「思想哲学」カテゴリーアーカイブ

イスラム教の原理主義は先進国には分かりにくい、上原多香子氏の出産についての雑感、高度プロフェッショナル制度の感想など

無神論者は突き詰めれば実用主義か個人の虚無主義に行くので、他宗教の排除・対立のリスクもないが、ムスリムのような有神論の使命や熱狂のある集団の方が、生物として持続強度が強く人口も増える。

苦情言った仏教徒に禁錮刑…インドネシア、広がる不寛容 (朝日新聞デジタル – 12月27日 15:11) http://mixi.at/ajNMdFg

合理的な覚めた無神論者は、実在としての神はいるはずがなく、表象以外の即時かつ直接的な影響力のある神はいないということで話は終わるが、ムスリムはじめ本気で神の存在や宗教規範を素朴に信じている人は、「自分は自分・他人は他人のドライな個人主義」にはやはり行き着かない。生存競争の熱が熱く、神の冒涜には切れる。

しかし、科学主義や技術主義、功利主義を背景とするドライな非宗教的な価値観やライフスタイルは、究極的には「損得勘定・快楽と苦痛・好き嫌い・興味関心・社会適応度」しか持たないので、イスラムやキリストの有神論の「究極的な人の存在意義」はなく、人それぞれ好きなように生きればいいで、相対の虚無や孤立も増える。

現代の先進国の人の大半は、信仰があってもそれを誰にでも通用する普遍的な真理としての神とまでは狂信できず、ほとんどの人が神よりも人を上に置いた価値判断をするだろう。イスラム主義の国の残酷で理不尽な裁判・慣習に対して、日本人が抱く違和感も、イスラムが人よりも本気で神・習慣を上に置いた処断をしがちだから。

神様の侮辱や冒涜を理由にして、人を本気で死刑にしたり虐待したりといった感覚は、現代の先進国の平均的な人たちにはやはり分からない感覚になる。それは神も宗教も人が作り出したのだから、誰かを殺したり傷つけたりするくらいなら、神や宗教のほうを人間にとって都合のよい危なくないものに変えれば良いという合理による。

○上原多香子が魔性の女・薄情な女の批判もあるが、この若さで死ぬまで服喪して禁欲的に生きるのは無理だろうし、元々男性・恋愛を好む性格傾向もある。好みはあれど上原氏のような女性は、30~40代位までは放っておいても男が近づき誘ってくる。

上原多香子が第1子男児出産 コウカズヤ氏と再婚 http://mixi.at/ajPZ7lb

元夫の自殺というのは悲惨な結果で、弱っていた元夫を切り捨てて不倫していた上原多香子に一因はあると思うが、自殺する以前の段階で「上原氏が自分にもはや愛情も関心もないこと・どう頑張っても以前のような関係に戻れないこと」は明らかに気づいていただろう。 (12月30日)削除
啓思(けいし)

それが薄情な女、男好きな女だといえばその通りの面もあるが、落ち目になって付いてきてくれる型の女でないのは初めから見えていて、それを分かった上で交際・結婚するくらいでないと芸能人でなくてもこの種の女性の相手はつとまらない。子供ができない体で、その事実を相手が受け入れないというのだから自ら去るしかない。

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優生保護法に基づく強制不妊手術の背後にある現代的感覚、マスメディアの政治的公平の問題、農業支援アイドルの16歳女性の自殺など

○現代では自発的な優生思想や性選択が内在化されややすく表面化しないが、知能や責任、虐待、犯罪で「子供を持つ資格がない・親になるべきでない」の発想は根深く、出生前診断・自己客観評価も増大した。

強制不妊手術:拒否した親に「無知と盲愛」 侮蔑の言葉 (http://mixi.at/a5cZBF5)

強制不妊手術は人権侵害だが、戦前戦後の日本は貧しく幕末まで健康な赤子でも口減らしされ身売りさせ労働力にならない家族を食わせることが難しかった時代状況も合わせて考える必要はある。現代でも「働かない人への非難・否定」は根強く、人によっては人権を認めないレベルだが過去にも労働可能性が優生判断の一つだった。

