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“他人とのコミュニケーション”の面白さ・煩わしさ:共通点がなさそうな相手との雑談の苦手意識

職場で上司や同僚、取引先と『直接の業務以外の雑談(おしゃべり)』をする若者が減っているというが、関係性に合わせてやり取りをする『儀礼的なコミュニケーション機会』が社会から減ってきていることも関係しているだろう。

現代社会は『親密なコミュニケーションを取る範囲』を地域社会の顔見知りからご近所の隣人、近しい血縁者、同居の家族、親しい友人知人、付き合っている恋人などへと縮小するゲゼルシャフト化(利害共同体化)の傾向を示してきた。

話し方マニュアル本大ヒットの陰に「しゃべらぬ若者」の存在

それは『煩わしいムラ社会・儀礼的な人付き合い・噂話が生み出す世間体』から逃れたいという欲望と経済・技術の進歩がシンクロした必然の結果でもある。

ウェブ社会の発達やソーシャルメディアの浸透は、『自分の好きな人とだけコミュニケーションしたい(自分の好みや相性で選んだ相手とだけつながっていたい)』という個人の欲望を技術的に充足させやすくした。『好きでも嫌いでもない相手とのコミュニケーション機会』は限定的となり、『不快で嫌いな相手』はアクセスそのものが禁止(表示そのものがブロック)されたりもする。

お互いの状況や考え、気持ちについて頻繁に会話をする『プライベートな人間関係の範囲』はかなり狭くなり、携帯電話の普及によって『話したい相手』と『話したくない相手』との主観的(好き嫌い)な選別もより技術的に簡単になった。

自分にとって感情的なメリットや関係維持の必要性がないと思える他人と、なぜ話さなければならないのか(なぜ話題をあれこれ考えてあげなければならないのか)、自分がまったく興味のない話題や同意できない旧世代の考え方などをなぜ聞かされなければならないのかという価値観を持つ人もおそらく増えていると思う。

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日本文化の基底にある義理人情・任侠精神とヤクザの相関:権力や法の支配の及ばない領域が広かった時代

そもそも、日本において理性的な法治主義や司法に訴える非暴力主義が本当の意味で根付いてきたのは昭和末期から平成期にかけてであり、それ以前の日本人が『どんな時にも暴力を振るってはいけないという価値観』を共有していたわけではない。

『仲間を裏切った者には暴力的な制裁があっても当たり前・帰属集団に迷惑や危害を加えた者は暴力で多少痛めつけられても良い・言葉で言ってもどうしても分からない奴は暴力で無理矢理に従わせるべきだ』というのはヤクザの仁義・道理であるが、こういった価値観・倫理観はヤクザに特有のものだとばかりは言えず、一般の日本人の中にも形を変えて存在することがあるものである。

友達のグループから離脱する時にいじめられたり嫌な思いをさせられる人もいれば、暴走族などの不良集団から抜けようとして集団リンチを受けた人もいて、個人経営の土木建設業の会社を辞めようとして社長含む荒くれの古参社員からリンチを受けるという事件が起こったこともある。事業規模としては大企業といって良いユニクロやワタミや日本マクドナルドでさえも、『辞職する自由』はあるが従業員を酷使したり暴言で恫喝したり過労死させたりする『ブラック企業』としての側面が批判されていたりもするが、政府は経済的利益や雇用のボリュームを優先して現状以上の指導監督をしようとはせずに労基法違反を放任している。

言葉で言っても不健全な生活態度やひきこもりの問題が変わらないからという理由で、戸塚ヨットスクール・長田塾などに代表される『暴力的な強制・脅し』も辞さないスパルタ教育の私塾を肯定する日本人も少なからずいる。『言ってもわからない奴』には暴力を振るって言うことを聞かせても良いとする、ヤクザの仁義とも親和する価値観(法治主義・人権規定の例外も必要だとする考え方)は意外に日本社会に根強くあるように思う。

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近世に現れた“武士を模倣した周縁身分(制外者)としてのヤクザ”と近代初期に現れた“肉体労働者の元締めとしてのヤクザ”

昭和期までの日本ではヤクザと警察は、『歴史的な侠客が地方自治(労働者管理・争訟調停)に果たしていた役割』や『裏社会(重犯罪の容疑者)の情報源の必要』もあって持ちつ持たれつの関係だった。ヤクザのそもそもの起源は戦国期の既成秩序からはみ出した異端者である『カブキ者』とされるが、江戸期に生まれた『武士を模倣した侠客集団(食い詰めた牢人・町奴・博徒の非合法な武装集団化)』が近世ヤクザの原形とされる。

『公権力(暴力独占の政治機構)に対する反抗と模倣』という二重基準を持ちながらも、各藩が財政難に陥った幕末には十手を渡されて警察活動の一部を委託されたりもした。江戸時代末期の混乱期(藩の衰退期)には、多数の子分を抱えるヤクザの親分が実力行使の警察業務を委託された。

これは田舎の武州から出てきて、武士に憧れていた近藤勇・土方歳三が局長と副長を務めた無頼の剣客集団『新選組』が、幕府から『京都守護職・旗本』に任命されたのにも似た構図であり、新選組の『裏切り・離脱』に対する即時切腹の罰則を定めた『局中法度』なども極めてヤクザ的なものであった。

