シングルマザーの連れ子に対する虐待死事件:暴力・体罰によるしつけの必要を強調する人

近年は女性の平均初産年齢は30歳をやや越える所まで上がっているが、これは30歳前後で出産する女性の大勢が産んでいるのではなく、20代前半くらいの早産のゾーンと30代半ばくらいの晩産のゾーンとの二極化が進行していると言われる。

女性の出産年齢は概ね『女性の学歴・職業キャリア』と逆相関があり、統計的に見れば学歴・職業キャリアが低い、かつ結婚・家庭への願望が強い人のほうが、早く結婚して早く子供を産む傾向がある。

■3歳暴行、病院行かず1日放置 「息してるから大丈夫」

高学歴・キャリアの女性は子供を産まないことも多いが、晩産の人のほうが出産後の子供と自分の人生設計・教育方針について慎重過ぎるくらいの人が多い傾向はあるだろう。統計的な傾向に過ぎないので、早く産めば良いとも遅く産めば良いとも言えないし、どれくらい十分な心理的・経済的な準備がいるのかも一概には言えない。

『子供を育てることを最優先にして自分の人生の遊び・楽しみを暫くは我慢する価値観』と『子育てを途中で諦めてしまわない=子供に愛情・保護を与えることをやめない覚悟・愛情・行動』があるかないのほうが重要であることは言うまでもない。

ここで問題になりやすいのは、『みんなが産んでいるから自分もという周囲に流されての安易な早婚早産・自立や育児において耐えられない労働や経済の状況の問題・母親(父親)としてのアイデンティティーの確立の挫折・早期離婚からの育児環境の混乱(好ましくない相手との新たな異性関係による虐待リスクの上昇)』などだろう。

子育ては産みの母親であっても我慢しなければならないことだらけの基本的に大変なものであり、相当な覚悟と意志がなければ遂行できない大事業である。実の血を分けた母親でも大変なことである現実を考えれば、(離婚したり未婚で産んだりでシングルマザーになったとして)そういった大変な育児の負担を本心から分かち合って助けてくれる男(血のつながっていない男)というのは、よほどその人間性と意志を吟味して選ばないと失敗する(子供が邪魔者扱いされるようになる)ということは自明でもある。

SNSで加害者の男から接触してきたという今回の事件は典型的だが、年齢の若いシングルマザーに敢えて近づいてくる男は、大半は『母親の若い女としての側面・若い独身女性より口説きやすいセックスの機会(シングルマザーのほうが恋愛の表層的・外見的な魅力の高低にこだわらないとか家族・父親になりたいという意志を示してくれればガードが甘くなる等)』に興味・欲求があるだけと疑ってかかったほうがまず間違いがない。

口では自分も子供が好きだとか、早く家庭が欲しいと思っていたとか、一緒に家族になって助け合っていくなどというかもしれないが、よほど親密な人間関係や人間性を信頼できるだけのそれまでの交際履歴がない限りは、口頭だけの口約束や男女関係も含めた口説き文句などは『子供のまっとうな父親となるだけの資質・覚悟・能力のある証拠』には何らならないというのがまず前提である。

シングルマザーは新たなお父さんになってくれる男性を探してはいけないのか、新たな家族関係の再構築を志向する男女関係や恋愛もしてはいけないのかという反論もあるが、『再婚でも恋愛でもしても良いが、相手の人間性を吟味して交際しなければ、最悪、子供が虐待されて殺されたり子殺しの共犯者にされる』という現実のリスクの認識が必要である。

確かに、90%以上の人はシングルマザーで悪い男に騙されたとしても、約束を破って結婚まではしてくれないとか飽きてどこかに逃げられるとか、子供がちょっと小突かれるとかいうくらいの被害で済むとは思うが、運が悪ければ、人の本質を見る目がなければ、今回の事件のような悪質な男を引き当てる可能性はゼロとは言えない。

子供を育てているシングルマザーの境遇で、『暴力性・執着心・知性や人徳の欠如・無収入(家に金を入れず勤労意欲もない)の男』と親密になって交際したり、ましてや帰る家もないような男を家に入れたりしたらその関係の解消には相当な心理的・経済的な負担がかかる。

