20世紀の哲学潮流の衰退と21世紀の思想哲学の不在感覚、 おじさんは若い女性にモテるのか?

○20世紀の哲学史の三大潮流「マルクス主義(ドイツ)・実存主義(フランス)・分析哲学(英米)」のうち、前二者が没落した最大の契機はやはりソ連崩壊による「社会主義・共産主義の理想挫折(全体主義的な収容所列島の事実の暴露)」だった。アメリカ中心のプラグマティックな世界秩序と娯楽文化が拡大、「存在の意義・理想社会の建設」ではなく「現実・言語の分析」に偏った。

確かに、マルクス主義後継としての「フランクフルト学派・解釈学」、実存主義後継としての「現象学・構造主義(ポスト構造主義)」など受け皿はあったが、思想そのものの影響力衰退により、1980年代以前のような現実社会にインパクトを与えるものではなくなった。ポストモダン思想は、インテリの知的概念の娯楽に近い。

現実社会や自己存在の問題を、思想哲学は直接に扱うことがなくなったとも言える。その契機は「言語哲学の台頭」だ。リチャード・ローティは「哲学の諸問題は言語を改革すること、我々が使用する言語を正確に理解することによって解決・解消される」として言語論的転回を起こしたが、インテリ以外に言語論的転回は響かない。

現代思想の多くは「言語によって現実問題が意味づけされているだけで、言語の解釈で解決できる」というスタンスだが、テキストで飯を食える人以外にとって「言語論的転回の世界観」は自分にとって関係のない世界の話になってしまった。マルクス主義の理想社会、実存主義の生の意味のような個人への直接の問題提起がない。

ソシュールとかヤコブソン、ガダマー、ハーバーマスなども広義では言語論的転回の潮流を形成した著名な哲学者であるが、マルクスやニーチェ、サルトルなどの時代と比べて、同時代人でもこれらの哲学者の知名度は一般に極端に低くなった。アンケートをとっても、ハンス・ゲオルグ・ガダマーを知っている人は5%もいない。

○草食系男子が増えるなか、なぜおっさんばかりがモテるのか 

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一般におっさんの方が若い女性にモテるわけもないが、基本は「ちょっとした雑談や飲食から自分一人の想像で盛り上がれるおじさん」は多い。中年はポジティブかネガティブかが割れますね。

その1「最初からカッコよさやさわやかさを期待されてない」、2「多少のわがままや感情の起伏は受け止める」、3「女子と話せる嬉しさやありがたさは若者の比ではない」、4「欠点をいじられてもそれを喜べる機能が備わっている」、5「失うものはないのでアプローチや口説きに遠慮がない」…その傾向はあれどほどほどにしておかないと、企業内などで上下関係があればセクハラにも発展しかねない。

確かに、若い時期の男性にとっての女性の美貌や笑顔などの影響力はさほど大きくないのかもしれず、美人とか可愛いとかはあるが、女性そのものを鑑賞するというより、コミュニティ内での自己評価と絡んだパートナー選択の要素が大きい。女好きの中高年男性ほど女性の美貌を手放しで褒め殺しにする若者はまずいない。

3の「女子と話せる嬉しさやありがたさは若者の比ではない」も実感として分かる気もするが、若い頃の女性との向き合い方は「自分を受け入れてもらえるかの真剣勝負の要素」もあって、おっさんが適当にちやほやしておしゃべりするみたいなコミュニケーション形態が、学校内のコミュニティ・風評などの関連もあって基本ない。

「高校・大学では恋人でも親しい友達でもないのに、ちやほや話しかけるような関係がない」のは、やはり自分もそのコミュニティの一員で風評を気にするからである。不自然な行動や会話をやると共通の場にいづらくなるのが大きい。中高年はアウト・オブ・コミュニティで、若い人の他の友人知人とのつながりがない違いが大きく、中には好みの女性一人だけを対象にして延々褒めたりすかしたりで話しかけられる人もいる。

おじさんのエロスや美的鑑賞は基本的に自分を棚に上げて、女性をまなざして一方的に賛辞を投げる「オブジェクト志向(一対一・その場限りのお客様意識)」だが、同世代の恋愛関係とも関係したエロスや美的感覚は「サブジェクト志向(相手・周囲から認められるかの主体意識)」なのでうかつな軽口は叩けない。

少し前に、ソフトボール部顧問の30代男が、女子高生にセクハラをして「俺の彼女にしてやる」など意味不明な上から目線の発言をしていたとあったが、典型的な勘違いしたオブジェクト指向で、自分自身が相手からどう見えるかを考慮していない「立場を逆手に取ったお客様意識」である。同世代でお客様意識を持つ男はまずいない。

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