ホラン千秋の「少子化をなくそうと思って子どもを産むわけじゃない」の発言から少子化・子供増加の歴史的条件について考えてみる!

自然な出生率の高さは先進国にない『多産多死・農業経済(無教育の子供でも労働力)・人権や社会保障の不備・婚姻出産の義務的な社会的圧力』等の条件で導かれてきた。

ホラン千秋の正論「少子化をなくそうと思って、子どもを産むわけじゃない」にうなずきまくる

出生率の高い国・地域では『子供は産むか産まないか迷って選択するわけではない=子供の出産は家系と家業(労働力)を維持する義務かつ親世代・家の直接的メリットになる』前提が見過ごされやすい。現代の先進国では『好きな異性と子供を為したい選別』と『子供の物心両面の幸福追求』の条件面のハードルの高さがある。

出産奨励金を1000万円出したとしても、少子化が劇的に改善するとは考えにくい。『子供を産むほど家・親・経済のメリットになる=子供の教育や能力と無関係に食える雇用(農業・工業の誰でもできる仕事が多い産業段階と素朴な人の意識)がある』や『非選択的な皆婚・皆出産の社会的圧力』がないと難しい。

根本問題は、出産奨励金1000万円や高校教育までの完全無償化等をして無理に子供を産んでも、経済面では現代社会の非正規化・低賃金化・仕事の高度化と選り好み等で『稼げる子供数』は大きく増えない為にペイしないという事だろう。産めばほぼ自動的に社会が期待する平均の労働者・納税者になれる産業構造が消えている。

単純に人口が増えても経済規模や税収が拡大しないのは、持続的成長を条件とする資本主義の限界にも思えるが、『人口増が資本主義の成長の阻害要因(雇用不足・生活保護・食糧難等)になる』のは中国やインド、過去の日本でも懸念された事だ。問題は『少ない子供の教育・技能の水準を上げる方法』さえ通じにくくなった事だ。

ホラン千秋の『少子化をなくそうと思って子どもを産むわけじゃない』が正論とあるが、現代で子供を持ちたいと思いやすい大きな要因は『安定した所得の雇用・周囲の多くが結婚出産する職場や関係(良い雇用や社会的圧力)・家庭環境や親子関係の良さ・本能的に好きと思える異性・あれこれ考えない性格傾向』等だろう。

かつては、何も考えなくても子供は増えたがそれは子供を持つことが親・家にとってほぼ自動的なメリットや保障になっていたからである。現代では子供を持つことは、子供の幸福と自立の支援のための見返りのない行為(無償の愛)になりやすいが、自明なメリットが乏しいからこそ真剣に迷い考える人が増えたとも言える。

自分たちが子供(子供のいる明るい家庭)が欲しいから子供を持つがまず前提な時代だが、皆婚時代のように誰もが当然のライフイベントとして出産するわけではなくなったことで、『子供の人生を真剣に考えてから産む人』と『先の事は余り考えないままとりあえず産む人』との意識・育児内容・環境や愛情の落差も大きくなった。

子供を持ちやすい要因として『周囲の多くが結婚出産する職場・関係』や『楽しみ・幸せを感じる家庭環境や親子関係の良さ』を上げたが、これは現代でも少子化が信じられないと思うほど『周囲の知り合いみんなが子供を産む環境(実家・現状もそれなりに豊か)』は多くあり、その環境では自分だけ産まない選択はしづらい。

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