小さな子供がいることで母親のフットワークも重くなるので、危なくて面倒な男だと思ってもそこから完全に逃げ切ることが難しい。

子供や親族、関係者に危害・迷惑を加えるような脅しをされることも多く、今回のような失う者もない何するか分からない暴力団構成員だと頼れる家族がいて弁護士などの協力を得ても、完全に追い出して二度と会わないように確約させるまでには物凄く骨が折れるし、凶暴な性格な暴力団の大男(身長193センチとか)相手に女一人で住み着いた家から追い出すのは至難である。

警察も傷害事件などに発展しない限り、いったん同居や事実婚のような状態になった男女関係に強制的に介入してくれず、こういった無法者じみた大男を本人の意志に逆らって無理矢理に引きずり出して(何より話し合いや説得・交渉が通じる知性や常識の存在をうかがわせるだけの風貌・目つきでないことも気にかかる)、二度と関わらないようにさせられる人や強制力はそうそうあるものではない。

シングルマザーの再婚・恋愛において、新しい男性を選ぶ際の最優先の条件は『子供を実の親と同じくらいに大切にして優しく接してくれる人』だろうが、そのためには自分自身が交際をする前に交際の譲らない絶対条件として『子供に一度でも手を上げたり、あなたと付き合うことで子供の笑顔がなくなったら、その場で一切の話し合いの余地なくすぐに別れる(子供や私に暴力暴言を振るったら二度と私たちの前に顔を出さない)』ことを念押しで確認して第三者も交えて約束させ、心配なら一筆書かせるくらいでも良いのである。

貧すれば鈍する、貧困な母子家庭だとどんな男でもいいから頼りたくなる(裏付けのないその場限りの優しさや虚勢を本当の家族愛のように錯覚する)、類は友を呼ぶ(自分に良識・常識・節度がなくてすさんだ生活・外見などをしていれば似通った属性や特徴を持つ相手が近寄ってきやすい)といった問題ももちろん影響するが、今回の事件はこの男と知り合う前の子供に明るくて楽しそうな笑顔が多く、母親との親子関係も良好なもので仲が良かったと報じられていることからも残念な事件である。

最近、報道された連れ子に対する『虐待死(虐待殺人)事件』では、いずれも母子家庭に上がり込んできた男が、『しつけを理由とした激しい身体的・精神的な虐待』を繰り返していたが、子供の育て方や接し方において『暴力・体罰のしつけの必要性』を強調して、家での子供の明るい笑顔や自由に遊ぼうとする意欲、子供がおしゃべりできる空気を無くさせる男は、基本的に子育ての資質・子供目線での対話能力に欠けているし、子供が好きではないことは明白である。

まして知り合って間もない他人の子供にいきなり『しつけ』と称した暴力暴言を執拗に振るうのは論外であり、ただ自分の前で子供がはしゃいでうるさくならないようにしたいだけか、自分たち男女がやりたいことの邪魔にならないように子供が家で萎縮しているようにしたいだけ(大人の自分たちが楽しむために家の中での子供の存在感を消したいだけ)である。

酷い場合には、子供が自分を怖がって条件反射的に萎縮して暗い表情で黙っている状態を『しつけができている状態』と定義し、子供が元気よく走り回っていたりおもちゃで遊んで話しかけてきたり、大人・親に構って欲しくて色んな言動をしたり(母親を独占しようとする子供と張り合ったり)、明るい笑顔で楽しそうに過ごしているのを『しつけができていない状態』として、暴力・暴言でそういった子供の元気の良さ・明るさ・楽しさを力づくで押さえ込もうとする虐待を日常化させた輩も出てくる。

この事件の容疑者の男は、『しつけを名分とする暴力』だけではなく『子供が今まで母親から可愛がられてきているから厳しいしつけをしなければならない』という意味不明な論理を振りかざして暴行をエスカレートさせていたという。

暴力団の道へドロップアウトしたこととも合わせ、自分自身が母親からの愛情・保護を受けられずに虐待・罵倒を受けながら大きくなった『アダルトチルドレンの問題(精神的発達が幼児期~児童期で停滞して自分が交際女性から母性的な愛情を受けたくて、いつもその女性から優しく大切にされていた子供に嫉妬して張り合う心理が虐待になった)を抱えている可能性もあるが、そういった自分が甘えたい(赤ちゃんのようになりたい)幼児性をひきずった未熟な心理状態を克服せずに他人の家庭・母子関係に踏み込んでいくのが無謀なのである。

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