人間の優生思想の淵源は、ダーウィニズム的な「自然選択・性選択」であるが、近代以降は男女が対になれば子供が産まれる生殖必然の運命を、避妊技術・知性・恋愛文化や美意識によって、より「意識的な選択性」に傾けた。優生保護法は権力の強制の人権侵害だが、現代は自発的・個人的な無意識下の優生の価値判断は強い。

○精神の落ち込みの制御でアルコールや薬物に頼る人も出てくるが、僕は自分である種のトリガーを引いてフロー(ゾーン)に入った時に襲ってくる強烈なナチュラルハイに身体機能が追いつかなくなって逆にきつい。「酒・タバコ・薬物」などの中枢神経の刺激・麻痺を用いずとも、内面から滾滾と意欲・興奮は自然に湧いてくる。

10代の頃からフローな「怒涛の勢いに乗る感覚」があり、ハイテンションとバイタリティー強化はあるが、30代後半から長時間の仕事やハイな運動・成功・異性・読書の後に身体が疲れやすくなった。昔、精神医学的な躁(manic)かと思ったが、精神運動のアップダウンがないので意図的な瞑想・運動・休養が要る。

しかし、あまりに爽快で嬉しい面白いとか、興奮してやるぞという気力が湧くとかいう状態は、相対的には幸福な状態かもしれないが、年齢相応の脳にとってかなりの負荷がかかっており、ハイに自律神経系が興奮し続けたり運動し続けると、中長期的には睡眠不足も含め中枢神経・循環器などにダメージが及ぶ可能性がある。

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男女平等社会における「セクハラ」とは何か?、 ストーカー事件についての雑考など

○過去の人類の性は交換条件的・権力的な要素が多く現代でセクハラに該当しやすい。「女性の完全な合意・選択」という新たな前提が社会と男女を変えていく。

セクハラ被害者を責める風潮にイノッチ苦言 「セクハラはいじめと似ている」「いじめる方が100%悪い」 (http://mixi.at/a5gaZYd)

現代では性ホルモンや行動様式の部分において、若い世代ほど「男性の女性化+女性の男性化=ユニセックス現象」が進みやすく、かつてのジェンダーやセクシャリティーの常識が徐々に通じなくなってきた。その結果、男女の性の合意や納得のいくカップリングの難易度は上がり、女性の人権・男性の客体性によって新時代が開く。

男性原理から女性原理へのシフトで、女性問題であると同時に人権問題・プライバシー権の問題でもある。個人の身体・生命・性の自由と尊厳が保護されることによって、「合法的・倫理的な他者との身体接触の基準」が一段高くなった。過去の男性社会で許された「なし崩し・口説きや粘りで押す・権力流用」がNGに近づいた。

人類は倫理的・歴史的に高度化するにつれ、「物理的な権力・地位・財力」が男女関係にもかなり有効だった男性社会を動物的・野蛮的な社会と見なすようになり、「本人の合意・納得・選択+生理的・美的な感覚」こそがもっとも重要とする女性原理の規範意識や男性の主体性(女性の客体性)を崩す社会構造に近づいていく。

男性の主体性(見る性・労働価値と財)と女性の客体性(見られる性・身体価値と快)を決定的に崩すというのは、生物学的性差であるセックスと相関する性ホルモンや生殖適応原理をある程度は根本から変容させることになるから、先進国的な倫理・自意識(人権)が高度化することは「種としての進化」もある程度は織り込む。

セクハラや性犯罪を仮に決定的に撲滅する時代がいつかやって来るとすれば、「男性と女性の非対称性の無効化」がかなり高いレベルで成就した時代ということになる。「男性の性欲の強度・ポルノ需要」や「女性の身体価値・美や性が求められる」がなくなり、男と女の自己定義も薄れるのかも。

