老後の一人暮らし(人間関係ありの非同居)の満足度の高さ:家族が「老後の気の合う相手・助け合う相手」になれているかの問題

20~30代くらいの人でも「老後の孤独・貧困」を恐れている人は多く、その分かりやすい解決法の一つとして相互扶助的な「結婚・子供・家族(法的な関係性・血縁の関係性)」が求められてきたわけだが、現代は「離婚・不仲・性格や会話の不一致」も起こりやすい。

■老後は「1人暮らし」が幸せ 家族同居より生活満足

長く同居を続ける良好な夫婦関係や親子関係を維持するには、「双方の人間性・生き方の相性」と「お互いがストレスを感じにくい距離感・不干渉(相手が望んでいる方法や頻度での関わり合いの仕方)」が必要であるが、仕事のない老後になるまで「本当の相性の良さ・適度な距離感」が分からない夫婦・家族も多いことが一つの問題なのだろう。

近年は「高齢者夫婦のトラブル・老々介護の問題」も増えているが、「話し相手・気の合う相手がいない寂しさ・心細さ」と「世話しなければならない面倒な相手がいる煩わしさ・ストレス」とは違うということである。

一緒にいるだけでほんわか癒されるとか、話すと止まらなくなるくらい会話が面白い(話を聞いてくれて自分のことを誰よりも共感的に理解してくれて新たな興味関心を刺激してくれる)とかいう相手は、残念ながら恋愛の一時期を除けば「夫婦全体における比率」は必ずしも高くないのが現実だろう。

お互いが仕事をしていたり、夫が会社に行って妻が家庭にいたり、子育てに一生懸命だったりすれば、四六時中ずっと顔を合わせて一緒にいるわけではないから、「本当の相性の良さ・適度な距離感」があまり分からなくても、お互いに求められているやるべきことをこなしていくことで何とか上手くやっていけることが多い。

老後に上手くいかなくなる夫婦の組み合わせは「あれこれ構って欲しい(世話をしてもらったり何かに付き合ってもらったりしたい)タイプ」と「基本的に放っておいて欲しい(いつもベタベタ一緒にいたいわけではなく自分ひとりや配偶者ではない友人知人と何かをしたい)タイプ」の組み合わせであるか、あるいは「どちらかがそれまで我慢に我慢を重ねてきて(かなり以前から相手への共感性も興味関心も薄れていて)限界が近くなっているケース」である。

引退してからも何か少し仕事をしていたほうがいいとか、ずっと家に閉じこもらずに「教育(今日行くところ)・教養(今日の用事)」を身につけたほうがいいとか言われる由縁でもある。

よっぽど特別に相性が良い相手、気が利いて同程度に思いやれる人同士か、どちらかが折れて合わせてくれる相手でない限りは、ずっと密室的な部屋で一緒に過ごすというのは生活音にしても要求がちなコミュニケーションにしても風呂・トイレの共有(使うタイミングが重なる)、家電など物の扱い方の丁寧さにしても結構なストレスになりやすいのである。

特に自分がそれなりのハードワークで稼いできた人だと、自分がそれまで家族の経済生活の面倒を見てきたという自負心もあるから、「老後の世話・面倒・ちやほや」を家族に直接・間接に要求してしまうところもあるし、家族(妻・夫・子供)に何かしてもらうことを絶対にしなければならない役割や義務のように捉えて、それを自分から「あれしろこれしろ」でゴリ押しして嫌われてしまうこともある。

相手が気が利かない(自分の求めていることを察してくれない・笑顔で話し相手になってくれない・行きたい所に付いてきてくれない等)と、「自分中心の家庭生活」ができないことに対してモラルハラスメント的な態度に思わずなってしまうことも多い。

DVの暴力にまでいけば論外だが(高齢者でも配偶者が思い通りにならないと不機嫌になって殴ったり蹴ったりで暴れる人は認知症の脳機能低下も含めて少なからずいるが)、こういった問題では「相手がそれを受け入れてくれるか否か(受け入れてくれるだけのことを自分がやってきてそれが相手に通じているか)」にかなり左右される。

相手と一緒にいると様々な不定愁訴や体調不良、うつ的な気分が発生する「夫(妻)在宅ストレス症候群・夫源病(妻源病)」などの問題も増加していて熟年離婚の原因になっているが、老後の一人暮らしの満足度が高いという人は、それ以前から「相手が家に帰ってくることがあまり楽しみではなかった・一人の時間のほうが好きだった・そんなに性格や話題が合うわけではない・夫婦だから好き嫌いは別にして助け合わなくてはならない(子供が自立するまでは頑張るしかない)という義務感が強い」などの認識や感覚を持っている人が多く、根っからの寂しがり屋や極端に独りが苦手な人が少ない。

