シェアハウスは『合意による家賃折半』と『業者の脱法ビジネス』かで全く実態は変わる。

都心部の家賃の高さと雇用の不安定化・低所得化によって、『家族以外の他人』と一つの部屋の家賃を折半するシェアハウスが増えている。メディアでは家賃が数十万円以上する床下面積の広い高級物件を、定職のあるシングルマザーがワリカンで賃貸する『プチセレブなシェアハウスの事例』なども取り上げられていたことがあるが(仕事で長く留守にする時や子どもが病気になったりした時にはお互い様で助け合いやすいなどのメリットもあるが)、その対極にあるのが『貧困ビジネスとしてのシェアハウスの事例』だろう。

脱法ハウス:窓無し3畳半に2人 退去強要、行き先なく

同じシェアハウスでも『気の知れた友人知人(信頼できる相手)との快適なシェアハウス・自分の部屋がある同居』と『利益至上主義の業者(大家)が管轄するシェアハウス・狭小なスペースへの押し込み』では全く異なるわけで、『6畳以下の狭い部屋に2人以上を強引に詰め込む型』は、ただ寝るためだけに屋根がある場所を提供する貧困ビジネスである。

外と換気できる窓さえない狭い部屋への詰め込みは、安全上の問題があり消防法に違反している疑いもある。それ以上に、自由に動いたりのんびりくつろいだりできる専有スペースがほとんどなく、風呂・トイレも共有で遠慮しなくてはならない『精神的ストレス・作業効率や集中力の低下』の問題は大きく、基本的に一日の大部分を屋外で過ごすライフスタイルにならざるを得ないだろう。

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『因果関係(原因‐結果)』の哲学的な認識論と問題解決・心理的慣習:哲学的な思索1

古代ギリシア哲学のアルケー(万物の根源)の考察や一神教の唯一神による世界創造の前提は、『世界にある事物』の根本原因を想像力によって仮定しようとするものでした。哲学の始祖と呼ばれるターレスが『アルケーは水である』と語ったことの意義は、モノを構成する素材としての究極的な原因を仮定するということですが、この仮定はアリストテレスの原因論でいう『質量因』になります。

アリストテレスはリュケイオンの講義で、物事の原因には『質量因(物理的に何からできているか)・目的因(何のためにあるか)・作動因(何によって引き起こされたか)・形相因(どのような形態を本質的に持つか)』の4つがあるとしましたが、近代科学に継承された因果論の中心は作動因でした。近代科学の発明以前には、アリストテレスが夢想した究極原因としての『不動の動者』があり、そのイデアから連想された『絶対神』があり、あらゆるモノの起源はそういった絶対的な実在・観念に還元され得ると考えられました。

特定可能な原因があって結果が起こる、原因を理解すれば結果を変更・制御することができるというルネ・デカルトやインマヌエル・カントがもたらした『近代科学の思考方法』は、すべての物事を一つの因果の系列に位置づけました。次第にその原因の始点には、『神』ではなく『無機的な自然法則・悟性的な人間(認識主体)』が置かれるようになっていき、ルネサンス以降の神に拘束されない人間中心主義が花開きます。

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“小さな失敗”や“他人の批判・否定”で自分の価値を否定しない:Self-Esteemの自己啓発2

仕事でも試験でも人間関係でも、何か一つ失敗やミスをすると、『自分は能力・魅力がないつまらない人間だ』『この失敗を取り戻すことはできないから何をやっても無駄だ』と自己否定してしまい、その結果として生じる『ネガティブで陰鬱・無気力な精神状態』に浸り込んでしまうことがある。

『明るくポジティブな気分』を誰もが持ちたいと思うものだが、現実には『暗くてネガティブな気分』にも、『価値がないと思っている自分』を更に自己否定することによって、それ以上の失敗・挫折(傷つき)を回避することができるという依存性がある。

自己価値が貶められたり何かが上手くいかなくて傷つくことに対して、『認知的な予防線』を張ることができるため、人間の多くは意外にも、『暗くてネガティブな発想・気分』にはまり込んで、そこから自虐的・悲観的な快楽を際限なく得ることができるという側面を持っている。『暗鬱・悲観の蜜』はたまに詩情や自省の余韻を持って味わうくらいがなら良いが、自分をけなしたり貶めることによって『今の時点以降の意欲・希望が生む可能性』を何もしないままに失ってしまうのは大きな損失となる。

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