性欲というのはその起源が動物的・原始的なものなので、どうしても「倫理・理屈・正論の範囲内」から逸脱するセクハラや性犯罪をゼロにはできない。人類が動物的次元の性欲や生殖原理を克服するかは分からないが、過去との比較では「暴力・権力・財力の男性原理」はかなり押さえ込まれ倫理と正論のヴェールは広がってきた。

広義の意味において、これからよほどの戦乱や無秩序状態に陥らない限りは、先進国の男性は法律的・倫理的・女性の好み的に「去勢」されていく大きな流れがあるのではないかと見ている。中性的な男性ほど、今の若い女性に好まれやすく、暴力や権力の乱用が疎まれている。

現代の若い女性ほど「女性っぽさのある綺麗な男性」を好む傾向なども、昔の暴力・権力で男社会で強いオスがメスを独占する(メスの選択権は初めから考慮されていない)という猿山の動物的な性選択原理に対する去勢的なバックラッシュである。純粋な女性の好みや選択が、男社会での強さ・偉さ・権威と一致しない部分が増えた。

○スーツを着用し履歴書に貼る証明写真よりもクリアな写真だな。ストーカー容疑報道で使われるとは、撮影当時思いもしなかったのだろう…返信もないのに半脅迫・わいせつの一方的連続送信は犯罪構成要件である。

宮崎県警:元日本王者ボクサー、ストーカー容疑で逮捕 (http://mixi.at/a5hM3AP)

一方的な思いを寄せる相手が完全無視したり一言だけ「やめて下さい」など返事をした場合、何か反応が欲しくて「メールの連続送信」を誘発するのは心理学的実験でも確認されていた。特に男性は元配偶者・元恋人に対し「返事・反応を求める執着」は女性以上に残りやすく、脳構造からしてストーカー化リスクは高いとか。

女性のストーカーが相対的に少ないのは(いないことはないが)、男性よりも「返事・反応を求める衝動や粘り」が格段に弱いからだが、その理由の一つは「男性は渋々な返事だけでも満足できる」が「女性は嫌々ながらが見えるやり取りならする意味がない」と切り捨てる率(直接の貢献を求める率)が高く、生物学的根拠もある。

ほとんど縁が切れているのに「気持ちだけ(返信だけ)の形式的つながり」というのは昔は女性が望む型と思われていたが、科学的には「呼びかけたら返事が来るだけでとりあえず納得・満足」は男性が望むつながりなのだという。女性は0か1かで「自分に直接メリットのある関係」でないと異性とのつながりへの執着は弱い。

未来では面倒くさい相手には、自分のコピーとして簡易な返事ができる「AIの自動返信」が可能になり、連続送信型のストーカーに勝手に対処して、(上手く直接会うことを避けて)自然消滅に導く話相手機能が組み込まれるのかもしれない。多分ある程度話を聞いている風な返事が返ってくれば、こういった人は納得して寝る。

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SNSを介して伝わる友人知人の死について、 現代における貧困の自己責任の意識、 イモトアヤコさんの登山歴と現代の登山の意義・情報など

○SNSを介して伝わる「友人知人・元恋人などの病気や死」はこれから確かに増える。3年近く前によく話したマイミクが亡くなっていたのも衝撃だったが「文字・観念のウェブの世界」は無限の時間が流れている錯覚もあれど人は日々老いている。
http://blogos.com/article/278593/?p=2

サイトやブログ、SNSに数十年以上もの精神活動・コミュニケーションの痕跡を残したまま、この世をいつの間にか去っていく人が増える。言葉・観念に刻まれたその人間の精神活動は有限性の運命を受けずに、サーバーから消去されない限り(どこかにコピーされている限り)生き残る。ウェブ社会の面白さでもあり奇妙さだ。

入水自殺した西部邁さんは、「長らく評論活動をしてきたが、本を書いても議論をしても講演をしても社会はまったく変わらない。(評論活動に捧げてきた自分の)人生は壮大な無駄だった」と語るが、社会や他者、歴史が変わるかどうかは、最長でも100年程度しか生きられない個人にとって関与の限界が自ずから知れた問題だ。

