除夜の鐘がうるさいとのクレームで中止になる現代日本:社会共同体の季節・行事の共有の薄れ

除夜の鐘がクレームで生活騒音と見なされ中止に追い込まれるのはおかしな話だが、寺の鐘と3mしか離れていない住宅の立地も特殊で、精神状態によっては耐え難いかもしれない。

除夜の鐘も花火もダメ! 日本の風物詩が「生活騒音」とされ中止に追い込まれる時代

年齢や健康状態にもよるが、大晦日は早めに寝て、除夜の鐘が鳴る時間から初詣にでも出かけるのも良い気がする。寺が除夜の鐘を突きたければ、その日だけ近隣のホテル代を負担して泊まって貰うの代替策もあると思うが、条件を受け入れるか分からないし、寺もそこまでして年中行事を続けたくなかったのかもしれない。

生活空間は従来は地域や寺社、商店、近隣住民と共有されてきたので、お互いに行事や公共的な活動においては『譲り合い・承認・負担』をしてきたのだが、文化・伝統・風流の自明性や地域との連帯感が失われてきた結果(地域や他者から切れた個人化・島宇宙化の現れ)でもある。

除夜の鐘も幼稚園・保育園の子供の声も『生活騒音』と見なされてクレームを入れられ、何らかの対応を求められるというのは、確かに『個人レベルの快不快・ストレス』でいえば当然の要求なのかもしれないが、『地域社会の継続性・文化や伝統の共有感』が次第に崩れ各人が自分だけの静かな世界に閉塞していくような印象だ。

スポンサーリンク




楽天AD