つちやかおりの交通事故と夫・布川敏和の謝罪会見。交通安全の徹底のために自転車・歩行者も意識改革を。

芸能界は結婚・不倫・離婚・事故等のプライベート情報も忘れられないためのビジネスの一環に成り得るが、自らの複数回の浮気も影響した妻の不倫や家出・離婚騒動の渦中で、妻の交通事故に積極的にコメントするのも微妙な感じを受ける。

つちや事故、夫・布川が謝罪「再度お騒がせして申し訳御座いません」

つちやかおり氏の車と自転車の交通事故では、自転車を運転していた女子大生の側にも『一時停止違反・速度の出し過ぎ・交差点での安全確認の欠如』といった過失が指摘されている。

車の側面に勢い良く突っ込んで衝突していることから、自転車が交差点で止まれないスピードを出していたと合理的に推測されるが、車の側もスピードの出ている自転車の急接近を事前に確認できず、衝突前に停止できなかったという点での過失割合はあるだろう。

軽車両である自転車も交通法規を遵守する必要があるが、日本では自転車は車よりも歩行者に近い扱いが為されてきた問題がある。交通法規を確実に守る意識は、車でも歩行者でも必要だが、それは罰則・賠償責任があるからという理由だけではなく、『自分自身が怪我をしない怪我をさせない・死亡事故に加害者や被害者として巻き込まれないため』である。歩行者は交通弱者ではあるが、生活道路の交差点でも全速力で止まらずに走れば、出てきた車や自転車に跳ね飛ばされる確率的なリスクがある。

交通弱者は法律で守られているから、車・自転車のほうが悪くなる(過失責任の割合が大きく賠償責任も課される)とはいっても、実際に車と衝突して身体障害を負ったり死亡したりすれば賠償金を得ても虚しい。他の通行者がでてくる可能性がある場所では、車も自転車も歩行者も徐行というのは自衛の意味でも常識である。

車・人が少ない生活道路の十字路のような場所では、時々、車でもノンストップである程度の速度で走り抜けるような無謀な人がいるが、『誰かが飛び出てくるかもしれない確率』がゼロではない以上、その一瞬の安全確認の怠り(誰も来ないだろう・来ても止まれるだろうの運転)が後悔してもしきれない結果を生んでしまう。
自分が浮気を繰り返していて、安定した結婚生活・育児環境を盾に『相手が離婚までは決断できないだろうという甘い予測』を持ち、子供が成長してからカウンターの浮気・別居を切り出されるというのは因果応報といえば因果応報だが…熟年離婚含め、『相手の自尊心・決断力を甘くみる事のリスク』は近い相手のほうが大きいかも。