○中流以上が「貧困は自分のせい」と語る時、格差隠蔽のポジショントークだが…日本の貧困層の多くは革命も抵抗もせずひきこもったり孤独死が多く、誰のせいにもしてなさそうだが。 — 「この国での貧困は絶対に自分のせい」 落語家・桂春蝶が自己責任ツイートで炎上 (http://mixi.at/a3zvuVQ)

日本の貧困層は、団結・連帯・運動がなく個人でバラバラに分断され、政治・社会を責めるより自分を嫌悪して恥を感じるというのは概ね今も昔も変わらない。日本にはプロレタリア階級礼賛のマルキシズムが根付くことはなく、政府のせいや社会のせいにして怒るよりも、政府や企業、社会にすがる「お上意識」のほうが強いだろう。

「この国での貧困は絶対に自分のせい」という発言の真偽については、「事実認識が間違っている・貧困層やその子弟を追い込むだけ」であるが、日本人一般の常識観念や自意識として「貧困は自分のせい」と思う人はやはり多数派である。自己責任論や合理主義で貧困・労働力の再生産が停滞したことも、人口減少の一因だろう。

麻生太郎副総理が昔「貧乏人は子供を産まないほうがいい」の発言で物議を醸したが、日本人の階級意識や自己責任論に皮肉に言及したもので、人口減少トレンドや労働再生産の停滞が現象として現れた。落語家・桂春蝶のツイートの怖さは、日本人一般が無意識としてそれを受け入れ、ネガティブな行動で社会が縮小している事だ。

○母親厳罰論も生命の教育論も、両親の支援がない孤立した貧困・無知な10代の妊娠・子供殺害を抑止する力は持ない。育てられない子供が子供を産むなといっても、既に99%以上の10代女性は産んでない。 — 殺人容疑:2歳長男の首絞め殺害 18歳母を逮捕 青森 (http://mixi.at/a3z2Zfm)

99%の同級生は高校生以下の年齢では子供を産んでいない、95%以上の同級生は高校進学をする、57%の同級生は大学・短大にまで進学する。専門学校まで含めれば7割以上は高校卒業後にも学校に行く。そんな現代において10代で妊娠出産する女性や家庭環境は稀であり、家庭・学校が機能していないケースが多い。

現代の少子化問題を解決する困難の主要原因は、18歳以下は若すぎるとしても、「若い時期に子供を産んで育てる環境・意志・基盤」が多くの男女にはないということだろう。ある意味では、妊娠出産は相手がしっかりしていなければ、何もない若い女性にとって最大の罰ゲーム、犯罪者になりかねないストレスと負担になり得る。

出産は歓迎・祝福されるべきことで、政治や社会も表向きは少子化対策を掲げるが、実際に10~20代前半の仕事も財産もない社会経験もない女性が妊娠出産して、相手の男から逃げられたらどうなるのかは想像に難くない。だから10代で妊娠する人は通常まずいないともいえる。よほど覚悟がなければ難しい。

もちろん、覚悟と度胸あるいは色気と愛嬌でどんな困難もパワフルに乗り越えていける女性もいるので、一概に10代から20歳前後で準備がない状態で妊娠出産すれば危ないともいえない。だが子供のためにどんな仕事でもするにせよ、頼れる男を探すにせよ、一般的人生と比較すればリスクは増える。

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カンタン・メイヤスーやマルクス・ガブリエルの現代思想、 子供にとっての友達の意味とは何か?など

○21世紀の哲学は科学哲学や分析哲学が主流になりいわゆる「大文字の思想家」は不在となった。リオタールの「大きな物語の消滅」とも関係する。ミシェル・フーコーやジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズなど現代思想家の巨匠が没してから後、思想哲学・文学に少々詳しい人でも「大文字の思想家の共通理解」は崩れた。