というよりも、新選組や侠客集団(ヤクザ)の側が武士の規範性を模倣したのだから、『謀反・脱藩(主君に対する不忠行為)』が死罪に相当するという原理原則に沿ったものと解釈できる。義理・忠誠を欠いたり大きな失敗をすれば『指を詰める』という慣習も、単なる謝罪や補償だけでは不義理(規範逸脱)は許されることがないという武家社会の慣行(裏切り・失敗に対する他の家臣・子分への見せしめ)を模倣したものである。

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法・市民社会に追い詰められる“ヤクザ(暴力団)”とグレーゾーンで台頭する“半グレ(不良集団)”

山口組直系の『英(はなぶさ)組』の組長・津留英雄容疑者(77)が、ウェブ上の誰でも閲覧できる公開掲示板で『半グレ(不良集団)の実力排除』を示唆した暴力行為処罰法違反の容疑で逮捕された。77歳の年齢でインターネットを使いこなし、自分の政治・社会に対する論評を書くブログまで開設するような先進的な組長として知られた人物だという。

「半グレ排除」ネット掲示板で組員に“指示”した山口組直系古参組長の“ITリテラシー”

パスワード認証もかけない『公開の掲示板』で犯罪の証拠になりかねない書き込みをしたのは迂闊だが、『半グレごときが大きな顔をして歩く世の中。困ったことです。それも、これも「暴排条例」なる珍奇な法令の副産物である。せめて、わが城下町だけでも断固!これを「許しまじ」である』という内容は、暴力団の縄張り意識や上下関係が通用しない『不良集団の増加(暴力団の承認を得ないシノギ=犯罪収益の増加)』を思わせるものである。

東京ではクラブの店内で人間違えの殺人事件まで引き起こした『関東連合』という半グレ集団が話題になったこともあるが、ヤクザの組員でもなく堅気の一般人でもないが犯罪行為(暴力による威嚇を伴う行為)を生業とする『半グレ(不良集団)』が増加しているという。暴力団と比べると半グレ集団は、警察にその集団組織を登録されてマークされているわけではないので、『規制の強度』が弱くて『活動の自由度』が高いという有利さがあり、一部の地域では暴力団よりも派手な動きをして多くの収益源を確保しているとされる。

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シェアハウスは『合意による家賃折半』と『業者の脱法ビジネス』かで全く実態は変わる。

都心部の家賃の高さと雇用の不安定化・低所得化によって、『家族以外の他人』と一つの部屋の家賃を折半するシェアハウスが増えている。メディアでは家賃が数十万円以上する床下面積の広い高級物件を、定職のあるシングルマザーがワリカンで賃貸する『プチセレブなシェアハウスの事例』なども取り上げられていたことがあるが(仕事で長く留守にする時や子どもが病気になったりした時にはお互い様で助け合いやすいなどのメリットもあるが)、その対極にあるのが『貧困ビジネスとしてのシェアハウスの事例』だろう。

脱法ハウス:窓無し3畳半に2人 退去強要、行き先なく

同じシェアハウスでも『気の知れた友人知人(信頼できる相手)との快適なシェアハウス・自分の部屋がある同居』と『利益至上主義の業者(大家)が管轄するシェアハウス・狭小なスペースへの押し込み』では全く異なるわけで、『6畳以下の狭い部屋に2人以上を強引に詰め込む型』は、ただ寝るためだけに屋根がある場所を提供する貧困ビジネスである。

外と換気できる窓さえない狭い部屋への詰め込みは、安全上の問題があり消防法に違反している疑いもある。それ以上に、自由に動いたりのんびりくつろいだりできる専有スペースがほとんどなく、風呂・トイレも共有で遠慮しなくてはならない『精神的ストレス・作業効率や集中力の低下』の問題は大きく、基本的に一日の大部分を屋外で過ごすライフスタイルにならざるを得ないだろう。

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“個人経営のタバコ屋”がここ10年で半減というニュースの感想:なぜタバコ屋は減ったのか?

たばこ店の数がここ10年で半減しているというが、『喫煙人口の減少』は『喫煙者を迷惑とする風当たりの強さ・喫煙可能な公共スペースの激減・タバコ税の増税傾向』を考えれば必然的な結果だったといえるだろう。

たばこ店」この10年で半減――NTTタウンページ調べ

NTTタウンページが、自社のデータベースに登録されている『たばこ店の件数』を調べると、2003年の2万177件から、2012年の9042件へと半数以下に急減していることが分かったという。街角のたばこ屋さんが急速に減った理由は、健康維持のために禁煙した人が増加したというのもあるだろうが、『タバコを吸っている人に対するイメージ・評価の悪化』や『WHO主導の世界的な禁煙キャンペーン=公共空間での全面禁煙の義務づけ』の影響が大きいと思う。

自宅や誰もいないような田舎・道路以外では、外でタバコを吸える場所が激減しており、駅でもバス停でも飲食店でもショッピングモール(デパート)でも会社でさえも、全面禁煙にする場所が増えた。高いお金を出してタバコを買っても、『タバコで一服できる場所や人間関係』が減っている。

かつては上司も加担することで当たり前の権利のように思われていた『随時の一服休憩』も単なるサボリ行為と見なされるようになり、一服休憩できない非喫煙者との不公正さが批判され始めた。近年では会社で喫煙すれば厳重注意を受けて始末書を書かされ、複数回の喫煙が発覚すれば懲戒解雇するというクリーンな就業規則を明示する会社さえ出てきているし、(会社で吸わないと誓約しても)喫煙者というだけで採用をしぶるタイプの会社も増えているのである。

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