自転車・傘を罪悪感なしで盗む人は『他者への想像力が欠けた人』だろう:損失金額もあるが大きな不便を蒙る。

歩くのがきついから自転車を盗む、雨に濡れたくないから傘を盗む『自分の利便性』の為の犯罪は、正当な持ち主が受ける不便・損害・憤慨への想像力が欠如している。

自転車や傘を盗む人に罪悪感はない? 常習犯の言い分にTwitter騒然 「最低すぎて意味分からない」「今でも呪いの標的にしてる」

何十年も昔から『傘・自転車・バイクの窃盗』は多い。自転車窃盗などは今のほうが昔よりは盗まれなくなっているが、『借りるつもりの罪悪感の薄い個人の盗み』は減っても『盗んで転売する組織的な窃盗犯罪』は車・バイクで深刻化している都市部もある。人の物を借りるには本人に断って承諾を得るか対価を払う必要がある。

『傘・自転車を準備してきている人が使えなくなる利便性の低下+理不尽に盗まれたことに対する憤慨やショック』というのを大多数の人は経験と想像で分かるので、普通は歩きで疲れても雨が降ってきても人の物を盗むという選択はない。極限の飢餓での食糧の奪い合いとか誰かの生死に関わるモノとかは日本ではまずないわけで。

疲れても歩けない大怪我でもしてなければただ歩けばいいだけで、雨が降ってどうしても嫌なら雨宿りするか傘を買うかタクシーに乗るかすればいいだけである。疲れ・雨を理由に他人の物を盗んで、誰かを不快にさせても構わない(自分はもっと不快だ)という自己中心性・他者の感情の無視はあらゆる犯罪を誘発してしまう。

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