イスラーム圏(イスラムの人口・経済)の拡大は、21世紀の世界に何をもたらすか:1

ムスリム(イスラム教徒)が人口の9割以上を占めるイスラーム国は、日本にとっては『石油・資源の輸入拠点』という以上の意味合いが弱く、経済的な相互依存性はあっても政治的・文化的・価値判断的には依然として『遠い国』というイメージが強い。

地理的(距離的)にはヨーロッパやアメリカよりも中東・中央アジアのイスラーム諸国のほうが近いにも関わらず、日本人の多くは欧米諸国よりも中東・中央アジアの国々を心理的に遠く感じている。

のみならず、欧米よりも治安が悪くて紛争が多い国(日本的な価値観や常識で迂闊に振る舞えば何らかのタブーや宗教法に抵触しかねない国で何となく息苦しい)として警戒し、(マレーシアやインドネシア、トルコ、ドバイなど世俗主義・外国人誘致で観光立国を目指すイスラーム国を除いては)あまり行きたがらない面がある。

イスラーム圏(アラブ地域)は『欧米中心の近代化・画一化』に抗い続けている宗教と共同体の伝統規範が息づく地域であり、その伝統規範が非合理的・対決的(特にユダヤ人との地域紛争の歴史を踏まえた対立)であったり時に人権抑圧的であったりするために、欧米中心史観の上では『未開と紛争の土地(結果としての市場利益や個人の自由と平等の拡張、人権に根ざした罪刑法定主義といった欧米主導の価値観のスタンダード化に簡単には従わない土地)』と解釈され続けてきた。

古代から中世にかけて文化文明と経済・学術が隆盛して、一時は巨大なイスラーム帝国が、キリスト教圏のヨーロッパを野蛮で無知な貧しい国として睥睨した時期もあったのだが、大航海時代(南北アメリカ大陸からの富・労働力の簒奪)と市民革命(国民アイデンティティに根ざす教育・軍隊)、市場を巨大化させる産業革命を画期として、イスラーム圏は『近代国家化の競争』に敗れてしまい後進国の地位へと追いやられていった。

欧米主導の近代化・帝国主義(武力を用いた市場拡大)の大波に、日本は辛うじてギリギリのタイミングで乗ったが(調子に乗りすぎた大日本帝国はその後に破滅したが)、中華帝国とイスラーム帝国は政治経済の制度の大変革を伴う大波に呑み込まれて、その領土と権益を欧米列強諸国に分割される憂き目を見た。

現代でも、四度の中東戦争(解決困難なパレスチナ問題)、イラン‐イラク戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争、シリア内戦、自爆テロ・外国人の拉致誘拐事件の多発などからくる危険地帯のイメージもある。

だが、内戦・テロ・領土問題の多発のそもそもの原因に関しては、欧米諸国が軍事戦略で強引にイスラーム帝国(オスマン・トルコ)を解体したり国境線を引いたりしたこと、アメリカが冷戦時代に対ソ・防共の勢力としてのイスラーム原理主義組織を支援(軍事訓練・資金供与)したことにも大きな責任がある。

ホロコーストに対する同情(民族が国家を持たないが故に受けた絶望的な虐殺という歴史解釈)を受け、イギリスがユダヤとアラブ、国際社会を伺う三枚舌外交をやっている内に、聖地奪還も成し遂げるユダヤ人の人工国家『イスラエル』をアラブ諸国に囲まれたパレスチナの地に建国する流れになったことも、終わりが見えないパレスチナ問題の始点となった。

日米欧の一般国民にとっては、『十分に世俗化されておらず政情・民心も不安定なイスラーム国(イラン・イラク・アフガニスタン・パキスタン・シリア・ソマリアなどを筆頭に)』は気軽に観光や留学、ビジネスなどを目的として近づける土地ではないのが現状だが、広義のイスラーム圏に関しては無視できないほどの『現時点の経済成長率+将来の人口ボーナス・市場の伸び白』を持っている。

自由主義と資本主義(市場経済)の二本柱に支えられたラショナルな近代社会にとっての『異質性(馴染めないもの)』としてイスラームは認識され、欧米人のみならず日本人にとっても『合理的・功利的(経済的)な理屈や説得』で動かすことが難しい地域・民族という印象が強かったが、イスラームという宗教規範やインシャアラーの時間遵守のいい加減さに束縛されていてもなお、イスラーム圏は年15%以上の経済の急成長を持続している驚異的な潜在力を持つエリアになっている。

世俗化されていないイスラーム国・部族では、宗教的なタブーや尊厳に迂闊に触れられないという怖さ・煩わしさは確かにあるし、酒を飲めないとか豚を食べられないとか利子を得られないとか露出の多いセクシーなファッションが受け入れられないとかいった『合理的な説得・交渉』ではどうしても崩せない絶対的な非関税障壁も少なからずある。

しかし、現代の経済活動は先進国とされる国々においてさえ、『利益至上主義の外部にある付加価値(例えば、フェアトレードだとか児童労働の関与した製品の不買運動だとか企業の社会的貢献度を反映した購買動機だとか)』が重要になってきている側面があり、イスラームのコーランやシャリーア、慣習法だけが『特別に非合理的な非関税障壁・経済活動の障害』とは言えなくなっているという見方も強まっている。

オーストラリアやニュージーランドを筆頭にして、『鯨肉を食べない文化・倫理感情』が白人の文化圏には根強く広がっているが、これもイスラームの豚肉禁忌と同様に合理的理由のない非関税障壁であり、食べてみて美味しいか不味いか以前(パン・豆を主食とする食生活に合いにくいことも当然あるが)に彼らは『鯨を食べること=悪』の価値判断になっている。

食品の輸出についても、ムスリムの宗教規範や伝統・慣習に合わせた製法・原料をきちんと使っているという認証制度が普及してきており、かつてのインドネシアにおける『味の素バッシング(調味料の原料に豚由来の成分を含んでいたための非難)』のような事態は起こりにくくなっている。