結婚相手の女性の『顔』と『料理』のどちらを重視するか?:ジェンダーと家庭観・家族重視と快楽傾向

食事を『愛情の代替』と受け止める男は、身の回りの世話やメンタルケアを強く求めやすいが、家庭的価値観には合致しやすいとも思う。

『料理=女性・仕事=男性』というジェンダーの枠組みに適応しているということでもあるが、そういったジェンダーの役割分担の決め付けが苦手な女性(フラットな男女平等を求める女性)にとっては『妻の食事を重視する男性』との結婚生活は難しいだろう。

男のホンネ! 「顔はタイプだけどご飯がまずい嫁」と「顔はタイプじゃないけどご飯はおいしい嫁」どっちがいい?

食事は自分で作っても外食でも弁当でもいい、自分で節食・栄養バランス・運動ができて料理と愛情表現を結び付けない男は、『あれこれの妻への要求の度合い』は低いが、結婚生活の幸せ度も食事重視派より劣る可能性もある。『顔・身体・性的魅力の重視』も、妻を見せびらかしたい見栄張りかセックスに囚われた快楽主義で、堅実・誠実な結婚との相性の悪さもあると思う。

結婚とは『永続的かつ排他的な家族(夫婦)の愛情互恵関係の法的承認』という理想、『仕事・家事・育児・性的要素の役割分担』という現実とのバランスもある。後者の役割分担や損得を過度に意識して、『お互いの義務・監視』の度合いが上がれば家庭の居心地の良さも落ちてしまう。

結婚生活に『面白さ・感覚的刺激・楽しさ』を優先的に追求するのも無理筋で、結婚の基本は『日々の生活・家族への貢献』にあると割り切って考えたほうが良いのかもしれない。

結婚制度の意義と不自由さとは、『一夫一婦制の排他的な相手の限定・独占』と『相互扶助の生活の進展(運命共同体性)』にあるので、そこにメリットが大きいと考えられれば、顔でも性格でも飯でも結婚に向かうべきだと思うが。

究極的には、家族という持続的な人間関係と場を共同作業で作っていくということに最大の価値を見いだせるか。

『顔・身体(美感・性愛)』が安定した生活の繰り返し(子供を育てる共同作業・夫婦の人生設計)よりも価値があるという人は、浮気・不倫の誘惑に抗い難いリスクも…。人生観、先の見通しと年齢・経済の影響もある。

顔もどこまで重視するかによるが、自分の美的感覚やセンスに合うような相手だと良いかもしれない。だが顔の良さやセックスの魅力は、新たな知覚刺激となるかっこいい人(美人)のほうが上回りやすい面もあるので、ほどほどの満足度と諦めも必要になるだろう。

すべてにおいて最高という人はいないし、どんなに素晴らしい人でも時間経過と安心による馴れは『初めのソリッドな新鮮さ・魅力』を薄れさせやすい。自分自身も当然完璧からは程遠いという現実がまずあるわけなので、あれもこれも求める前に汝自身を問えというお話にもなり……理想や面白さ、快楽の半分はイメージのようなものです。