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皆子山(971.5メートル)でボーイスカウト13人が遭難・無事下山。子供を引率する登山では『遭難しない登山』に万全を。

結果的に、全員無事に皆子山から下山できたようで良かったが、こういった何とか下山できたケースであっても、『下山予定時刻の超過・関係者による遭難したのではないかの心配と当局への通報(捜索救助要請)』があった時点で『遭難』と見なされることになる。

大人の単独行・少人数の入山であれば、道に迷ったり天候悪化に遭ったり怪我をしたりしたことを理由とする『予定時刻を超過した真夜中・翌朝の下山』は他人に生命の危機を知られていないという意味で統計に加算される『遭難』ではないが、『実質的な遭難(ほぼ遭難に近い事態)のリスクを踏んだ登山』としての自省は求められるだろう。

皆子山:遭難情報で捜索の小5ら13人 全員が無事下山

登山は人と一緒に登るのは楽しいけれど怖いものでもあり、特に“初心者・子供”となると、安全登山で時間通りに確実に下山できるように計画するためには、『山の難易度・季節・天気・行動時間・装備』を十分に検討しなければならない。

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映画『SPEC ~結(クローズ)~爻(コウ)ノ篇』の感想

総合評価 80点/100点

ファティマ第三の予言に基づく“シンプルプラン”は、御前会議の支配階級が主導する特殊能力を持つスペックホルダーの全滅作戦という建前だが、その真の計画は『先人類による新人類の絶滅作戦』にあった。

地球を私物化して環境汚染と精神破壊を続け、同類で憎み合い殺し合う劣等な新人類の歴史を終焉させるため、先人類であるセカイ(向井理)、青池潤の外観を持つ女(大島優子)、ユダ(遠藤憲一)が、冥界の門を開いて現在の地球と人類を一瞬で壊滅させる『ソロモンの鍵』を手に入れようとする。

ストーリーそのものは『ガイア思想・エコロジー思想・原罪の性悪説・最後の審判(一神教の裁き)の変奏』であり、こういった終末論的な物語では定番化したスタイルではある。地球を一つの生命体と見なすガイアの立場から、人類を『過ちの歴史から学習できない有害無益な劣等生物種』と見なす先人類は、今までも何度も人類が支配する地上を崩壊させてリセットを繰り返してきたという設定である。

太古の地球において、圧倒的なスペックを持つ先人類は、疑うことや支配することを知らない精神の純潔さゆえに、狡知と計略、数の力に秀でたスペックを持たない新人類に一度絶滅させられたという屈辱の遺恨を持っている。

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映画『かぐや姫の物語』の感想

総合評価 90点/100点

誰もが知る竹取物語の冒頭は、“今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山に交じりて竹を取りつつ、万のことに使ひけり。名をば讃岐造(さぬきのみやつこ)となむ言ひける”より始まる。アニメ映画の『かぐや姫の物語』でも、竹取の翁(おじいさん)が竹林で光り輝く竹を見つけて、その手前に伸びてきた竹の子の中から“小さな美しい姫”を拾い上げる場面から始まる。ストーリーは『かぐや姫と捨丸(すてまる)の輪廻転生を思わせる恋愛・かぐや姫の都嫌いと自然回帰願望』を除いては、ほぼ原作を忠実になぞっている。

着物をまとった小さな姫はするりと媼(おばあさん)の手をすり落ちると、瞬く間に赤ちゃんへとその姿を変え、姫を『天からの授かり物』と信じる翁と媼の手によって目に入れても痛くないほどに大切に育てられていく。自然の野山を自由に駆け回って、まるで雨後の竹の子のように急速に成長していく女の子は、山に生きる子供達から“たけのこ”と呼ばれて可愛がられ、あっという間に美しい少女へとその姿を変えていった。

アニメーションは画用紙に書き殴ったラフなスケッチ画のような線質を意図的に出しているが、『人物の表情の複雑さ・墨水画風に色を加えたような色彩・ダイナミックかつ独自性のある動き』に新しさは感じる。

かぐや姫にしても絶世の美女であることを分かりやすい『アニメキャラ(美人だったり可愛い子だったりが一目で分かるキャラ)』の形で創作しておらず、キャラクターとしての存在感はもののけ姫やナウシカ、千と千尋のヒロインなどと比べるとやや落ちるだろうし、『古典世界の住人』としての輪郭の曖昧さ、実在感の弱さをわざと残しているのではないかと思われる。

