芸能人の不倫報道の加熱感と現代の結婚制度の理想の崩れやすさ

結婚制度は『経済生活・育児の相互扶助,夫婦・親子の社会道徳的な関係性』がメインだが、恋愛結婚が増え自由な社会(過去比)になって『異性関係・性的幻想』も結婚で長期に満たせるという思いも強まり現実のギャップが不倫の誘因になる。
不倫続きにガダルカナル・タカ簡単に清算できない説

不倫・浮気をするなら結婚しなければ良いは正論だが、人によっては『結婚した時点』では、『将来に起こり得る二人の関係性・気持ち・役割の変化とそれに対する忍耐・我慢』を十分予測できず、永続的に男女としての時間・やり取りを過ごせる錯覚に陥り、現実の生活でそれが得られなくなると別の異性の誘惑に屈する人もでる。

男女関係の高揚(現実の日常生活では必然に薄れる)が好きな人は結婚しなければ良いとなるが、『一定の社会経済的地位・魅力,周囲や親族との関係性』によって、それなりに順調に仕事をして周囲とも調和した自己像を見せて人生を生きている人ほど『結婚しなければならない同調圧力・世間体・状況』に追い込まれる。

結婚制度にしても雇用制度にしても、かつては離婚・解雇が原則としてない(してはならない規範がある)『終身制』を前提としたが、『終身制の抜群の安定・保障』は社会の自由度が上がり人生が長くなった(変化も大きい)現代では、時に『束縛・重圧・無意味』に変質する。数十年以上または死ぬまで一緒というハードルの上昇に、現実の気持ちが耐え切れなくなりやすい。

正規雇用と非正規雇用の問題が単純に格差としてのみ収斂せず、『非正規(アルバイト)の時給上昇』によって『低待遇の正規雇用の時間拘束や過労・責任のデメリット』が浮かび上がるように、現代では『保障・安定・安心の交換条件』に対し自分がどのくらい自己犠牲でコミットするかが仕事でも結婚でも処世でも問われ続ける。

ゼロリスクの投資はなくフリーランチもない、コスト(自己犠牲)のかからない長期継続的な関係性もない。自由と保障、可能性と安定、固定と流動は常にどちらかに比重をかければどちらかを捨てなければならない『バーター関係』にあり、『あれもこれも思い通りな人(自由なのに保障あり)』はまずいないと考えたほうが良い。

袴田吉彦のケースは既にかなりの期間、夫婦関係が円満でなく別居していたようだが、それなりに経済力・魅力のある男(誰か女性が寄ってきそうな人)をフリーに放置していたリスクが現実化したのだろうが…『あの写真(ソファーのだらしない寝姿)』を週刊誌に出されるのは袴田氏は妻だけでなく浮気相手もよほど怒らせたかと。

袴田吉彦だけでなく香里奈の写真問題もあったが、世間に顔を知られた芸能人・著名人は、浮気や犯罪類似行為をするなら、『その時に信頼している相手から世間に出されると困る写真』を盗撮されている可能性も覚悟してやるべきで、『この人なら自分のすべてをさらけ出して大丈夫(受け止め隠してくれる)』は甘い見通しだ。

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