17歳の孫と41歳の母親による『祖父母の強盗殺人事件』とその背景にある家庭荒廃・経済困窮・教育欠如・社会格差の問題

“家族関係の崩壊・貧困家庭・教育からの疎外”の問題も背景にあるのだろうが、元々、母親とその親である祖父母との親子関係が壊滅的に悪化していて恨みつらみをぶつけ合うような険悪なものになっていたのではないかと推測される。あるいは、母親とその両親とが既に絶縁(昔でいう勘当)のような状態に長くあったり、母親が両親からまともな養育・教育を受けておらず虐待的な境遇に置かれていたなど過去からの怨恨感情を鬱積させていたりというような可能性もあるだろう。

埼玉・夫婦刺殺:17歳孫を再逮捕…強殺容疑

祖父母と母親が普通に会話したり相談したりできるような関係性であれば、強盗殺人などをせずに、『生活費(子供の学費)に困っているから少しお金を貸してもらえないだろうか・貸して貰えないにしてもこれからどうやって生活していくべきだろうか、行政のどこに相談すれば良いのか』というような会話を先にするはずであり、殺す殺さない(殺してから強盗するしない)などの物騒な選択そのものが生じようがない。

そういった会話もできないほどに、『母親の側の普段の素行が悪くて、祖父母が母親(娘)を嫌ったり絶縁したりしていた』のか、あるいは『祖父母の側の貧困や過去の虐待などの問題があって、母親が祖父母を恨んだり憎んだりしていた』のかといったことが推測される。

殺人を犯した母親とその息子の17歳少年が悪いのは当然だが、殺しても構わない(殺されて当然だ)という殺意を実際に行動化するほどの『険悪かつ修復不能な親子関係』が初めに既にあったということが、豊かで高学歴化する日本社会の表層から隠蔽されている『格差や貧困の連鎖・教育課程(及び道徳観念)からの疎外・それらを要因とする親子関係の険悪化』を突きつけるような型の事件だろう。

現代日本の標準的な家族像は、祖父母や両親が子供のためなら概ね何でもして上げることを前提としたものであり(過干渉・過保護といった反作用による発達過程への悪影響も起こり得るが)、虐待死・ネグレクトなどの事件が報道されるケースはあるにせよ、『親が子供に悪いようにしたり子供の進路希望に応えてくれない・子供の幸福や成功を敢えて邪魔するような育て方をする』ということはほとんど起こることがない例外の扱いにされている。

そのため、子が親を殺害する、あるいは孫が祖父母を殺害するという事件では、『それまで大切に可愛がって育ててくれた親(祖父母)を殺害するなんてとんでもない恩知らずの冷血漢である』という自分の親子関係(祖父母との関係)を基準にした条件反射の道徳的非難が起こりやすい。

子・孫に対するそこまで大きくなれたのは誰のおかげだというような批判は言い古されているが、そこには『親からの虐待・ネグレクトの可能性』は含まれておらず、『極端な教育過程からの阻害・親の不仲や暴力、貧困などによる崩壊家庭での関係の荒廃』といったものも想定されていない。

確かに、『大切に可愛がって育ててくれて話し合いが十分にできるような親・祖父母』を殺すというのは常識的に考えれば有り得ないことであり、大半の祖父母は孫を手放しで可愛がりすぎて逆に甘やかしの弊害が出ることもあるくらいだが、一昔前の日本でも我が子の身売り・丁稚奉公に出す(小さい頃から家にはいられず親の愛情に触れられない)が多かったように、『貧すれば鈍する・豊かさ故の可愛がる余力・親世代の教育や道徳の水準の問題』といった条件を無視することはできない。

子供が親を殺したり親が子供を殺したりする『家族間殺人』は、他人同士が殺し合う殺人よりも異常で不道徳なものと考えられやすいが、殺人件数全体に占める家族間殺人(親族間殺人)の割合は4~5割であり、これに『恋人・友人間での殺人』を加えると過半数を大きく超えることから、治安が良く教育水準の高い先進国では元々、『無関係な他人』を滅多に殺さない傾向(他人を殺すケースでも怨恨ではなく金銭目的が多い)がある。

家族間殺人には、『ケアしなければならない家族をケアしきれなくなったことによる殺人』も多く含まれており、必ずしも怨恨や金銭目当てといったエゴイスティックな理由だけで殺しているわけではないことに注意が必要ではあるが。つまり、親が養育すべき乳幼児を殺害するケースと子(成人)が介護すべき高齢の親を殺害するケース、重度障害を負った家族(配偶者・子)の将来を悲観したりケアの限界を感じて殺害するケースがかなりの割合で含まれており、それに『家族間の怨恨・不満』や『DV(配偶者間暴力)や家庭内暴力の結果』『遺産相続の争いごと・金銭目当て』などが加わってくる。

普通に考えれば、自分にとってどうでもいいその場限りの無関係な相手や過去のやり取りのしがらみがない他人に対して『明確な殺意』を抱く機会がほとんどないというのは当たり前といえば当たり前である。短気な人であれば、初対面の口論から殴り合いの喧嘩などになって、傷害致死とかのケースはあるかもしれないが、大多数の人は他人と本気で殴り合い(刺した刺された)の喧嘩をするほどの衝動性・無計画さは持ち合わせていない。

深い情緒的な関係性や実際的な利害、過去からの不平不満(恨み・怒り)の積み重ねが生じ得る『近しい家族・親族・恋人・友人・知人』などのほうが殺人までいかなくてもトラブルや面倒事が起こる確率は格段に高いといえば高い。

ただ、このニュースにある17歳少年とその母親とが共謀した『血縁のある祖父母に対する強盗殺人』というのはかなり珍しい犯罪類型(殺害に至るまでの具体的な長期の母親と祖父母の親子関係の履歴まで遡れば、カネだけが目的・原因とは言えないかもしれないが)ではある。

一般的な孫と祖父母の関係があったのであれば、孫のためなら1万や2万のお金が本当に必要な時には(裕福ではないにしても)どうにかして貸してくれるだろうし、強盗・殺人を現実的な選択として考えるようにまでなっている我が娘の異常な生活状況や心理状態を心配したりアドバイスしたりしてくれるだろう。

だが、そういった対応ややり取りができないほどの『関係の悪さや感情的な軋轢・経済的な貧困・どちらかの素行不良や虐待』などがあった可能性、そういった家族間の対立・成育歴の問題・親子双方の恨みつらみを抱えた人たちが日本にも少なからずいる現実を考えると、治安の良い豊かな先進国とされる日本のある種の虚構性(見せかけと内実の落差)が際立ってくる感じがある。