64歳男がベビーカーの1歳男児殴る:超高齢化社会における高齢者のストレス・格差・不満

現在の64歳は特別な病気・障害がなければ『高齢者』と一括りできない体力があり、無力な弱ったお年寄りは少ない。健康・知性・経済・家族・人間性などあらゆる面の格差が開く世代でもあり、それまでの人生の不運やツケが蓄積してくるためにしんどい人は相当にしんどい。

ベビーカーの1歳男児殴る=暴行容疑で64歳男逮捕―有楽町駅地下通路・警視庁

超高齢化社会と健康年齢の延長によって『現役世代であればその暴力・犯罪を心配しなくても良い絶対的弱者の高齢者』は70代半ば以上くらいまで年齢が上昇、先の新幹線内での焼身自殺・殺人のように『高齢者の貧困・孤独・不遇』などから社会全体に対して不平不満を蓄えた層(良識・共感・自尊心が弱い層)も少なくない。

1歳の赤ちゃんを殴るというのは常識的には考えにくいが、長年月にわたり自分が他者や社会から邪魔者のように冷遇されたり、評価や愛情、承認と無関係な人生で苦しめられてきたという自己認識に陥った人は、『誰からも愛されてわがままを許される赤ちゃん・小さな子供』に大人であっても嫉妬・反発を抱くリスクもある。

64歳で赤ちゃんを殴るというのは、行為面からは『許されない犯罪者・粗暴者』ではあるが、その人の人生を俯瞰すれば自業自得な部分も含め、『人生の総括の挫折・叡智や成熟からの転落(=今からリカバリーが難しい可哀想な人)』という印象も強い。これで更に自己を社会・他者から徹底否定され社会を嫌いになる悪循環。

他者や社会から認められたいが、認められないので嫌ったり憎悪したり攻撃したりするというのは、どの世代においてもそれほど珍しくはない反社会的心理であるが、どこかで『他者・社会から認められたい自分にできる現実的な行為や解釈』に気づけるかどうかで天国にも地獄にもなる。他者との人間関係や社会適応も関係するが。

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