男性が約半数!理由は?

そもそも、現代日本(約1億3千万人)は過去のどの時代よりも最大の人口を抱えており、『少子化・人口減少』が問題視されていることの本質は、『資本主義・市場・税収の拡大』によって最低でも現在と同水準の経済生活や老後保障を死ぬまで維持したい(平均年齢80代以上で)という『現代人の過剰な欲望』に過ぎない。

しかも日本の現代人は未来(これから生まれる子供)から既に約1300兆円の借入れを行なっており、『今享受している生活水準・老後保障』も本来であれば『なかったはずのもの(借金に依存しているもの)』という厳しい現実がある。

毎年の一般会計では常に国債を最低でも20兆円以上は発行しないと今の生活や社会保障を維持できないのだが、『改善の見込みの立たない国家財政のバランスシート』というのは、ただ出生数を増やせばいずれ解決するという問題ではなく、『一人当たりGDP(雇用の質・所得水準)』の大幅な上昇がなければ無理なのである。

確かに、縄文時代から安土桃山時代(織豊政権)にかけて、日本人は産むか産まないかの選択の迷いのない『本能と身分(共同体の役割)に従った出産育児』をしてきたはずだが、縄文時代の日本の人口は約10~30万人、平均寿命は30歳を大きく超えず産んで子供が何とか自立するまで育てては親はすぐ死ぬの繰り返しであり、江戸時代以前も日本の人口は約1000~2000万人、貴族・武士でさえ平均寿命は40歳を大きく超えずあっけなく病気(感染症)や戦争で死んでいた。

当然ながら、明治以前の時代には一般庶民には年金・健康保険など社会保障はないし、そもそも健康保険を使うべきまともな医療もなく、世の中全体を見る知識・学問・統計も職業選択の自由もない。だが、逆に言えば近代以前の人間は『何も考えずに子供を産みやすく、ムラや領地の共同体倫理(労働力・兵力の確保)で好きも嫌いもなく産まなければならなかった前提』がある。

『生まれ落ちた子供の仕事・生活・運命』も概ね予測の範囲内にあった。近代以前には、大それた幸福追求・苦痛の回避などそもそもイメージできないし、そもそも貨幣経済が発達しておらず色々な商品・娯楽・移動手段・遊興施設もないのだから、庶民の願う夢は『飢えないこと(不作の飢饉にならないこと)・健康なこと・子孫を残すこと(イエを継続させること)』くらいしかなかったのである。

『子供を産まなくて一体それ以外に何をするのか?(何もすることなどないし、共同体で相互監視されているし、のんびりしていれば30~40代くらいで死ぬことも多い)』という時代のほうが長く、現実問題として近代以前の大多数の人間は働いて産んで死んでいくというライフサイクルから大きく外れた『個人の選択・満足・娯楽』など追求する手段そのものがない。

産む産まない、子供が欲しい欲しくないという選択の思考の前提条件がごっそり抜け落ちた時代(そもそも悠長に考えていれば出産せずにやりたいことをやるどころかあっけなく飢え・病気で死ぬだけの時代)が、石器時代から数えれば約200万年以上は続いたということになる。

そういった身分と環境に合わせた労働と出産以外にはまったく何もすることがない、貨幣経済が流通しておらず『お金を使って何かをすることができない』という時代が緩やかに変わってくるのが、お米以外の貨幣の交換価値が強まり、江戸を中心とした都市の娯楽文化・商品経済が花開いてくる江戸中期以降(江戸中期からの江戸っ子の町民の出産率はかなり低くなる)なのである。

お金がないから子供を産めないというが、貧しいアフリカやアジアの人たちは子供を沢山産んでいるじゃないか、だから現代の日本や先進国の若者たちはわがままで自己中心的なだけだという意見は確かに多い。

だが現代で人口爆発の現象が起こっている国・地域は、少なからず上記した『前近代的な身分や階層に応じた妊娠出産・育児・労働が自然(義務)になる社会条件』がいまだ備わっているだけ(それに加えて女性の自己選択の幅が小さい男尊女卑的な社会通念や役割意識も残っている)という見方も成り立つだろう。

村落共同体の影響力も強い貧しい国で、大勢の女性が疑問なく結婚して子供を産めるのは、それ以外の生き方の選択肢がそもそもないし、伝統文化や同調圧力に逆らうデメリットは非常に大きく時に差別や生命の危機にも関わるのである。

こういうとどこか遠い国の話のように思えるが、昭和期以前のまだ貧しかった近代日本の女性も実質的に結婚・出産をして経済力のある男性に扶養されなければ生活の目処が立たないか著しい貧苦に陥るのが普通であり、そういった結婚が生計手段であった時代の記憶は今でも中高年以上の世代には残っているはずである。

子供を多く産むかはお金があるかないかが本質なのではなく、『個人の人生の自由度・自分の親子関係の印象や人生設計の楽観度・貨幣経済と都市文化の浸透度・世の中や世界の全体を見渡すような知識情報や統計の氾濫・異性選択の高度化と労働の専門的な複雑化・男女の平等度(女性の選択権・拒否権)』が、先進国の子供を持たない人の心理や選択に直接間接の影響を与えていると考えられるだろう。

現代において『子供を持つことが当たり前で自然だと素直に思える人』は、自分を育ててくれた両親に感謝して尊敬している、親と同じような幸せな家庭を再生産したい(家族・家庭というものに常にポジティブで明るいイメージがある)、ロマンティックラブの恋愛でこの人しかいない(どうしてもこの人の子供が欲しいという理想の相手と付き合えた)という感情の高ぶり、周囲のみんなが結婚して子供もいるから自分だけ結婚せず独りなのがつらい同調圧力、安定的な雇用・所得が保障されているようなハードワークの仕事状況(いずれにしても毎日働き詰めで自由は乏しいから居場所としての家庭・子供が欲しい)、マジョリティのする結婚出産をしないとしても他に人生を賭けてまで何かしたいことや興味関心の続くことがあるわけではない(子供を持たないと後で後悔しそうだと思う)、などの条件に当てはまる人が多いだろう。

スポンサーリンク