自撮りが好きな若者のInstagramに代表される『フォトジェニック文化』:テキストより写真の時代

歴史性・社会性のないフォトジェニックは「文学・思想哲学・勤労の衰退」と連動した動きで、分かりやすい自己愛(自己像の制御)と共感(相互承認)ベースの社会変動の現れでもある。重厚から軽薄にという見方もできるが。

起源は、90年代のプリクラの流行!? なぜ若者は自撮りが好きなのか?

ビジュアリティーの時代におけるフォトジェニック(写真文化)は、ポストモダンの相対主義や価値観の多様化と相反する形で、「多数派がいいね!と思う魅力的な人物・美しい景観・リア充な場面や関係」を「(あれこれ論じない)分かりやすい被写体・写真を並べる歴史」としてアップし相互承認や共感を集める文化でもある。

「文学・思想哲学・勤労の文化」には想像力や前提知識、労力の蓄積が必要となるが、「フォトジェニックの文化」は何の前置きや知識がなくても「ダイレクトな知覚の快・面白さ・感動」を引き出して満足できるので手軽・簡単でもある。フォトジェニックは「説明的・知性的・蓄積的」ではなく「感覚的・反射的・逐次的」だ。

フォトジェニックを今、僕がやっているように定義づけて時代性・思想性であれこれ論じて解釈すること自体が本来的には自己矛盾であり、それなら「一枚の面白い写真・魅力的な自己像」をアップせよとなる。ストーリーや意味の深追いは野暮で、反射的な知覚志向が強くなると「数百文字の文章でも長いと感じる」ようになる。

恐らく若い世代ほど「長文で物語的・説明的に詳しく説明するような表現ややり取り」は面倒くさくて野暮と感じやすく、「一枚の写真に一言だけさらっと書くような投稿スタイル」のほうが簡単・手軽なのに友達関係での相互承認や自己愛充足の満足感が高いということになるのだろう。

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