映画『SPEC ~結(クローズ)~爻(コウ)ノ篇』の感想

総合評価 80点/100点

ファティマ第三の予言に基づく“シンプルプラン”は、御前会議の支配階級が主導する特殊能力を持つスペックホルダーの全滅作戦という建前だが、その真の計画は『先人類による新人類の絶滅作戦』にあった。

地球を私物化して環境汚染と精神破壊を続け、同類で憎み合い殺し合う劣等な新人類の歴史を終焉させるため、先人類であるセカイ(向井理)、青池潤の外観を持つ女(大島優子)、ユダ(遠藤憲一)が、冥界の門を開いて現在の地球と人類を一瞬で壊滅させる『ソロモンの鍵』を手に入れようとする。

ストーリーそのものは『ガイア思想・エコロジー思想・原罪の性悪説・最後の審判(一神教の裁き)の変奏』であり、こういった終末論的な物語では定番化したスタイルではある。地球を一つの生命体と見なすガイアの立場から、人類を『過ちの歴史から学習できない有害無益な劣等生物種』と見なす先人類は、今までも何度も人類が支配する地上を崩壊させてリセットを繰り返してきたという設定である。

太古の地球において、圧倒的なスペックを持つ先人類は、疑うことや支配することを知らない精神の純潔さゆえに、狡知と計略、数の力に秀でたスペックを持たない新人類に一度絶滅させられたという屈辱の遺恨を持っている。

精神体として冥界に浮遊することでかろうじて生き残った先人類は、定期的に人間の形態を持って地球に“神”の如く降臨し、『新人類の地球支配・精神構造・生活実態』を査定して滅ぼすか生かすかの審判を下す傲慢ともいえる歴史的使命を担うようになった。

地球の環境汚染と他の動植物の乱獲、人間同士の争い・憎しみ、破壊的な宗教対立や利己的な政治、民族や国家の排他的イデオロギーの氾濫を繰り返すばかりの学べない新人類を、『ジャッジメント・デイ(最後の審判)』に掛けて何度も機械的に絶滅させてきたのがセカイらの新人類の代表者である。

インフルエンザウイルスに対する免疫能を持たないスペックホルダーは、インフルエンザの流行によって次々に死に始めるが、超絶的なスペックを有することで“神”とも称されてきた“先人類”は、当麻紗綾(戸田恵梨香)をソロモンの鍵として活用することで、『ジャッジメント・デイ』を現実化する冥界の門をこじ開けようとする。セカイがトウマと親しげに呼びかける当麻紗綾もまた、新人類を構成する超絶的なスペックホルダーであり、地球の全てを瞬時に滅ぼし尽くす冥府の門を開くための触媒としての役割を負っていた。

死の使いである無数の不気味な八咫烏(やたがらす)が、空を真っ黒に覆い尽くしていく中、セカイの時間を停止させるスペックに瀬文焚流(加瀬亮)は気合と根性だけで抗おうとするが果たせず、青池潤の耳たぶから突風を吹き付けるスペックであっけなく地上にまで吹き飛ばされていった。

赤い鉄塔の頂上で青池潤の姿を持つ白い女が、当麻紗綾に対して挑発するようにジャッジメント・デイ到来の根拠である『人類全体の死刑宣告の罪状(利己的かつ排他的な思想・宗教・経済・開発・国家・民族などに固執することによる環境汚染と戦争・憎悪・悪意)』を語りかけていく。

セカイはトウマに同じ先人類の仲間であったことを思い出して、ソロモンの鍵として協力するように求めるが、人間としての感情・記憶を捨てることのないトウマは先人類の一員であることをきっぱりと拒絶、新人類の精神や生活を糞味噌に罵倒・嘲笑するセカイに激しく噛み付いて、何とか人類絶滅を押し留めようとする。

『人類全体に対する罪状・絶滅の宣告』を否認するトウマは、『人類を構成する個別の人間の価値・魅力』をセカイに攻撃的に訴えかけ、我が子(大島優子)を守ろうとした青池里子(栗山千明)を原始的な生殖本能に抗えない下等動物だと見下すセカイに、人の愛が分からないお前は神ではなくただの糞だと掴みかかる。

青池里子はただ母胎を借りただけの相手に過ぎず、親子などではないと言い放っていた青池潤の形態を持つ女だったが、セカイが里子を必要以上の苦痛を与えて殺そうとした事で、里子から大切に育てられてきた期間の記憶と情緒が刺激され、一方的な審判を冷徹に下す神(先人類)としての機械的な使命感に次第に迷いが生じてくる。

封印していた左手のスペックをフルに解放した当麻紗綾は、過去につながりのあった親しい友人でもあるスペックホルダーたちをオールキャストで冥界から召喚し、セカイ、青池潤、ユダの先人類と『新人類の生存』を賭けて対峙するが、それだけの人数の能力者を集めてもその力の差は余りに歴然としていた。クライマックスでは、SPECシリーズの主役である当麻と瀬文の二人の友情・信頼に全てが委ねられる。