オウム真理教の平田信の裁判開始:風化していく地下鉄サリン事件の記憶とカルト宗教の脅威

宗教団体が一般市民を対象とする無差別テロを仕掛けた『地下鉄サリン事件』が起こったのは1995年3月、阪神淡路大震災が発生してから僅か2ヶ月後の大惨事だった。世紀末が近づきバブル崩壊後の不況に喘ぐ日本の世相を更に陰鬱なものとしたが、それだけではなく当時のマスメディアはお祭り騒ぎのようにオウム真理教の長時間の特集番組を組み続け、麻原彰晃逮捕の当日までメディアの多くの時間がオウム関連にジャックされているような異常な状況であった。

当時の僕は高校生だったが、連日のようにワイドショーや特番にオウム真理教の幹部が出演しており、上祐史浩広報部長や青山吉伸弁護士が『尊師(麻原)の無実』と『教団の安全性』を饒舌なまくしたてるような口調で訴えかけ続け、オウム糾弾の報道に対しては名誉毀損罪をはじめとする法的な措置を取ることを辞さない姿勢を示していた。

教団側がむしろ国家権力や米軍から弾圧されているという被害妄想を中心にした弁明だけではなく、オウム真理教の教義と目的、不気味な修行方法と霊感商法、麻原を頂点に置くヒエラルキー・幹部のホーリーネームや高学歴などがあまりに詳しく報道され過ぎ、オウム批判なのかオウム宣伝なのか分からなくなる有様であった。

最初はオウム真理教の名前くらいしか知らなかった人までが、教団の主要な幹部の顔・名前が識別できるようになったり、教団内の特殊な教義、女を使った勧誘法や麻原の煩悩まみれの生活ぶり(最終解脱者は何をやっても精神が汚れず欲望が逆に清めになるらしいがw)を知るようになったりした。上祐史浩にファンがついたりグッズが販売されたりなどの、事件・騒動に便乗した悪ふざけの動きも出たりしたが、こういった動きは海外の凶悪犯罪者や日本で英国人女性を殺した市橋達也の事件でも起こったりはした。

オウムのサティアンと呼ばれる工場のような施設でサリン製造がなされていたのではないかという疑惑の渦中で、サティアンの化学プラントの最高責任者の村井がカメラの前でいきなり暴漢に刃物で刺殺される(村井が番組中でサリン製造が可能なプラントだということを間接的に認める発言をしたため刺客が送られたとの説もあるが容疑者は他からの指示を否定している)という劇場型犯罪まで起きて、報道は更に過熱した。

あれから約19年の歳月が流れ、平田信の刑事裁判は今更という感じも強く、平田は教団内での地位もインテリの最高幹部クラスではなく(麻原のボディーガード・車両運搬の責任者)地下鉄サリン事件には直接関与していないという意味でも、裁判内容そのものへの関心はそれほど高まらないだろう。何より若い世代では、オウム真理教事件の直接の記憶自体がなく、風聞・記事・書籍などで知っていてもそのリアリティや歴史的な位置づけ、カルト宗教の危険性などについては無関心であるか無防備である。

オウム事件の真相や動機がすべて解明されたわけではないというメディアの決まり文句はあるが、『裁判未決囚の証言・記憶』から今までになかった新たな犯罪全体の設計図や目的意識の変更が生まれる可能性は皆無に近い。何より教団の最高権力者であった麻原彰晃自身が、逃避的な心理機制(解離性障害のような心理状態への逃避)を打った挙句、『早発性痴呆(脳ピック症)』の発症によって、まともな発言が一切できなくなってしまったこと(そればかりか子供の前で突然自慰を始めたり排泄物も垂れ流しの状態だと伝えられ意思疎通・証言の可能性は閉ざされた)の影響は大きい。

平田信は高橋克也・菊地直子と共に逃亡生活を長期にわたって継続していた信者である。高橋と菊地が逮捕されたときには、プライベートな愛憎劇の部分で話題になったりもしたが、平田は自らの意思で年末に出頭してきて逮捕された。平田信にかけられている容疑は、『公証人役場事務長逮捕監禁致死事件(仮屋さん拉致事件)』での車両運転役での共犯、『宗教学者宅爆破事件(島田裕巳宅爆弾事件)』での見届け役での共犯であり、刑事裁判としての焦点は『拉致監禁事件・爆破事件の目的』を事前に知った上で協力したのか否かという部分に合わせられている。