確かに現代思想家として、思弁的実在論の「実在概念の再構成」で話題を呼んだフランスのカンタン・メイヤスー、「なぜ世界は存在しないのか?」で可能的なもの全ては実在と見なせるとした新実在論提唱のドイツのマルクス・ガブリエルなどはいるが、デリダとの比較においてさえ、一般的な読書人レベルでの知名度はほぼない。

カンタン・メイヤスーの思弁的実在論は「人類がいない世界での実在を考える想像の実在論」だが、カント以来の超越論的観念論を徹底批判することにどういった現代的意味があるのかは分かりにくい。メイヤスーは「人間の思考から独立した存在」を考えたいというが、人類不在なら存在の有無など最早問題ではないように思うが……。

メイヤスーの思弁的実在論でいう思弁概念の大部分は「数学的な公理性(人間知性をどう活用しても変更不可能な普遍原則)」に依拠して、数学・科学の普遍性をかなり信奉している思想家でもある。結局の所、メイヤスーは近代以前の哲学を「数学・科学の普遍性=他の事物や観念との非相関性」を重視しなかったとして批判する。

メイヤスーの実在論の射程は、人類がいないとしても数学・科学の公理性は変わらないはずというアプリオリな真理認識をベースにしたものだ。メイヤスーは「人類誕生以前の祖先以前性」だとか「人類消滅以後の可能な出来事」だとかを想像しつつ、想像でも数学的・科学的な人の意識に頼らない真理は最も確実な実在とする。

マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか?」で示唆される新実在論は、英訳しかないが読めば哲学的な読書が好きな人なら面白く読める内容だろう。ガブリエルは自然主義・科学主義の抵抗者で、端的に言えば「人間の心・精神・記憶の機能」も実在するものにしたい(人固有の実在性の復興願望)と考える思想家だ。

ガブリエルの新実在論は「世界は見る人のいない客観的なモノの世界だけでもなければ、見る人の構築する主観的な意識の世界だけでもなく、複数の多元的世界が同時的に両立して実在するのが世界である」というテーゼに集約される。世界の実在性を主観・客観の一元性で固定せず、モノも心も共同認識も含めて実在と見なす。

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20世紀の哲学潮流の衰退と21世紀の思想哲学の不在感覚、 おじさんは若い女性にモテるのか?

○20世紀の哲学史の三大潮流「マルクス主義(ドイツ)・実存主義(フランス)・分析哲学(英米)」のうち、前二者が没落した最大の契機はやはりソ連崩壊による「社会主義・共産主義の理想挫折(全体主義的な収容所列島の事実の暴露)」だった。アメリカ中心のプラグマティックな世界秩序と娯楽文化が拡大、「存在の意義・理想社会の建設」ではなく「現実・言語の分析」に偏った。

確かに、マルクス主義後継としての「フランクフルト学派・解釈学」、実存主義後継としての「現象学・構造主義(ポスト構造主義)」など受け皿はあったが、思想そのものの影響力衰退により、1980年代以前のような現実社会にインパクトを与えるものではなくなった。ポストモダン思想は、インテリの知的概念の娯楽に近い。

現実社会や自己存在の問題を、思想哲学は直接に扱うことがなくなったとも言える。その契機は「言語哲学の台頭」だ。リチャード・ローティは「哲学の諸問題は言語を改革すること、我々が使用する言語を正確に理解することによって解決・解消される」として言語論的転回を起こしたが、インテリ以外に言語論的転回は響かない。

現代思想の多くは「言語によって現実問題が意味づけされているだけで、言語の解釈で解決できる」というスタンスだが、テキストで飯を食える人以外にとって「言語論的転回の世界観」は自分にとって関係のない世界の話になってしまった。マルクス主義の理想社会、実存主義の生の意味のような個人への直接の問題提起がない。

ソシュールとかヤコブソン、ガダマー、ハーバーマスなども広義では言語論的転回の潮流を形成した著名な哲学者であるが、マルクスやニーチェ、サルトルなどの時代と比べて、同時代人でもこれらの哲学者の知名度は一般に極端に低くなった。アンケートをとっても、ハンス・ゲオルグ・ガダマーを知っている人は5%もいない。

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