映画『るろうに剣心 伝説の最期編』の感想

87点/100点

前作『るろうに剣心 京都大火編』を見て続きが見たくなった人なら、間違いなく楽しめる作品になっている。

緋村剣心(佐藤健)と志々雄真実(藤原竜也)の最終決戦で、映画の大半は剣と剣の激しい戦いだが、明治新政府から『人斬り』として利用され切り捨てられた共通体験を持つ剣心と真実の対照的な信念がぶつかり合う。

新政府に裏切られてその身を灼熱の炎で焼かれ、全身に大火傷を負った志々雄真実は、強い者が生き弱い者が死ぬという『弱肉強食の信念』を掲げ、残忍な戦闘と支配に明け暮れる復讐の鬼と化した。

志々雄の側近である天才剣士・瀬田宗次郎(神木隆之介)は、抑圧していた攻撃性を開放して、子供時代に自分を虐待していた親戚全員を殺害して以降、志々雄が説く弱肉強食の信念に心酔している。

志々雄は大火傷で全身の汗腺を失い、体温調節が困難な特異体質になったが、体内に蓄積した膨大な熱量を外部に放出することによって、燃え盛る炎をまとった剣撃を繰り出すことが可能になった。残酷無比な気質と人間離れした身体能力、狂気的な暴力・破壊への没頭によって、殆ど無敵の剣士になっている。

真実とは反対に、緋村剣心は幕末の京都の政変や戊辰戦争で、人斬りとして無数の人間を殺戮してきた過去を悔いて、明治維新以降は『不殺誓(ころさずのちかい)』を立ててそれを守り、刃を逆につけ切れないようにした『逆刃刀』を帯びるようになった。

志々雄率いる軍勢が操舵する軍艦から、神谷薫(武井咲)を追って荒海に飛び込んだ剣心は、剣術の師である比古清十郎(福山雅治)によって海岸で助けられる。幼少期に盗賊から同行者を皆殺しにされて茫然自失となり、墓穴を掘り続けていた心太(剣心)を拾って育てたのが比古清十郎であり、剣心は清十郎の徹底的なスパルタ教育によって『飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)』を教え込まれたのだった。

幕末最強の剣客、無敵の人斬りと称された緋村剣心でも、敵の殺戮のみを目的とする志々雄真実や瀬田宗次郎に勝つことは容易なことではなく、剣心本人も現在の実力・気魄では志々雄どころか側近の瀬田に勝つだけの自信も持てずにいた。

敗北が許されない戦いを前にした剣心は、師の比古清十郎に飛天御剣流の奥義を伝授してくれるように願い出るが、比古は真剣勝負さながらに剣心をめちゃくちゃに打ちのめし、『お前に欠けているものが何か分からなければ殺す(自分に欠けているものが分からなければ志々雄と勝負をしても負けるだろう)』という宣告を受ける。

自身に決定的に欠けていたものを洞察し、比古から飛天御剣流の奥義を伝えられた剣心は、志々雄真実が明治政府(伊藤博文)を脅してけしかけてきた『指名手配・公開処刑の罠』を乗り越え、志々雄一派が待ち構える軍艦に喧嘩屋の相良左之助(青木崇高)と一緒に乗り込んでいく。

弱肉強食の思想と天才的な剣術、俊敏な身体能力(縮地)、気配を断ち切る感情欠落を併せ持つ瀬田宗次郎を圧倒して剣の道を説くクールな剣心も見ごたえがあるが、やはり最後の志々雄真実ひとりに緋村剣心ら4人が立ち向かっていく決戦が迫力がある。

緋村剣心が志々雄の一撃を受けて吹き飛ばされた後に、元新選組隊長の斎藤一(江口洋介)、元御庭番衆の四乃森蒼紫(伊勢谷友介)、素手でやりあう喧嘩屋の相良左之助が寄って集って志々雄に戦いを挑んでいく。

それぞれ相当な使い手ではあるが、志々雄から簡単に弾き飛ばされて、狂ったような炎の剣撃の連打を受け打ちのめされていく。『るろうに剣心』は時代劇ではなくアクション映画だが、剣と剣の戦いにここまで時間的にも内容的にも力を入れている作品はないだろう。

最後は、剣心が比古清十郎から伝授された飛天御剣流奥義『天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)』が炸裂して決定打となるが、10分以上にわたって一人(志々雄)対四人の戦闘シーンを展開した後の鮮烈な一撃のインパクトがある。『るろうに剣心』の映画版はこれで完結となるが、それぞれのキャラクターのキャスティングが漫画原作の雰囲気にも合っていてなかなか良かったと思う。