オウム真理教の組織が拡大していった背景には、当時の『オカルト(反科学主義)や超能力のブーム・バブル崩壊後の世俗的欲望(良い大学から良い企業へ)の陳腐化・新興宗教の乱立』などもあり、オウム真理教の体系的な組織作りやミニチュア国家の機能的な役割分担を主導した幹部・インテリ層の連中は『オウムの複雑で原理主義的な教義体系(勉強して文献から学び取っていく体系)・麻原彰晃の洗脳や話術、懐柔、特異な容貌も含んだカリスマ性』に魅了されて続々と入信したとされている。

オウム真理教は、麻原彰晃を家長とする擬似的な家父長制を敷いたヒエラルキー型の宗教組織として拡大したが、麻原は教団実務・医療法務・工場運営を管掌する高学歴層や専門家・技術者(科学者)層のスカウトに当たっては、自ら相手の能力・履歴を褒め称えて『選民意識をくすぐる運命論や使命感・教団の高い地位(プロセスのない出世)』を与えることで懐柔して引き抜いたとも言われる。

近代産業社会や企業において、『大組織に所属する大勢の幹部候補のうちの一人(部品的な自己認識しか持てない自分)』であることに悩んで適応できないインテリ層は、麻原や教団が与えてくる『世俗の一般社会とは異なる価値体系とそのメタな宗教の組織体系における重要な役割・地位』に惹かれたとされるが、それは見方を変えればストイックな宗教者というよりは強欲なエリート意識の歪曲の結果でもあった。

あるいは、オウムが実在すると騙った超能力や悟り・解脱、奇跡・救済によって、『人間を超えた超越的な存在(麻原が僭称した尊師に近い境地にある解脱者)』にならんとする幼稚な変身願望のようなものもそこに含まれる。

学生時代にある程度優秀であっても、最終的には組織人や官僚、専門家、家庭人として普通の人生を歩み生きるしかない(ただの人間であるという限界は決して超えられない)という現実に耐え切れず、世俗における仕事や人間関係の意義を見失った人たちがオウムに取り込まれ、あるいは『困っている人・苦しんでいる人を救いたい(自分自身も修行・学問によって救われたい)』という余りに純情でまっすぐな理想家であった人たちもオウムの教義・洗脳にはまっていった。

苦悩・病気・不適応・劣等感などで苦しむ人たちが世俗から切り離された宗教世界の最後の拠り所として、全財産をはたいてでも出家する事例、それを知った親族が奪還を図ろうとして教団と小競り合いをする事件なども起こった。オウム真理教が宗教団体から犯罪組織に変貌した一因は、教団組織の規模拡大・集金増加・求心力強化を図るために『終末思想の予言』を説いていたが、その予言が成就しそうにないことから『新たな教団の敵』を外部に創作する必要が生じたからであり、教義を疑い始めた信者が脱会したい(上納金・労働力提供をやめたい)という動きが出てきたからでもあった。

オウム事件が風化してきたことが、『アレフ』や『ひかりの輪』といったオウムの後継団体の信者獲得にとって追い風となる事態は避けなければならないが、格差社会の悪化や生活困窮者・孤独者・将来不安の増加は『新興宗教の需要』を底上げする効果をもたらし、この二つの宗教団体の信者数は微増を続け、現在では1650人の信者を抱える規模になっている。

日本では宗教アレルギーが強いこともあって、宗教をはじめから全く知ろうとしない人も多いのだが、カルト的な要素を持つ新興宗教の入口は非常に幅広く、宗教団体という意識もないままに参加してしまうこともある。

ちょっとした趣味のサークルや習い事の教室、勉強会を開く飲食店などが信者勧誘の窓口になっていたりもして、既に仲間になった人たちから進められて『教団の出自・教義の内容・活動の実態』などを知らずに名前を連ねてしまう危険性もある。自分自身の現実や社会との折り合いに生きづらさや自己不全感を感じる人が増える時代には、仲間と共にある共同体的機能を提供するカルト宗教までもが勢力拡大をしやすくなってしまうので、必要な知識・情報を得ながらも注意を怠らないことが必要である。