翁は姫の神通力のおかげなのか、竹林に行く度に砂金の黄金がぎっしりと詰まった竹を見つけて、次第に財力を蓄えていく。美少女へと成長してきた姫を見ている翁は、このまま辺鄙な山奥に埋もれていたのでは、姫に幸福で華やかな人生を歩んでもらうことは不可能だと悟り、蓄財した膨大な砂金を使って『京の都(みやこ)』に出ることを計画する。

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冬山登山もBC(バックカントリー)のスキーも自己責任が前提だが、

遭難したり死亡したりすれば何らかの非難は免れない。またどれだけ身体を鍛えて装備を整えていようがどれだけ注意深くしていようが、『気象遭難・雪崩事故・落石や落雷・体調急変』などの確率的リスクをゼロにすることまではできない。

アウトドアに限らず、人間は確率的に病気になったり事故に遭ったり死んだりするものだが、アウトドアの事故は特にメディアが大きく取り上げやすく、遭難事故には人間関係や物語性も絡むので詳細な報道がされやすい。

富山雪崩:地鳴りのようなごう音 「残念でならない」

『生活のためにしなくてもいいことを敢えてして救助の手間・コストがかかったり死んで迷惑をかけた(間接的な迷惑行為に当たったり税金の負担になる)』というロジックで非難する人は当然いるが、それはその人の『リスク回避・公費負担の最小化』を善(正義)とする価値観であって否定されるべきものでもない。

自分の好きな趣味や活動を全否定(バカに)されると、それに対して『そうではないとする材料・根拠・経験・事例・主張者側の問題点(他の迷惑やコスト負担)』などを言いたくなるものだが(そのための労力を惜しまずに膨大な論点や事例を集める人もいたりするが)、各種の趣味の分野に限らず、生き方・性格にしろ価値観・視点にしろすべての人に認められる必要はないし、認められることはおよそ不可能である。

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映画『ルームメイト』の感想

総合評価 70点/100点

ルームメイトになった女性が、異常に独占欲が強くて自制心の働かないサイコパス(精神病質者)だったという話だが、ネタバレしてしまうと面白みのなくなるストーリーでもある。過去の性的虐待のトラウマと関連したプロット自体はかなり使い古されたもので、サイコホラーサスペンスの定番になって久しいが、先入観なく見れば心理的な切迫感の感じられるホラー映画としての怖さは所々にある。

派遣社員の萩尾春海(北川景子)は、交通事故に遭って片足を骨折してしまい、仕事を辞めざるを得なくなる。収入が途絶えることになりこの先の生活に不安を覚えていた春海だったが、入院中に話があって親身に接してくれた看護婦・西村麗子(深田恭子)がルームシェアを申し出てくれた。

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映画『悪の法則』の感想

総合評価 80点/100点

『悪の法則』の英語版の原題は“The low of evil”ではなく“The counselor”なのだが、カウンセラーだと日本語の語感では『心理的な問題や悩みを抱えた人たちを各種の検査・理論・技法を用いてケアする専門家』といった意味に受け取られてしまうため、題名を『悪の法則』と変えているのだろう。

作中で主人公のマイケル・ファスベンダーが演じる弁護士は、マフィアの強面の連中から『カウンセラー』と呼ばれて一目置かれている。冒頭でフィアンセのローラ(ペネロペ・クルス)と、猥談でいちゃつくベッドシーンが5分くらいのかなり長い間尺で流されるが、優雅で豊かでエロティックなセレブの日常の背後を流れる『ブラックマネーの魅惑・恐怖』を描いた映画であり、ローラとの幸福な日常はGreed(強欲)によって侵食され破壊されてゆく。

カウンセラー(マイケル・ファスベンダー)はまっとうな弁護士としての仕事の稼ぎで満足することができず、友人の陽気で太っ腹な実業家ライナー(ハビエル・バルデム)が持ちかけてきたメキシコ・マフィアが管轄するコカイン密輸に関連した法務処理の相談役の仕事を引き受ける。

ライナーは美男美女を高級車をずらり並べた豪邸に集めて、飽食とセックス、娯楽に明け暮れ、地元の顔利きとして権勢を振るっているが、自らの栄耀栄華がいつ終わってもおかしくない刹那のものであることを裏社会の住人として自覚してもいる。

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