老後・死期までの長期的スパンで見て、一緒にいることが安心感や楽しみ、安らぎ、面白さにつながるような相手、自分が尊敬できてずっと好きでいられる相手(少々のわがままや甘え、うるささなどの欠点もまとめて受け容れられるだけの総合的な魅力のある相手)を選べば問題ないといえばその通りではある。

しかし、結婚前からそういった人間性や価値観、会話の相性を見抜くことは意外に難しいし、恋愛・結婚の段階では「異性としての魅力・家族を支える経済力や堅実さ(真面目さ)」の部分に評価軸がフォーカスしていることが多いので、「人間としての自立性(色々な要求がうるさくないか頑固でないか)・長期的に見た相性(お互いにとっての付き合いやすさ)」などは読みきれないことも多い。

人の感覚・感情・嗜好は年月や環境、課題と共にかなり変わってくる部分もあるので、老後に面倒臭いパーソナリティーにならないであろうキーポイントになるのは「自立性(一人でも行動して遊べるか)・共感性(相手の立場や感情を推測して動けるか)・フットワークの軽さ(身の回りのことや用事などぐずぐずせずさっと動くか)」などになる。

夫婦関係でも親子関係でも「相手に何かして上げたいという思い」と「相手から何かしてもらいたいという思い」の自分の中でのバランス、あるいは「相手が今何をしたいと思っているか・自分とどのくらいの距離感でいたいと思っているかの想像力」というものが、老後にこの人と一緒にいたいなと思えるか、できればもうそろそろ一人で自由にやりたいな(これ以上面倒を見たくないのでできれば別居したいな)と思うかの境界線になるだろう。

老後に一人暮らしのほうが良いというのは、自分も体力・気力が弱ってくる老後に、「飯・風呂・外出などの指示をするばかりの要求がましい相手」や「自分の興味のあることしか話さず相手の話を聞かない相手」や「生活音がうるさくてがさつで思いやりのない相手」とは一緒にいたくないということであり、今まで義務や責任だと思って自分を抑えて遂行してきた「役割分担的・サポート担当的な関係」から離脱したいということでもあるだろう。

「自分から何かしてくれ・家族ならこれくらいするのが当たり前・今まで色々してやったんだから恩返ししろ」などと求める人に対しては、かえって何もしてあげたくなくなる(家族も親族もいつの間にか離れていく)のが人情でもあるが。

現代では逆に「子供の世話にはなりたくない(子供に面倒をかけたくない)・自分のことは何とか自分でやるから(最終的に介護施設などの手続きだけしてくれればいい)」という親世代も増えており、こういった子供中心の道徳観への逆転(人に世話になりたくない・その裏返しとして人に色んな義務を求められたくないという自己完結的な人生観)が「未婚化・少子化・老後の一人暮らしの気楽さ」につながっている節もあるだろう。

老後の一人暮らしの満足度の高さの条件として、「自由で勝手気ままに暮らせること・信頼できる同世代の友人や親類が2~3人いてたまに話ができること・住み慣れた土地に住んでいること」が上げられているが、良好な夫婦・家族の人間関係やコミュニケーションが維持されていれば、本来は「気の合う話し相手・一緒にいたい相手の枠組み」に配偶者・子供も入っているべきなのだが……あれしろこれしろ(家族として~しなければならない)と言われることのない「利害関係・役割分担のない友人知人」のほうが会話や遊び、旅行などの面では一緒にいて楽しくなりやすい面はあるだろう。

まぁ、連絡を取り合ったり一緒にどこかに出かけられる友人・親族などがいて、健康面で大きな問題がなければ、老後の一人暮らしの満足度のほうが高いというのは意外な結果でもないが、夫婦や子供と同居していて満足度が下がってしまうというケースでは、家族が「気の合う相手(会話や外出を一緒に楽しめる相手)・助け合える相手・頼りにできる相手」として機能していない(逆に自分だけがいろいろな役割・義務・支援を求められていて老後になっても休ませて貰えないので一人のほうが良い)というだけの話でもある。

相手がどういったパーソナリティーやライフスタイルなのかにもよるが、相手が自由で気ままに暮らせるような気遣いができているかというのを振り返ってみて、「自分と一緒にいるほうが他の人と一緒にいるよりも安らぐし楽しい」と思ってもらえれば良いのだが……何十年間という長い時間軸の中で人間性・性格・生活習慣・金銭や浮気の問題・清潔感などの部分のマイナス評価を積み重ねていないかどうかが根本問題だろう。

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